1994年以降に発表された邦訳論文を検索できます。

テーマに関する論文

持続的成長と市民の政治参加

1997年1月号

マイケル・ペティス コロンビア大学準教授

ワシントン・コンセンサスを重視する国際的バンカーたちは、「市場経済路線こそ長期的成長をもたらすと主張し、所得の不平等に短期的に目をつむることついてはあまりに寛容な立場を依然としてとりつづけている」。グローバルな過剰流動性の流れのなかで、市場経済を重視する政治リーダー率いるラテンアメリカ諸国に大規模な資金が流れ込み、一時的に急速な経済成長が起きたとしても、経済ブームの後には、政治指導層だけでなく、改革路線に対する反発が起こるだけである。過剰流動性を背景とする成長を「ワシントン・コンセンサスの成功と混同するのは愚かである」。大衆の政治への真の参加が実現されていない状態で、経済成長が貧困層の助けになったケースはこれまでほとんど存在しないのだから。

保護主義か、金融市場の規制か?

1997年1月号

ウィル・ハットン  オブザーバー紙・エディター

通貨市場の混乱やそれが引き起こす高金利に象徴されるような不確実性は、投資にとって疫病神のような存在である。そして、これらの不確実性がもたらす失業を減らしたり、さらには財政拡大を通じて保護主義圧力を軽減したりという試みに素早く懲罰を加えるのも、(これらの諸問題を作り出した張本人である)通貨市場である。自由貿易を維持しつつ、この悪循環を断ちきり、なおかつ世界の成長を再び燃え立たせるには、「金融市場を規制してそのスピードと力を削減する必要がある」。低い実質金利、長期的視野に立った投資、投機の減少、そして、実質投資と成長の増大を目的に、ドル、円、マルクの価値を安定的に維持することを中軸とする新たなブレトンウッズ体制を構築し、金融市場を規制する新たな枠組みをただちに導入する必要がある。さもなければ、「外貨を稼ぐのが重要なら、さっさと輸入を制限しろ」という悪魔のささやきが再び世界を席巻してしまうだろう。

優先すべきは「独仏通貨統合」

1997年1月号

リチャード・メドレー  イエール大学国際金融研究所副所長

ドイツはともかく、フランスがマーストリヒトで定められた通貨統合の加盟基準を目標日までにクリアできる可能性は低い。だが、基準をねじ曲げてフランスの参加を強引に認めれば、ヨーロッパは政治的・経済的な大混乱に陥るかもしれない。基準を曖昧にすれば、参加資格のない国々までがドサクサ紛れに統合へ参加する道を開いて通貨統合への政治的反対派勢力を勢いづけ、さらに、金融資本家たちが一斉にヨーロッパ債券を売り、出口に殺到する危険があるからだ。こうしたシナリオを回避するのに必要なのは、今回もヘルムート・コールのリーダーシップによる英断、つまり、「コール・ショック」である。「ある気持ちのよい土曜日の朝に、ドイツ・マルクとフランス・フランを永久的にリンクさせると発表する」ことで、独仏通貨統合をミニEMUとして既成事実としてしまうことだ。

The Clash of Ideas
「冷戦の終焉」と旧秩序の再発見

1996年7月号

ジョン・アイケンベリー
ペンシルバニア大学・准教授

冷戦の終結は、封じ込め秩序の終わりではあっても、戦後秩序全般の終焉ではなかった。封じ込めの秩序の影に隠れあまり重視されるいこともなかった、大西洋憲章にその起源をもつ開放的な戦後経済体制はいまも健在で、これを中核とする戦後の「民主的でリベラルな秩序」は、共産主義の崩壊によって、むしろ強化されつつある。事実、民主的でリベラルな秩序と、冷戦期の西側秩序が異なっているとすれば、現在の秩序がよりグローバルなものになっていることだ。必要なのは、冷戦後の新秩序を夢見てその構築を試みることではなく、一九四〇年代以来の民主的でリベラルな秩序を維持・強化すべく、その歴史的ルーツとこれまでの成果をたどり、これを、現状に符合するように再調整することではないか。

感染症という名の新たな脅威

1996年3月号 

ローリー・ギャレット 『ニューズデイ』紙医学・科学担当記者

さまざまな抗生物質・薬品に対する耐性を備えた遺伝子をもつプラスミドの登場とともに、感染症という侮れない脅威が再び猛威をふるいだしている。人間が細菌・ウイルスに対抗していくために必要とする抗感染症薬という兵器庫は、新たな環境につねに変化・適応する細菌という脅威の前には、非現実的なまでに貧弱だ。さらに悪いことに、都市化、地球規模での人口移動の波は、人間の行動パターンだけでなく、細菌と人間のエコロジカルな関係も劇的に変化をさせている。性交渉によって感染が拡大し、しかも都市部のブラック・マーケットで抗菌薬・抗生物質が入手できるために、貴重な薬品が乱用・誤用され、その結果、新たな耐性菌や寄生虫が誕生している。耐性菌やウイルスの脅威に加え、生物兵器戦争を目的とした毒性の強い細菌をつくりための遺伝子研究さえ行われているのが現実だ。われわれは、感染症を「安全保障上の明確な脅威」ととらえ、これに対抗すべく、医学、法律、社会、経済的観点からの包括的な方策を模索していかなければならない。

エジプトの夢と悲しみ

1996年1月号

ファード・アジャミー ジョンズ・ホプキンス大学教授

「自由主義的な改革の夢、上からの革命への期待、ナセルの社会主義的賭けなど、すべてが夢と潰え、エジプトはいまだに漂流している」。事実、自由主義、汎アラブ主義、ナショナリズムなど、彼らの近代における夢は、実現にいま一歩のところでことごとく挫折を繰り返してきた。「近代エジプトの心を規定するのは、国家的進歩への願いであり、それが近くにありながらいまだ実現にほど遠いという悲しみなのである」。

自由世界の問題児、アメリカ

1999年5月号

ギャリー・ウィルス  歴史家

アメリカは「リーダーシップ」という言葉をはき違えている。アメリカは、「俺のやっているようにではなく、俺の言うとおりにやれ」と言っているのと同じで、これではリーダー失格である。新興国が米国製品を買ったり、米市場に商品を供給することでアメリカのパワーが拡大するように、国際的なパワーを維持していくにはそれを拡散させる必要がある。強制、転覆工作、挑発は、リーダーのやることではない。相手の声を聞き、説得し、敬意を示すことなしに、だれも他国を導くことなどできない。リーダーはまず相手を理解しなければならず、彼らがより崇高な目的のために喜んで活動するようそのエネルギーを結集させるだけの力量を持つ必要がある。アメリカは現在、世界で最も強大な国家だが、そのようなパワーは他国の協調を引きだして初めて維持できる。

原爆投下は何を問いかける?

1995年2月号

バートン・J・バーンスタイン
スタンフォード大学歴史学教授

原爆が戦争終結の時期を早めたという議論の根拠はとぼしく、「たとえ原子爆弾を投下していなくても、ソビエトの参戦によって、十一月前には日本は降伏していたかもしれない」。加えて、米国の指導者のなかで、一九四五年の春から夏の段階において、「五十万の米国人(将兵)の命を救うために」原爆を使用すべきだと考えていた者など一人としていなかった。広島や長崎への原爆投下を可能にしたのは、二十億ドルもの資金を投入したプロジェクトのもつ政治的・機構的勢い、そして、第二次大戦の熾烈な戦闘を通じて、(市民を戦闘行為に巻き込まないという)旧来の道徳観が崩れてしまっていたからにほかならない。この道徳観の衰退こそ、後における核兵器による恐怖の時代の背景を提供したのである。ドイツや日本の軍国主義者たちだけでなく、なぜ、米国を含む他の諸国の道徳観までもがかくも荒廃していたのか、この点にこそわれわれが歴史の教訓として学ぶべきテーマが存在する。

民主主義の道徳的危機

1994年10月号

チャールズ・メイヤー ハーバード大学教授

冷戦における勝利も、いまや排外主義の台頭、伝統的政党への不信、政治に対する冷めた態度などによって急速に色あせたものとなりつつある。実際、われわれは「政治からの逃避、論争に対する嫌気、主張をめぐる信念のなさ、論争の結果に対する不信、論争に加わる人々への蔑視」といった態度が幅をきかすような民主主義の「道徳的危機」のただなかにある。
 変化や進歩を許容できるような改革主義が否定されてしまっているため、市民たちは、民族、イデオロギー上の多元主義状況を否定的にとらえだしている。現状が続けば、サミュエル・ハンチントンが指摘するような「文明の衝突」というゆゆしき事態に直面することになりかねない。
 この憂鬱な予測を覆すには、われわれは、「民族問題だけでなく、市民社会の不完全な状態の(改善に向けた)コミットメントを示し、保護主義への傾斜を回避し、民族性や文化的なつながりを超えた共通の大義を推進していく必要がある」。

競争力という名の危険な妄想

1994年5月号

ポール・クルーグマン マサチューセッツ工科大学教授

「国家が直面する経済問題を、世界市場をめぐる競争力の問題とみなし、コカ・コーラとペプシがライバルであるのと同様に、米国と日本がライバルであるかのようにとらえる見方」がいまや普遍的になされ、「貿易収支を国家の競争力の目安」とする考えがもてはやされている。その結果、「輸入によって高賃金の雇用が失われ、補助金をバックにした諸外国の競争によって、米国は高付加価値部門からの締めだされつつある」という認識が定着しつつある。だが、企業と国家を同一視し、貿易収支を国の競争力の目安と見るのは、完全な誤りである。競争力を軸とする誤った前提を今後も受け入れ続ければ、国内・国際経済の双方における誤った政策の採用に道を開き、国内の生産性は停滞し、貿易紛争の激化は不可避となる。なぜ、経済問題に対して競争力を軸とする説明がなされがちで、それが安易に受け入れられてしまっているのか。どうしてそれが誤っているのか、われわれはその前提を根本から検証し直す必要がある。

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