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テーマに関する論文

グローバル経済が求める「法の支配」

1998年6月号

トマス・キャロサース  カーネギー国際平和財団研究部長

経済グローバル化の潮流のなか、資本家たちは安定性、透明性を投資対象国に強く求め、投資を引きつけたい諸国も、ある程度はこれを理解している。そして、安定性、透明性、「説明責任」の鍵を握るのが「法の支配」の確立なのである。法改革がある段階で停滞し、特権的な銀行家、財界人、政治家がつくる閉鎖集団間の仲間内の取引をめぐる不透明な状況を取り除けなかったことが、アジア危機の背景として広く指摘されている。グローバル時代における「法の支配」確立の重要性は自明だが、単に法制度、法律を整備するだけでは十分ではなく、政府そして特権的指導者が自らも法の支配の下にあることを受け入れることが不可欠である。

アジア経済モデルは淘汰されたのか

1998年6月号

ドナルド・K・エマーソン ウィスコンシン大学政治学教授

アジアの経済危機によって、今や「東アジア・モデル対アメリカ・モデル」の対立構図も色あせ、米モデルへの「収斂」論が優勢になっているだけでなく、経済を超えた政治・社会モデルの収斂化さえも議論されている。説明責任、透明性の面で米モデルに見劣りし、腐敗しがちなアジア型開発モデルが、危機の背景を提供したのは間違いない。だが、かといって民主主義や政治的自由の欠如が危機の深刻化を招いたとも断言できない。ひと口に民主主義といっても、そこに法の支配がなければ、優れた統治の障害となることもあり得るからだ。最終的にリベラルな民主主義をアジアが選択するとしても、それが米モデルの採用になると決めつけるのは、時期尚早である。

資本の神話

1998年5月号

ジャグディシュ・バグワティ コロンビア大学教授

アジア経済危機の余波が残るなか、国際政治の世界は一つの主流ともいうべき見解に支配されている。いや、有力な「神話」と称すべきかもしれない。資本移動の自由化に必然的につきまとう、危機に弱い性質がこれほどまでに明らかになったというのに、資本移動が完全に自由化された社会は今後も必要であり、限りなく望ましいものだ、と考えられているのである。規制の維持よりも、資本の流れの自由化をめざすことが、唯一賢明な方法だといわれている。解決策として望ましいのは、危機に襲われた国々に対する最終的な救済資金の出所として、IMF(国際通貨基金)の立場をより明確にすることだというのだ。事実、IMFは昨年九月に開かれた香港での年次総会で、この方向に向けて画期的な一歩を踏み出した。この総会でIMF暫定委員会は、事実上、資本勘定の兌換性への最終的移行を支持する声明を発表したのである。これはつまり、「国民であれ外国人であれ、IMF加盟国においては、だれでも自由に資本を出し入れできる」という意味である。一九四四年(IMF設立時)の規約には、「経常取引の支払いに対する規制は避ける」という任務が定められているのみで、資本勘定の兌換性がIMFのめざすべき課題ないし目標とはされていなかったのである。資本取引の兌換性とは魅力的な発想だ。貿易の自由化が善であるなら、国境を越えた資本移動も自由化したってかまわないではないか。だが、「資本移動の自由化には、大きなメリットが伴う」という主張には説得力がない。かなりのメリットがあるとは主張されているが実証されていない。メリットのほとんどは、直接投資からえられるものだ。IMFを強化し、運用手法を変えたとしても、危機を根絶したり、その犠牲を大幅に抑制することにはならないだろう。むしろ、資本移動の自由化という神話は、「軍産複合体」を批判したアイゼンハワー大統領にならっていえば、「ウォール街=財務省複合体、あるいは金融=財政複合体(A Wall Street-Treasury Complex)」とも呼ぶべきものから生まれたのである。

ロシアこそがユーラシア秩序再生の要

1998年5月号

ヴァレリー・V・ツェプカロ  駐米ベラルーシ大使

現状の分散化・分裂化現象が続く限り、法や正義ではなく、再び利益や力のバランスによってユーラシア秩序を回復せざるを得なくなり、新たな、そして不吉な「歴史の始まり」が導かれるだろう。ユーラシアの分裂状況を放置すれば、中央アジアやコーカサスでの紛争が他の諸国を巻き込み、トルコ、イラン、中国、日本、そして欧米諸国の利益の錯綜や対立がこの大陸をカオスへと突き落としかねない。米国のユーラシアでの影響力には限界がある。秩序再生は、あくまでロシアによる過去と現在を踏まえた新理念の構築にかかっている。

麻薬取り締まりは本当に有効か

1998年5月号

イーサン・A・ネーデルマン  リンデスミス・センター所長

麻薬を法律で封じ込めようとしても、結局は事態を悪化させるだけだ。取り締まりだけでなく、われわれは薬物依存者への「害が最小限になるよう配慮し」、麻薬乱用と法的禁止策の双方がつくりだす「犯罪や困窮」に焦点を当てた政策を考えるべきである。必要なのは、公衆衛生上の知識や人権に基づく人間への「害を減らす」麻薬政策ではないか。ヨーロッパの経験からみても、「害を減らすアプローチ」のほうが、法による厳格な取り締まりよりも、効き目があるのは明らかだ。いまや必要なのは、麻薬問題を現実的にとらえるだけの「政治的勇気」を奮い起こすことである。

アジアのエネルギー問題をどう解決するか

1998年5月号

ダニエル・ヤーギン ケンブリッジ・エネルギー・リサーチ・アソシエーツ(CERA)会長  デニス・エクロフ 同上席研究員

今後、アジア経済が再び高成長路線へ転じる可能性は高く、石油を中心とするエネルギー需要もさらに高まってくるはずだ。これを背景に、アジア諸国間で緊張、資源競争が生じ、紛争が起きることを予見する専門家もいる。だが、国家が自国経済の舵取りを一手に管理しようと試みた時代から、市場力学、商業化、規制緩和、民営化が世界の経済思考を司る時代への移行が進んでいることを忘れてはならない。膨大なコストを要する資源開発インフラを整備するには、国際金融市場からの資金調達や、先端技術をもつ諸国との協調が不可欠である。エネルギー問題だけでなく、アジア経済の回復がどれだけすすむかを占うキーワードはここでも「市場、規制緩和、民営化」である。

「撤退戦略」という幻想

1998年4月号

ギデオン・ローズ 外交問題評議会研究員

問題地域に兵力を送り込む前に、まず、いつまでに戦力を引き揚げるかを言明するのが昨今のはやりである。だが、議会や国民の支持確保ばかりを気にかけるこの「撤退戦略」では、介入によって何を擁護するのかが無視され、撤退後の現地の状況が慎重に配慮されることもない。いかにして撤退するかではなく、なぜわれわれが介入するのかを真面目に考えない限り、現地での活動効率は今後も無視され続け、介入の意味そのものが見失われることになろう。

生物・化学兵器の新たな脅威

1998年4月号

リチャード・ベッツ 外交問題評議会 国家安全保障プログラム・ディレクター

いまやわれわれが心配すべきはテロ国家や集団が、生物兵器や化学兵器を使用することである。かつてとは様変わりしたポスト冷戦世界では、いかなる対応策を講じてもこの危険を抑止することはできない。そして、彼らが自らの問題を唯一の超大国の責任とみなすような構図がそこに存在するため、テロ攻撃の最大のターゲットは米国である。軍事専門家の関心は使用される前にこれらを破壊する「先制・予防戦略」にあるが、われわれは再び「市民防衛プログラム」に目を向けるべきではないか。

アジア通貨危機とIMFの誤診

1998年4月号

マーティン・フェルドシュタイン ハーバード大学経済学教授

IMFは今回のアジア通貨危機に際して、緊急融資と引き換えに、各国政府に構造改革・制度改革という大がかりな改革プログラムを押しつけるという大胆な行動に出たが、この処方箋は結局は悪い結果を招く危険性が高い。国や企業が対外債務の返済ができなくなったとき、この問題を解決する主要な責任はあくまで「借り手、そして貸し手である銀行や債券保有者」にあることをIMFは再認識すべきである。アジア通貨危機の本質をIMFはどうして読み違えたのか。伝統的役割からの逸脱はなぜ起きたのか。

ダライ・ラマのジレンマ

1998年3月号

メルヴィン・C・ゴールドシュタイン ケースウェスタン・リザーブ大学人類学教授

チベットへの民主政体の導入を求めたダライ・ラマの果敢な対外キャンペーンは、欧米世界での支持を背景に、中国政府を守勢に立たせたかに見えた。だが中国政府による経済統合策によって、大量の非チベット系中国人起業家、労働者がチベットに流入し、いまやチベットの文化、宗教、民族性までもが危機にさらされ、形勢は完全に逆転している。「政治的自治の範囲」をめぐる中国とチベット間の「妥協」は可能なのか。ダライ・ラマ、中国、そして米国は「妥協」に向けて、どのような行動をとり得るのか。

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