国家主権を考える
――リアリスト批判の立場から
1999年11月号
主権には様々な意味があり、定義も一律ではない。事実、「国内主権」がある程度確立されているといっても、国の対外的主権となると、そう話は簡単ではない。国は資源、支援、あるいは安全を他国に依存しており、たとえ強制されなくても条約、合意、(国際)機関への参加という形で、自らの権限をそれこそ数限りなく妥協させているからである。当然、国家の主権を絶対視して、各国をビリヤードの玉に見立てた国際関係理論では世界で何が起きているかを的確に説明できないし、一方で、グローバリズムなどの、昨今流行の通説でうまく説明できるわけでもない。グローバリズムと国の活動がともに増大しているのが現実だからだ。われわれは、主権をめぐって、概念的に「本来そうあるべきことと現実が違いながらも共存する」世界で暮らしているわけだ。これを認識した上で、主権という概念を再び考えなおし、世界の実像を捉えるべきだし、そのための理論を考えて行くべきだろう。