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テーマに関する論文

完全な失敗としてのコソボ

1999年9月号

マイケル・マンデルバーム  外交問題評議会フェロー

コソボ紛争は奇妙な戦争であったし、戦争を周到な政策の延長とみれば、これは完全な失敗だった。コソボのアルバニア系住民は、「民族自決権」に基づく独立を求めて戦った。一方、セルビア人は「既存の国境線の不可侵」という原則を盾にコソボをユーゴスラビアの一部に留め置こうと戦ってきた。かたやNATOといえば、コソボには自治権が認められるべきだという立場をとりつつも、それでもコソボはユーゴの一部にとどまるべきだと主張した。当然、戦争が終わったときも、主権にまつわる中核的な政治問題は未解決のままだった。NATOは介入して紛争勢力の一方を打破しつつも、戦争目的をめぐっては、うち負かした側が掲げていた大義を共有していたからである。つまりコソボはNATOの軍事的成功ではあっても政治的には大失策だったのだ。

メキシコは不安定化する

1999年9月号

M・デラル・ベアー  国際戦略研究所上席研究員

メキシコでは、近年、サリナス政権の下で、若いテクノクラートたちによる経済全般のリストラが進められ、国有企業の民営化、金融規律、NAFTAといった経済改革が行われてきた。また、これまで長期的に支配を行ってきた制度的革命党の基盤の一部を野党勢力が切り崩したことで、民主政治への一歩も踏み出したかにみえる。しかし、数世紀にわたって、長期にわたる権威主義的支配と短期的な社会抗争の時代を繰り返してきた結果、メキシコは、党の内部対立、政治的暴力、麻薬の蔓延やそれにからむ反社会勢力の台頭といった様々な問題を抱えている。また、民主的統治を支えるために必要な、寛容、妥協、市民参加などの文化的価値も根付いていない。メキシコの民主主義はまだ脆弱なものでしかなく、したがって、より多くの民主主義が実現すれば、より安定を期待できるように
なるとするウィルソン主義の前提の正しさは、メキシコにおいて、まだ実証されていない。二〇〇〇年の大統領選挙でメキシコは、一気に民主化を加速させることができるのだろうか、それとも過去へと逆行してしまうのだろうか。

Classic Selection 1999
超えられなかった過去
―― 戦後日本の社会改革の限界

1999年9 月号

ウォルター・ラフィーバー コーネル大学歴史学教授

憲法改正問題から集中豪雨的な輸出政策・官僚主導型の政治――そうした弊害の多くは実は1940年代の未完の占領革命、言い換えれば、占領政策の「逆コース」にそのルーツがある。つまり、官僚が力を持ち続け、一方では冷戦における西側陣営の一翼を担えるようにと米政府がマッカーサーに日本経済を立て直せと命じた1948年の政策転換によって、開放的で民主化されたシステムが日本に根づく可能性はなくなった。この「歴史の非継続性」は、これまでも様々な方面から議論の対象とされてきたが、今後予想される日本の国益論争・安保論争などをめぐって日本の周辺諸国と米国を巻き込んだ論争の焦点の一つとなっていく可能性は高い。

イラク経済制裁の戦略的解除を

1999年8月号

F・グレゴリー・ゴーズ  バーモント大学政治学准教授

アメリカは経済制裁の解除と引き換えに、イラクの大量破壊兵器(WMD)開発計画を監視・管理するための現地査察を復活させる提案を示すべきだ。経済制裁によって苦しんでいるのはもっぱらイラク民衆であり、この事実ゆえに、サダム・フセインの反米プロパガンダがもっともらしく聞こえ、国際コミュニティーにおけるアメリカの封じ込め政策への支持も低下しつつある。加えて、イラクのWMD開発がアメリカの国益に対する重大な脅威だとすれば、「査察なき制裁より、制裁なき査察」のほうが国益にかなう処方箋である。もしサダムが「制裁なき査察」の枠組みの下で査察を妨害した場合には、イラクの軍事ターゲットを即座に徹底的に空爆すればよい。ここに示した「制裁解除=査察の再開=軍事的封じ込めの強化」という道筋は、イラクの平均的市民の日々の生活を向上させるだけでなく、イラクのWMD開発計画に対する大きな障害を提供してくれるだろう。

バルカンのナショナリズムは消えない

1999年8月号

ウィリアム・W・ハーゲン  カリフォルニア大学歴史学教授

バルカンにおける民族間の対立は古代からのものではなく、近年のスロボダン・ミロシェビッチによる権力の掌握をきっかけとしたものでもない。それはオスマン・トルコ帝国が解体した後のこの地域でのナショナリズムの高揚にそもそも端を発するものだ。バルカンの独裁制、共産主義体制が「血の報復という価値観」を伴うナショナリズムと不可分の形で結びついていたため、オスマン・トルコ崩壊以後の政治体制のなかでも民族主義は生き残り、旧ユーゴの解体に伴う国境線の変更を契機に、これが一気に表舞台へと噴出した。こう考えると、ポスト・チトーのユーゴでリベラリズムが支配的となる余地はそもそもないに等しかった。欧米の基準では考えられぬような残忍な行為が行われたのは、こうした「血の報復」という集団的な価値観が背景に存在したためである。したがって、ミロシェビッチをヒトラーにたとえるような個人に問題を帰する見方よりも、紛争後のコソボ問題を戦後の連合国によるドイツ占領と比較する社会改革的視点のほうが有益だろう。リベラルで民主的な市民社会運動がより深く根を張れるようにならない限り、この地域に平和と安定がもたらされることはあり得ないのだから。

核とカシミール
―パキスタンの立場

1999年8月号

シャムシャド・アーマッド パキスタン外務次官

インドとパキスタンによる核実験の直後、本誌は、インドの国防・外交問題担当上席補佐官ジャスワント・シンが国防と外交について書いた「インドが核を持つ理由」(Against Nuclear Apartheid 『論座』一九九八年十月号)(※1)と米国務副長官ストローブ・タルボットによる「核実験後の南アジアをどうする」(Dealing with the Bomb in South Asia 『電子メール版』一九九九年五月号)(※2)を掲載した。以下、これらの論文に対して、パキスタンの外務次官が回答した。(※巻末に各論文要旨を添付)

紛争不介入の奨め

1999年8月号

エドワード・ルトワック/戦略国際問題研究所上席研究員

いまやあまりに多くの紛争が出口のない戦いと化している。その理由は、紛争勢力の一方の圧倒的な勝利、あるいは双方の疲弊という、戦争を終結へと向かわせる力学が外からの介入によってシステマチックにブロックされているためである。国連の平和維持活動、NATOなど多国間組織による介入、国連やNGOによる難民救済活動は、逆に紛争勢力の体力と敵愾心を回復させるだけで、争いを永続化させるだけだ。紛争に直接的な利害関係をもたない勢力による「人道的」介入は、「戦争の悪を増幅させる新たな不正行為」にほかならないのだ。政策エリートたちが、悲惨な状況にある人々のことを心配し、平和の到来を早めたいと願っているのなら、救済という感情的衝動を拒絶して、紛争を流れに任せて、平和への力学を復活させる必要がある。排除された者をその都度助けるのは良心の痛みを和らげるかもしれないが、結局、不安定と暴力を永続化させることになるだけだ。

米中パートナーシップはどこへ行った

1999年7月号

ベーツ・ギル  ブルッキングス研究所上席研究員

貿易問題、人権問題、核スパイ疑惑などによって、そもそも先行きの暗かった米中関係は、ベオグラードの中国大使館誤爆事件でさらに手痛いダメージを被ってしまった。わずか一年前の、米中の「建設的な戦略パートナーシップ」は一体どうなってしまったのか。大切なのは、共通の戦略利益と互いの立場の違いについて米中が了解し、そうした相互理解を支えるような国内コンセンサスを形成することである。それなくしては、外交手段ではあってもそもそも目的ではない「エンゲージメント」(穏やかな関与)政策は、今後も浮遊し続けたままだろう。新しい対中政策は、今後の北京との関係をめぐってより現実主義的な視点によって導かれるものでなければならず、それは「穏やかな関与」と危機回避の賢明なバランスをもった、限定的エンゲージメント政策であるべきだ。

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