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テーマに関する論文

CFRインタビュー
環境対策技術開発に民間資金を向かわせるには

2008年5月号

イボ・デブア 国連気候変動枠組み条約事務局長

今後25年間にわたって、予測されているペースで世界経済が成長を続けるとすれば、われわれは、エネルギーインフラに20兆ドルを投資しているはずだ。だが、地球温暖化対策に配慮せずに20兆ドルをエネルギー部門に投資するとすれば、温室効果ガスの排出量は50%上昇する。
 エネルギー部門への20兆ドルの投資への補助金を出すよりも、民間市場での環境技術開発を刺激するために、各国政府が協調すべきだと思う。
 民間の資金の流れを、地球温暖化対策からみて適切な方向へと向かわせること、つまり、もっと大きな民間の資金を温暖化対策に向かわせるにはどうすればよいかを考えていかなければならない。

CFRインタビュー
戦争と経済
――イラク戦争のもう一つの問題

2008年5月号

ロバート・D・ホーマッツ ゴールドマン・サックス副会長

歴史的にみて、大がかりな戦争を始める前には、戦費のどの程度を税金でまかなえるか、どの程度の債務を背負い込むことになるかについての熱い論争が展開されてきた。南北戦争前には、25%を税金で支払い、75%を借金でまかなうことが合意されていた。
 第二次世界大戦期にも、税金と借金の比率を半々とすることで合意が形成されていた。だが、イラク戦争の場合、そうした戦費調達の議論は一切行われなかったし、同世代で大半の重荷を担うという話もなかった。それどころか、減税の話がでているし、通常、戦期には抑え込まれるはずの国内支出もイラク戦争期には増大している。
 イラク戦争の戦費の多くは透明性に欠けるし、いかにして戦費を調達するかについての議論も事前には行われなかった。今後、われわれはイラク戦争をめぐってこの点を問題として取り上げていく必要がある。

CFRミーティング
ワールド・エコノミック・アップデート
――「サブプライム後」のアメリカ経済、世界経済を分析する

2008年5月号

スピーカー
ジョイス・チャン  JPモルガン・チェース クライアントビジネス担当マネージング・ディレクター
イーサン・ハリス   リーマン・ブラザーズ アメリカ経済担当エコノミスト兼マネージング・ディレクター
ヌリエル・ルービニ  ニューヨーク大学 スターン・ビジネススクール教授
司会
ダニエル・K・タルーロ

まず金融部門が実体経済に影響を及ぼし、今度は実体経済の収縮が金融部門に悪影響を及ぼすという悪循環が今後始まることになる。(ヌリエル・ルービニ)

 ポイントは、さらに深刻な事態になれば、政府が大胆に動くと考えられることだ。この点が過小評価されている。(イーサン・ハリス)

 私はデカップリング論を支持しない。むしろ、「グローバル経済は一つのエンジンで刺激されているが、新興市場が世界経済に占めるシェアと役割も拡大している」と考えるべきだ。……大きな特徴は、新興市場経済が成長した結果、さまざまな形で経済的クッションが誕生していることだ。(ジョイス・チャン)

ミャンマー、スーダンの 人道的悲劇にどう対処する
――人間の安全保障と「保護する責任」

2008年5月号

スティーブン・グローブズ  ヘリテージ財団研究員
スチュワート・M・パトリック   グローバル開発センター研究員

「大量虐殺、戦争犯罪、民族浄化、人道に対する犯罪から」他国の人々を「保護する責任」を引き受ければ、「アメリカの主権、国家安全保障や外交政策をめぐる意思決定権の一部を、国際社会の気まぐれに委ねることになる」。「保護する責任」は、説明責任を負わない市民社会のアクターが盛り上げた正統性のない規範であり、この規範は、アメリカの行動の自由を制約し、不必要にアメリを紛争に巻き込んでしまう。(S・グローブズ)

「もちろん、問題が起きている地域のすべてにわれわれが介入するわけにはいかない。だが、これをどこにも介入しないことのいいわけとしてはならない。大量虐殺や人道に対する犯罪が起きないように努め、それでも悲劇的な事件が起きた場合には、介入してそうした行動をやめさせることは、アメリカの道徳的利益に合致する」 (S・M・パトリック)

チャベス革命の虚構
――無謀な理想主義者の挫折

2008年5月号

フランシスコ・ロドリゲス/元ベネズエラ国民議会チーフエコノミスト

「貧困層に優しいチャベス」という仮説は、事実からかけ離れている。石油高騰からの経済ブームの恩恵を貧困層に再分配するという点で、チャベス政権が過去のベネズエラの政権と異なる措置をとってきたことを示す証拠は、驚くほど少ない。実際には、「チャベスの経済モデル」に画期的なところは何もない。多くのラテンアメリカ諸国が1970年代から1980年代にかけて経験したのと同じ、破滅的な道のりをたどっているだけだ。チャベス政権がその貧困対策の偽りの「成果」をうまくアピールできた最大の理由は、おそらく先進国の知識人や政治家が、ラテンアメリカの開発問題は、金持ちで特権的なエリート層による貧しい大衆の搾取にあるというストーリーを安易に信じ込んでいたためだ。19世紀ならともかく、この見方を現状判断の枠組みにするのは間違っている。

中国が世界貿易機関(WTO)の前身である、関税貿易一般協定(GATT)への加盟申請をしたのは1986年。そして、実際に加盟を果たしたのは2001年だった。……なぜ各国政府は、このような面倒な手続きをこなしてまで、かつては「金持ちクラブ」と揶揄されていたWTOに加盟しようとするのだろうか。
 ……実際には、各国の政治指導者が根本的な改革の必要性と必然性に気づき、外部からの支援がなければそのような変革を成し遂げることができないことを認識したことが、WTOへの加盟を模索した大きな理由だろう。政治指導者がある種の外圧を必要とし、WTOがそれを提供したと考えるべきだろう。
 ……WTO加盟をめざすことで得られる自己抑制によって良い統治が促進されることになり、その結果、経済的繁栄がもたらされることになる。

アメリカの相対的衰退と無極秩序の到来
――アメリカ後の時代を考える

2008年5月号

リチャード・N・ハース 米外交問題評議会会長

現在の国際システムの基本的特徴は、国がパワーを独占する時代が終わり、特定の領域における優位を失いつつあることだ。国家は、上からは地域機構、グローバル機構のルールによって縛られ、下からは武装集団の挑戦を受け、さらには、非政府組織(NGO)や企業の活動によって脇を脅かされている。こうしてアメリカの一極支配体制は終わり、無極秩序の時代に世界は足を踏み入れつつある。そこでは、相手が同盟国なのか、敵なのかを見分けるのも難しくなる。特定の問題については協力しても、他の問題については反発し合う。協調で無極化という現象を覆せるわけではないが、それでも、是々非々の協調は状況を管理する助けになるし、国際システムがこれ以上悪化したり、解体したりしていくリスクを抑え込むことができる。

中国とインドはアフリカをめざす
―― 中印との貿易をアフリカの経済開発につなげるには

2008年4月号

ハリー・G・ブロードマン 世界銀行アフリカ地域経済顧問

アフリカと中国、インドの貿易がこれまでにないペースで拡大しており、アフリカの指導者は、現在の中国とインドとの経済関係をもっとうまく利用して成長に弾みをつけるべきだろう。中国とインドのアフリカへの進出拡大は、アフリカ諸国が限られた一次産品への極端な依存状況から脱し、労働集約的な軽工業品とサービス産業へとシフトしていく大きな機会を提供している。この機会を生かすには、改革を通じて市場競争力や統治の質を高め、インフラを整備し、好ましい投資環境を整備しなければならない。改革がきちんと実行されれば、中国とインドのアフリカへの経済進出は、世界の最貧層の3億人が暮らし、最も困難な開発上の問題を抱えるアフリカの発展と世界経済への統合を実現するためのかつてない呼び水になるかもしれない。

なぜ民族は国家を欲しがるか
――歴史を規定しつづけるエスノナショナリズムの力

2008年4月号

ジェリー・Z・ミューラー 米カトリック大学歴史学教授

「(いまや世界各国で)都市化が進み、識字率が上昇し、政治的に民族集団を動員することも容易になっている。こうした環境下で、民族集団間に出生率や経済成長の格差が存在し、これに新たな移民の流れが加われば、今後も、国の構造や国境線がエスノナショナリズムによって揺るがされることになる。……エスノナショナリズムは、近代国家の形成プロセスが表へと引きずり出す人間の感情と精神にかかわる本質であり、連帯と敵意の源である。形は変わるとしても、今後長い世代にわたってエスノナショナリズムがなくなることはあり得ないし、これに直接的に向き合わない限り、秩序の安定を導き出すことはできない」

アメリカはアジアの台頭にうまく対応できるのか
――問題をつくりだしているのは欧米世界ではないか

2008年4月号

スピーカー
キショール・マブバニ/国立シンガポール大学公共政策大学院長
司会
エレン・L・フロースト/ピーターソン国際経済研究所客員研究員

いまや誰もがアジアをはっきりとしたモデルとみなしている。そしてアジアにおける新しいストーリーとは、アジアが一つにまとまりつつあることだ。人の自由な流れがアジアでは起きている。……新しいアジアの形成は、世界にとって大きな貢献となる。その理由は、これが、安定した世界秩序に利益を見いだし、グローバル秩序の混乱を望まず、西洋と協調したいと望む責任ある利害共有者を大幅に増やしていることを意味するからだ。……若いイスラム教徒たちにとっては、「西洋を模範とする道を歩むか、それともオサマ・ビンラディンに従うか」しか道はなかったが、いまでは、「自分たちも中国やインドに続こう」と考えだしている。

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