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テーマに関する論文

プーチンの中東地政学戦略
―― ロシアを新戦略へ駆り立てた反発と不満

2016年1月号

アンジェラ・ステント  ジョージタウン大学教授(政治学)

ロシアによるグルジアとウクライナでの戦争、そしてクリミアの編入は、「ポスト冷戦ヨーロッパの安全保障構造から自国が締め出されている現状」に対するモスクワなりの答えだった。一方、シリア紛争への介入は「中東におけるロシアの影響力を再生する」というより大きな目的を見据えた行動だった。シリアに介入したことで、ロシアはポスト・アサドのシリアでも影響力を行使できるだけでなく、地域プレイヤーたちに「アメリカとは違って、ロシアは民衆蜂起から中東の指導者と政府を守り、反政府勢力が権力を奪取しようとしても、政府を見捨てることはない」というメッセージを送ったことになる。すでに2015年後半には、エジプト、イスラエル、ヨルダン、クウェート、サウジアラビア、アラブ首長国連邦の指導者たちが相次いでモスクワを訪問している。・・・すでにサウジは100億ドルを、主にロシアの農業プロジェクトのために投資することを約束し、・・・イラクはイスラム国との戦いにロシアの力を借りるかもしれないと示唆している。・・・

解禁へ向かうアメリカの原油輸出
―― クリーンエネルギーと石油企業の利益

2015年12月号

ジェフ・コルガン ブラウン大学助教授

原油輸出の解禁を求める米石油企業と輸出禁止の継続を求める石油精製企業の利益が対立するなか、米議会は原油輸出禁止の解除へと明確に舵を取っている。共和党の大統領候補たちが解禁を支持する一方で、クリーンエネルギーへシフトしていくことを重視するオバマ政権とヒラリー・クリントンは輸出禁止の継続を求めている。石油企業は水圧破砕産業、石油精製企業は環境保護団体とそれぞれ政治的連帯を組織している。ここで必要なのは政治的妥協だろう。輸出解禁に歩み寄りつつも、石油企業から「環境汚染の低いグリーン経済に向けたシフト」へのコミットメントを引き出す必要がある。

難民の自立を助けよ
―― 難民危機への経済開発アプローチを

2015年12月号

アレクサンダー・ベッツ オックスフォード大学教授(政治学)、ポール・コリアー オックスフォード大学教授(経済学)

長期的な難民生活を強いられている人々は、永続性のある解決策、つまり、母国あるいはその他の国が「平和的な社会に自分たちを統合してくれること」を願っている。昨今のシリア難民への対応をめぐるヨーロッパの混乱からみても、難民危機への新しいアプローチが必要なことは明らかだ。難民の生活レベルを改善する一方で、難民受け入れ国の経済、安全保障利益を高める政策が必要とされている。現在の古色蒼然たる政策を、特別経済区を作って、難民に雇用を提供することで自立の道を与え、社会に統合していく政策へと見直していく必要がある。最終的に紛争が終わった時に備えてシリア難民はビジネスの下地を作っておく必要がある。このプロセスを難民受け入れ国経済の発展にも寄与するものにしなければならない。こうしたアプローチなら、難民の必要性と受け入れ国の利益を重ねあわせられるし、他の難民危機への対応にも適用できるだろう。

水素エネルギーへの大きな期待
―― 水素型燃料電池とエネルギーの未来

2015年12月号

マシュー・M・メンチ テネシー大学ノックスビル校教授

水素型燃料電池が魅力ある選択肢であることはかねて明らかだった。水素と酸素の化学反応を利用して電気をつくるため、その過程で排出されるのは熱と水だけだ。そしていまや水素を用いた燃料電池技術は競争力のある選択肢となりつつある。世界における燃料電池の売り上げは年々伸びており、容量も2009年からの4年間で2倍以上に増えている。韓国の現代自動車は、多目的スポーツ車(SUV)「ツーソン」の燃料電池モデルを発売し、トヨタ自動車も水素型燃料電池車「ミライ」を5万7500ドルで発売している。燃料電池が進化すれば、貯蔵能力がないという配電網の最大の問題の一つも解決できるし、再生可能エネルギーの利用も促進される。水素型燃料電池の市場化は、もはや未来のものではなくなっている。但し、幅広い応用にはまだ長い道のりが待ち受けている。

エボラ危機対策の教訓(下)
―― なぜWHOは危機対策を間違えたか

2015年12月号

ローリー・ギャレット 米外交問題評議会シニアフェロー(グローバルヘルス担当)

西アフリカで何が起きているかを世界が認識し始めたのは2014年9月半ばになってからだった。国連安保理はエボラ出血熱を「国際的な脅威である」と宣言し、国連総会もこの流れに続いた。米疾病管理センター(CDC)は大規模な国際的介入がなければ、2月までに感染者は100万を超えるだろうという予測を発表した。だがエボラ危機への国際社会の対応は時期を失していた。WHOの指導者たちは、進行する危機を前にしてもひどく緩慢な対応に終始した。すでに2014年5月末までに感染はギニア、リベリア、シエラレオネ全域へと広がっていた。このとき、WHOのアウトブレイクに対する警報は最低レベルへと引き下げられていた。WHOはグローバルヘルス領域の中枢権限を維持していけるのかとその存続を疑問視する声が上がったのも無理はない。この疑問への答えは「依然としてWHOは必要だ」ということになるが、そのためには組織改革が不可欠だ。・・・

誰がミャンマーを統治するのか
―― アウンサンスーチーと軍は歩み寄れるか

2015年12月号

アーロン・L・コネリー
豪ローウィ国際政策研究所 リサーチフェロー

ミャンマーの選挙で改選されるのは上院・下院とも議席の75%だけで、残る25%は軍の指定席だ。憲法改正には議会の75%以上の賛成が必要とされるため、軍はみずからの権限縮小につながる改正を必ず阻止できる。さらに、軍最高司令官は国防相、内務相、国境相の任命権を持っている。アウンサンスーチーの選挙での勝利は、新生ミャンマーにおける今後5年あまりの権力分担をめぐる熾烈な争いの始まりにすぎない。この争いの過程で、スーチーと軍との関係も調整を迫られる。現憲法の改正を広く民衆に訴えようとすれば、彼女は再び自宅に軟禁され、ミャンマーは軍事政権に戻ってしまうだろう。今後5カ月でアウンサンスーチーと軍がどのように歩み寄るのか、そして新生ミャンマーにおける権力分担に合意できるかが、今後のミャンマーの進路を決定することになる。

新グレートゲーム
―― インド太平洋をめぐる中印のせめぎ合い

2015年11月号

ラニ・D・ミューレン ウィリアム&メリーカレッジ準教授(政治学)、コディ・ポプリン ブルッキング研究所 リサーチアソシエーツ

中国が「マラッカ・ジレンマ」への対策を取り始めたことがインド太平洋の海洋秩序を揺り動かしている。中国のインド太平洋へのアクセスはマラッカ海峡を経由するルートに限られ、そこにたどり着く途上でも近隣諸国との領有権論争をあちこちに抱えた南シナ海を航行しなければならない。これがマラッカ・ジレンマだ。中国が南シナ海に滑走路付きの人工島を造成したのも、国連海洋法条約が認める以上のこれまでよりも広範囲の排他的経済水域を宣言したのも、そして南アジア諸国との関係を強化しているのも、このジレンマを克服しようとしたからだ。一方、中国がパキスタンとの同盟関係を軸に陸海の双方から対インド包囲網を築くつもりではないかと懸念するインドも、アクトイースト戦略を通じて、インド洋沿岸諸国との関係を拡大し、中国がインド洋での永続的なプレゼンスを確立するのを阻止しようと試みている。いまや、インド太平洋では新しいグレートゲームが展開されている。

プーチンを支えるイワン・イリインの思想
―― 反西洋の立場とロシア的価値の再生

2015年11月号

アントン・バーバシン インターセクションプロジェクト マネージング・ディレクター
ハンナ・ソバーン ハドソン研究所 非常勤フェロー リサーチアソシエーツ

イワン・イリインは歴史上の偉大な人物ではない。彼は古典的な意味での研究者や哲学者ではなく、扇動主義と陰謀理論を振りかざし、ファシズム志向をもつ国家主義者にすぎなかった。「ロシアのような巨大な国では民主主義ではなく、(権威主義的な)『国家独裁』だけが唯一可能な権力の在り方だ。地理的・民族的・文化的多様性を抱えるロシアは、強力な中央集権体制でなければ一つにまとめられない」。かつて、このような見方を示したイリインの著作が近年クレムリン内部で広く読まれている。2006年以降、プーチン自ら、国民向け演説でイリインの考えについて言及するようになった。その目的は明らかだ。権威主義的統治を正当化し、外からの脅威を煽り、ロシア正教の伝統的価値を重視することで、ロシア社会をまとめ、ロシアの精神の再生を試みることにある。・・・

クルド人の政治的連帯とトルコの未来

2015年11月号

ソーナー・カギャプタイ ワシントン・インスティチュートトルコ研究プログラムディレクター

これまで長期にわたって、トルコのクルド人コミュニティは、政治的に分裂し、全国レベルの運動としてまとまりをもっていなかった。だがエルドアンが、イスラム国の攻勢にさらされるシリアのクルド人の窮状に「様子見」を決め込んだことが、トルコのクルド人の怒りを買い、政治的に連帯させた。いまやクルド人は政治的立場の違いよりも、民族を軸にまとまるようになり、その大多数が人民民主主義党(HDP)という一つの政党に投票するようになった。こうしてHDPはトルコ議会で3番目に大きな勢力に浮上し、クルド人はすでに政治的影響力を手に入れている。もはやトルコ政府も包括的な権利と政治への参加を求めるクルド人の要求を無視できなくなっている。問題は、エルドアンが自分のやり方を強要するという姿勢を崩していないことだ。

エボラ危機対策の教訓(上)・(下)
―― なぜWHOは危機対策を間違えたか

2015年11月号

ローリー・ギャレット 米外交問題評議会シニアフェロー(グローバルヘルス担当)

人類が初めてエボラ出血熱に遭遇したのは1976年。ザイール(現コンゴ)のヤンブク村とその周辺地域においてだった。未知の忌まわしい疾患に感染した人は内出血を起こし、高熱を出して幻覚に襲われ、なかには気が触れたような行動をとる人もいた。その多くが死亡した。19年後、2度目の深刻なエボラ危機が再びザイールで起きた時も、依然として、ワクチンも治療法も、現地で利用できる診断キットもなかった。防護服は不足していたし、現地には医療システムも、訓練された医療関係者もいなかった。そして、2014年に再びアウトブレイクが起きた。3月半ばにエボラウイルスの感染が急拡大した後、4月上旬までに感染は下火になっていた。この段階で、世界保健機構(WHO)も米疾病管理センター(CDC)もアウトブレイクは収束しつつあると状況を誤認してしまった。だがそれは、小康状態に過ぎなかった。ウイルスは公衆衛生当局の監視の目の届かないところに潜伏し、歴史上、最悪のエボラ危機を引き起こすチャンスを窺っていた。・・・

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