1994年以降に発表された邦訳論文を検索できます。

経済・金融に関する論文

ロシア「バーチャル経済」の虚構

1998年11月号

クリフォード・G・ギャディ ブルッキングス研究所研究員

ロシアが市場改革を通じてゆっくりと市場経済へと近づいているとする認識は、まったくの間違いだ。この国の経済は「製造業部門が付加価値を生み出している」とする虚構を、政府、経済の各セクターのプレーヤー、家計がみな受け入れることでかろうじて成立する「バーチャル経済」にほかならない。現実には製造業は労働者や資源産業から受け取った価値以下のものしか生産できていないにもかかわらず、恣意的な価格設定によって価値を生み出しているように見せかけているにすぎない。その結果、原材料の仕入れ先にも、労働者にも支払いがなされず、税が現物で納められるようなキャッシュレス経済が誕生している。当然、膨大な財政赤字を抱え込んでしまった政府による家計への再分配機能も麻痺している。欧米や国際機関を通じた緊急支援は、彼らが現実を直視する時期を先送りするだけであり、今日の問題を明日の問題に置き換えるだけだ。「バーチャル経済」の存在を認識したうえでの痛みを伴う処方、つまり救済策の拒否こそ、われわれ、そして彼らにとっての明日を明るくするであろう。

迫りくる中国の激震

1998年9月号

ニール・C・ヒューズ  前世界銀行シニア・オペレーションズ・オフィサー

国有企業は単なる「職場」ではなく、労働者やその家族に各種サービスを提供するコミュニティーである。しかし、今や国有企業はひどく非効率となり、これが生き長らえているのは、ひとえに政府の補助金政策のおかげである。経済改革を成就するには、「鉄飯碗」として知られるこのコミュニティーを崩す必要があるが、それは同時に改革プログラムを政治的に支えている社会的安定基盤も揺るがしてしまう。だが現実には、政府は国有企業の多くを閉鎖せざるを得ず、その場合には千五百万人もの労働者が失業し、その多くが抗議行動に繰り出すことになるだろう。社会的、政治的激震を回避するには、企業、労働者、中央政府、地方政府が負担義務を分かち合う、国による社会保障システムの構築、さらには労働者のための職業再訓練プログラム、公共事業の準備が不可欠であり、その準備のために中国政府に残された時間は少ない。

アジア経済危機は中国にも波及するか

1998年8月号

ニコラス・R・ラーディ ブルッキングス研究所上席研究員

「不正行為、腐敗、(金融への)政治的影響力の強さ」というアジアの諸問題の背景をなす銀行支配型金融システム、中央銀行の独立性と商業銀行規制の弱さという側面は中国にも認められ、膨らむ一方の不良債権というアジア経済の共通問題も、赤字だらけの国有企業を抱える中国にとって同様に深刻である。ではなぜ、アジア危機の悪影響を今のところ中国はほとんど受けていないのか。それは、東南アジア諸国とは対照的に、「資本勘定の交換性」が存在せず、中国が外貨建ての取引を厳格に規制しているため、海外、国内の投資家の行動がひどく制約されているからにすぎない。国有企業、銀行の改革を終えたわけでも、市場化、商業化を果たしたわけでもない以上、経済改革そして中国経済の行方は、いまだ予断を許さない。

二十一世紀もまたアメリカの世紀となる

1998年7月号

モーティマー・B・ザッカーマン  U. S. News and World Report社会長

アメリカ経済の好調ぶりは偶然ではなく、その好調が当面続くとするニューエコノミー論もまたまやかしではない。この成功は、「一匹狼的な人材を育て、若者を育み、新来者を歓迎し、下からわき上がってくるエネルギーや才能に対して驚くほど開放的」なアメリカ文化が、「グローバル経済」の必要性に見事に適合したことによって実現した。過去における危機を教訓につくり出された透明な会計システムを背景とする果敢な投資行動と金融商品の多様化、海外の労働者の賃金が自らの雇用に影響を与えることを理解している順応力に富む「労働者」、進取の精神を理解する投資家と緩やかな規制によって育まれた先鋭的「小規模企業」。これが、情報革命を機に産業経済から「サービス・情報経済」へと移行したアメリカにおける、低いインフレと高い成長の両立を可能としているのだ。好調は当面続き、二十一世紀もまたアメリカの世紀になるだろう。

グローバル経済が求める「法の支配」

1998年6月号

トマス・キャロサース  カーネギー国際平和財団研究部長

経済グローバル化の潮流のなか、資本家たちは安定性、透明性を投資対象国に強く求め、投資を引きつけたい諸国も、ある程度はこれを理解している。そして、安定性、透明性、「説明責任」の鍵を握るのが「法の支配」の確立なのである。法改革がある段階で停滞し、特権的な銀行家、財界人、政治家がつくる閉鎖集団間の仲間内の取引をめぐる不透明な状況を取り除けなかったことが、アジア危機の背景として広く指摘されている。グローバル時代における「法の支配」確立の重要性は自明だが、単に法制度、法律を整備するだけでは十分ではなく、政府そして特権的指導者が自らも法の支配の下にあることを受け入れることが不可欠である。

アジア経済モデルは淘汰されたのか

1998年6月号

ドナルド・K・エマーソン ウィスコンシン大学政治学教授

アジアの経済危機によって、今や「東アジア・モデル対アメリカ・モデル」の対立構図も色あせ、米モデルへの「収斂」論が優勢になっているだけでなく、経済を超えた政治・社会モデルの収斂化さえも議論されている。説明責任、透明性の面で米モデルに見劣りし、腐敗しがちなアジア型開発モデルが、危機の背景を提供したのは間違いない。だが、かといって民主主義や政治的自由の欠如が危機の深刻化を招いたとも断言できない。ひと口に民主主義といっても、そこに法の支配がなければ、優れた統治の障害となることもあり得るからだ。最終的にリベラルな民主主義をアジアが選択するとしても、それが米モデルの採用になると決めつけるのは、時期尚早である。

アジアのエネルギー問題をどう解決するか

1998年5月号

ダニエル・ヤーギン ケンブリッジ・エネルギー・リサーチ・アソシエーツ(CERA)会長  デニス・エクロフ 同上席研究員

今後、アジア経済が再び高成長路線へ転じる可能性は高く、石油を中心とするエネルギー需要もさらに高まってくるはずだ。これを背景に、アジア諸国間で緊張、資源競争が生じ、紛争が起きることを予見する専門家もいる。だが、国家が自国経済の舵取りを一手に管理しようと試みた時代から、市場力学、商業化、規制緩和、民営化が世界の経済思考を司る時代への移行が進んでいることを忘れてはならない。膨大なコストを要する資源開発インフラを整備するには、国際金融市場からの資金調達や、先端技術をもつ諸国との協調が不可欠である。エネルギー問題だけでなく、アジア経済の回復がどれだけすすむかを占うキーワードはここでも「市場、規制緩和、民営化」である。

アジア通貨危機とIMFの誤診

1998年4月号

マーティン・フェルドシュタイン ハーバード大学経済学教授

IMFは今回のアジア通貨危機に際して、緊急融資と引き換えに、各国政府に構造改革・制度改革という大がかりな改革プログラムを押しつけるという大胆な行動に出たが、この処方箋は結局は悪い結果を招く危険性が高い。国や企業が対外債務の返済ができなくなったとき、この問題を解決する主要な責任はあくまで「借り手、そして貸し手である銀行や債券保有者」にあることをIMFは再認識すべきである。アジア通貨危機の本質をIMFはどうして読み違えたのか。伝統的役割からの逸脱はなぜ起きたのか。

第二局面に突入したアジア経済

1998年3月号

ブルース・コッペル 東西センター上級研究員

アジア経済の混乱は、経済構造改革の手をつけやすい部分の移行が完了したことを示すにすぎず、必ずしも奇跡の終わりを意味するわけではない。だが、繁栄から取り残されてきた「もう一つのアジア」が抱える政治・経済問題、そして社会問題を解決せずして、今後の持続的成長は不可能である。新たな課題は何で、どのような選択をなすべきなのか。

EMUと国際紛争

1998年2月号

マーチン・フェルドシュタイン  ハーバード大学経済学教授

「ヨーロッパ内で戦争が起きるというシナリオ自体忌むべきものだが、それでも、まったくありえないとは断言できない」。EMU(欧州経済通貨同盟)と欧州政治統合がその帰結として伴う紛争の危険は、無視するにはあまりに真実味を帯びているのだ。金融政策の舵取りをひとり欧州中央銀行に任せれば、失業、インフレなどの面でそれぞれに異なる状況にある諸国に単一の政策が採られるようになり、各国の政府がこれにあまねく満足することはありえず、大きな紛争の種になるだろう。実際、経済政策をめぐる対立や国家主権への干渉が、歴史、民族、宗教に根ざす長期に及ぶ敵対感情を増幅しかねない。問題はそれだけではない。ソ連の脅威が明らかに消滅した以上、ヨーロッパと米国の外交、経済、安全保障上の立場の違いがいずれ表面化するのは不可避であり、より堅固な政治統合を導くようなEMUの発足はこうした傾向を間違いなく加速することになるだろう。

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