1994年以降に発表された邦訳論文を検索できます。

経済・金融に関する論文

金融政策の民主的管理を提唱する

1999年6月号

シェリ・バーマン プリンストン大学助教授   キャサリン・R・マクナマラ プリンストン大学助教授

政治的に高度な独立性を備えた中央銀行に、金融政策の決定権を委ねるというのが昨今の流行である。金融政策を成功へと導くには秩序立った長期的視野が必要なため、短期的で政治的になりがちな政策決定プロセスに委ねることはできない、というのがその理屈だ。だが、はたして高度な独立性を持つ中央銀行による決定が、経済を豊かにしていると言えるのか。それは、民主的統治というわれわれのシステムの基本からの逸脱を認められるほどに大切なのか。その答えはノーと言って差し支えないだろう。「ドイツ連邦銀行のインフレ・ファイターとしての役目は、この組織に法による独立性が認められていることによってではなく、むしろインフレ対策を経済政策の主要な目的とすることを市民が広く受け入れているという事実に根ざしているのだ」。中央銀行、とくに欧州中央銀行の独立性を支持する人々は、民主主義の本質はそれがつくりだす結末ではなく、その結末に至るプロセス、それが正統性を備えていくプロセスにあることを、再認識すべきではないか。

経済制裁という名の大量破壊兵器

1999年6月号

ジョン・ミューラー ロチェスター大学教授   カール・ミューラー マックスウェル空軍基地上級空軍学校

経済制裁と大量破壊兵器とのどちらが相手国の市民にとってより苦痛なのか、よく考えたほうがよい。「冷戦後」という時期で見ると、おそらく大量破壊兵器による犠牲者よりも、経済政策によってより多くの犠牲者がでている。制裁は軍事面に限定し、抑止の強化をもっぱら心がけ、市民を苦しめている経済制裁は緩和していくべきだろう。たとえ兵器ではなくても、経済制裁が人を殺すことに変わりはなく、しかも犠牲になる市民の多くが罪のない子どもたちなのだから。

「資本の流れ」を考える 

1999年5月号

セバスチャン・エドワーズ  世界銀行前チーフ・エコノミスト

グローバリゼーションが引き起こしたワイルドな資本の流れは、行き過ぎだと主張する声が高まっている。一部には、資本の流れを管理すべきだという声もある。だが、資本管理策のこれまでの歴史は憂鬱なものだ。大切なのは、資本の流れを管理することではなく、厳格な金融・銀行監督システムを確立させることである。「金融混乱の最善の処方箋は、今も昔も、健全なマクロ経済政策、十分な柔軟性を備えた為替レート、そして、効果的で分別のある規制を作り、モラルハザードや腐敗を減らすような銀行システムを構築することである」。堅固な金融枠組みを確立しない限り、新興市場経済は、いかなる資本管理策をとっても、今後も危機の第一波でもろくも崩れされるようなか弱い存在のままだろう。

新興市場のための自助ガイド

1999年4月号

マーティン・フェルドシュタイン  ハーバード大学経済学教授

一九九七年以来、世界各地を襲っている金融危機は、今後も間違いなく起こる。「死と税金から人間が逃れられないように、世界は国際経済危機から逃れられない」のだ。しかも、最後の貸手である国際通貨基金(IMF)のやり方では、うまくいかないことはすでに自明であり、韓国はその具体例である。細かな条件をつけた、小出しの救済パッケージでは、危機克服に必要とされる短期的信頼を回復できない。幸い、経常収支の赤字、短期借り入れの肥大化など、新興市場国で通貨危機を起こす犯人はわかっているし、その連鎖のメカニズムも大筋で判明している。端的に言えば、新興市場諸国にとっての悪夢である取りつけ騒ぎまがいの通貨危機に対する防波堤は、外貨準備など、流動性を増す以外にない。「大規模な外貨準備、外貨融資へのアクセスなど、大量の国際的流動性を持つ国は、通貨投機の対象にはなりにくい」のだ。知恵を絞るべきは、新興市場諸国がいかにして流動性を増すかである。

次なる金融危機に備えよ

1999年4月号

ジェフリー・E・ガーテン エール大学教授

金融危機は今後も間違いなく起こる。この点では、ワシントンとウォールストリートの見解は一致している。問題は、危機の最悪の局面は過ぎ去ったという認識、そして処方箋をめぐる見解の不統一ゆえに、すでに憔悴しきっている危機管理者たちの今後に対する決意が揺らぎかねないことだ。たしかに、各国の規制・監視・政治システムは一様ではなく、現代の資本主義を支えるにはどのような政治・経済・社会メカニズムが必要かという点での統一見解はない。ただし、「市場マジック」に対する盲目的な思い込みゆえに、新興市場で堅固な近代的銀行制度と規制システムを構築するには何が必要かが無視されていたのは間違いない。新興市場諸国のインフラ整備、先進諸国側の金融商品への監視強化、国際的な金融機関の強化とすみ分け、政治と経済のリンケージの認識など、対処すべき課題は数多い。グローバルな金融秩序の規律を正していかない限り、危機の揺れ戻しは今後も大きいままだろう。

外交問題評議会リポート
外圧と日本の変化

1999年2月号

アイラ・ウォルフ  元USTR次席交渉者

このリポートは、一九九八年十月二十二日にニューヨーク外交問題評議会で行われた、「日米経済関係の新パラダイム」に関する研究会での背景説明資料である。

カスピ海資源とOPECの教訓

1999年2月号

ジャハンガー・アムゼガー  元イラン大蔵大臣

アゼルバイジャン、カザフスタン、トルクメニスタン、ウズベキスタンという四つのカスピ海周辺諸国は、今後、間違いなく石油資源を中心とする経済ブームに沸き返ることになるだろう。だが、あり余る豊かさから、使い古しの雑巾のようなボロボロの状態へと至った石油輸出国機構(OPEC)の経験から教訓を学ばない限り、カスピ海周辺諸国もエネルギーブームの魅力が持つ危険な落とし穴にはまりこむことになろう。労なくして手にできる「石油地代」に惑わされたOPEC諸国は、社会保障や官僚制の肥大化、無節操な投資計画、効率性を欠いたインフラ整備プロジェクト、大規模な軍事支出など、財政上の「ブラックホール」を次々とつくりだした。その結果、莫大な資金を浪費して、今日の悲惨な現実に至っているのだ。OPECを反面教師として、カスピ海周辺諸国が堅実な経済運営を行い、市場経済に必要な透明性を備えた制度を確立していかない限り、限りある資源を持続可能な豊かさへ変えていくのは不可能である。

恐慌型経済への回帰

1999年2月号

ポール・クルーグマン マサチューセッツ工科大学教授(論文発表当時)

いまや、途上国はホットマネーの脅威にさらされ、成熟した経済は「流動性の罠」という危機に直面している。実際、金利ゼロでも消費者が貯蓄に走り、企業も投資しないとすれば、一体どうなるのか。これこそが懸念される「流動性の罠」だ。日本は古典的な流動性の罠にはまり、もはや金利ゼロでも十分ではない。うまく財政政策を実施できなかった背景には、高齢社会その他さまざまな観点から財政赤字を膨らますことに対する懸念があった。だが、日本に限らず、世界全体が「古風な資本主義の利点を今に呼び起こす際に、その欠陥の一部、とくに不安定化や長引く経済不況への脆さも復活させてしまった」。改革によってわれわれが手にした「資本の自由化、国内金融市場の自由化、物価安定メカニズムの確立、財政均衡を重視する規律」という美徳は、一方で政策上の制約や落とし穴を秘めていた。「早晩われわれは時計の針を少しばかり巻き戻さなければならなくなる」。今や1930年代の気配が漂い始めている。われわれは恐慌型経済の教訓を今いちど再検証する必要がある。

アメリカは「ユーロ・バッシング」をやめよ

1999年1月号

ウィリアム・ウォレス ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス(LSE) 上級講師 ジャン・ジエロンカ ユーロピアン・ユニバーシティー・インスティテュート 政治学教授

アメリカはヨーロッパ側のまとまりのなさ、同盟関係への貢献の低さ、経済の低迷、社会保障制度の問題を嘆きながらも、ヨーロッパが単独でまとまり、イニシアチブを発揮しようとすると警戒感を示す。さらに、こうした「ユーロ・バッシング」的見方は、アメリカが抱くヨーロッパ像のコンセンサスは反映していても、ヨーロッパの現実にはそぐわない。ヨーロッパは応分な貢献をなし、経済は復調し、社会保障制度も広い観点から見れば硬直化などしていない。むしろ、問題は身勝手なアメリカにあるのではないか。国際機関や国際法を都合のいいときだけ利用し、都合が悪くなれば批判あるいは無視する。そして、国内政治の力学に派生する、ちぐはぐな外交政策に関してさえ、ヨーロッパの支持を当然視するアメリカの傲慢な態度に問題はないのか。「より踏み込んだ責任分担を求めつつ、ヨーロッパ側の政策のすべてを拒絶する、現在のアメリカのアプローチでは、アメリカの最も重要な同盟諸国を離反させる危険がある」。長期的なパートナーシップには、相互の思いやりと双方向のコミュニケーション・チャンネルが必要なことをアメリカは再認識すべきだろう。

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