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2013年8月号 アベノミクスと英米経済の教訓
2013-08-10
アベノミクスと英米経済の教訓
―― Foreign Affairs Reading Guide
FAJ編集部
フォーリン・アフェアーズ リポート 2013年8月号
<失われた20年とアベノミクス>
日本に限らず、先進国の多くで経済停滞と少子高齢化によって歳入が減少し、社会保障、医療関連の歳出が膨らんでいる。現状のシステムと社会契約を維持していく限り、財政赤字と債務が増えていき、財政が破綻するのは避けられなくなる。
先進国の多くが高度成長期にあった戦後にはうまく機能した社会契約が、いまや巨大な赤字と債務として、低成長に苦しむ先進国に重くのしかかっている。
特に日本の場合、なぜかくも債務が大きく膨らんでしまったのか、その経緯も考える必要がある。90年代初頭の債務残高(対GDP比)は60%台で、プライマリーバランスも黒字だった。それがいまや債務残高は対GDP比で224%に達し、プライマリーバランスの赤字も対GDP比7%へと悪化している。(1)
もちろん、1988年から1991年に起きた資産バブルの崩壊が大きなきっかけだった。これによって、家計も企業も一気にバランスシートの改善を試みるようになり、民間需要が落ち込み、日本経済は深刻な不況に陥った。
MITのエコノミストのロバート・マッドセンによれば、バブル崩壊後の日本では「民間セクターが債務支払いに追われるなか、政府は経済規模が縮小するのを食い止めようと経済に介入し、公的部門の赤字はさらに肥大化し、この間に対GDP比債務残高はかつての3倍へと膨れあがった」(2)
この間の出来事をP・クルーグマンは、より社会経済学的なアングルから描写している。
少子高齢化と労働人口の減少によって「市場が小さくなるとの読みから、企業が投資を躊躇したのに加え、消費者も老後に備えて貯蓄に走った。日本も他の先進国同様に、次世紀における引退者への年金支払いがどうなるかを心配していた。当然、政府は財政赤字をこれ以上増やしたくないと考えた。そもそも橋本政権を増税に踏み切らせたのは、社会保障財源に対するこの長期的な懸念からだった。先行きへの期待が大きく低下した環境で、適切な景気刺激策が無責任な赤字財政と誤解され、政治家たちは回復の兆しを摘み取るような「健全」な政策に立ち返るように求める圧力にさらされた」(3)
こうして日本は、巨大な債務とデフレ、そして低成長に行く手をふさがれた経済的袋小路に追い込まれていった。そして、「流動性の罠」、「失われた20年」という言葉に象徴される地図のない経済海域における壮大な実験として導入されたのが、日銀の量的緩和策、公共投資を含む20・2兆円規模の財政政策、そして構造改革(成長戦略)の3本の矢で構成されるアベノミクスだった。(4)
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<問われる経済成長と増税と社会保障改革のバランス>
シティグループのチーフ・エコノミスト、ウィレム・ブイターを含む、専門家の多くが指摘するとおり、日本は、増税や社会保障改革を通じた歳出削減や経済成長を通じてプライマリーバランスの均衡を実現する必要がある。(5)
この点については、安倍首相もフォーリン・アフェアーズのインタビューで同じ認識を示している。「2015年度までに、われわれは、プライマリーバランス(基礎的財政収支)の赤字を半減するつもりだし、2020年までには、プライマリーバランスを黒字化する計画だ。そのためには、税収を増加しなければならない。デフレからの脱却も必要だし、経済成長も必要になる。さらに、政府支出の無駄をなくす必要がある」(6)
大きな債務を抱え込み、財政赤字は増え、しかも経済はデフレに足をとられている。袋小路から抜け出すには、経済成長を実現して体力を蓄え、その上で、増税、社会保障改革などを通じた緊縮財政をとる必要がある。ここまでの道筋は明快だ。
問題は、経済成長を最優先にすることを別にすれば、増税や緊縮財政へと舵をとるタイミングをどう判断するかにある。過去の日本政府、そして現在のイギリス政府を含む、多くの政府が、このタイミングをめぐって判断を間違え、結局、経済を停滞させ、赤字と債務を増大させている。
アベノミクスが開始されたばかりの現在の日本でも、すでに増税のタイミングが争点となっている。浜田宏一内閣官房参与は「次の四半期にも景気回復が華々しく、このまま増税しても良い状態になれば万々歳だが、そうでなければ歳入を生む源である、景気回復という金の卵を産む鶏を殺してしまうことになる」と、その時期について含みを持たせる発言をしている。(7)一方、麻生財務相は2014年4月からの消費税増税を予定通りに進める方針だと報道されている。(8)
増税や緊縮財政へと転じるタイミングに関する興味深い討論会が、「緊縮財政か、金融市場によるペナルティか」というテーマで2011年に外交問題評議会で行われている。
討論に参加したロジャー・アルトマン元財務副長官は「このままでは、アメリカもあと9年で現在のイタリアやギリシャと同じ債務レベルに達し、米国債も大幅に格下げされる危険がある」と指摘し、次のように述べている。「2012年までは、経済成長を促すあらゆる政策を重点的にとり、2013年までに、大規模な財政赤字削減計画のインパクトに持ちこたえられるように経済を回復させておく必要がある」。一方でアルトマンは2013年以降も、「景気回復をリスクにさらすことはできない」と強調している。(9)
2013年の現在、すでに、アメリカは緊縮財政へと歩を進めているが、新エネルギー資源開発による経済ブームが起きているとしても、それに持ちこたえられる経済体力を現状で持っているかどうかは、専門家の間でも意見が分かれている。(10)もちろん、2014年4月までに消費税増税に耐えられる体力を日本経済が培っているかどうかも、現状ではわからない。
<政治と金融政策と財政政策>
量的緩和などの金融政策を手がけるのが中央銀行であるのに対して、財政出動や緊縮策など、財政政策は政府が担当する。そして、財政政策は往々にして政治に左右される。
厄介なことに、アメリカの場合、共和党は減税策と歳出削減を通じて債務を削減することを求め、一方の民主党は現在の政府支出レベルを維持・拡大し、そのための増税策を求めている。党派ラインで何を優先させるかが完全に割れている。(11)
こうして政治が膠着状態に陥り、財政政策の先行きに不透明感が漂い始めると、もっぱら金融政策に多くの関心と期待が寄せられるようになった。
アラン・グリーンスパンの後任としてアメリカの金融政策を取り仕切っているのは「デフレ克服のためにはヘリコプターからお札をばらまけばよい」と発言したことで知られる、ベン・バーナンキFRB(連邦準備制度理事会)議長。
バーナンキは2009年、2010年、2012年の3度にわたって量的緩和を実施し、2012年1月には2%のインフレターゲットも導入した。
だが、2013年6月19日、連邦公開市場委員会後の記者会見で、ついに「ヘリコプター・ベン」も資産買い入れの縮小に言及した。彼の発言の意図をめぐってはさまざまな憶測が飛び交っているが、アダム・ポーゼンも、ブラッドフォード・デロングも、バーナンキは本気だとみている。
ポーゼンは、一定の条件をつけながらも、「(バーナンキは)2014年1月に新しいFRB議長が就任する頃までには、資産買い入れを完全に止めるつもりだと思う」と語っている。(12)
一方、デロングは「非伝統的な金融政策からは可能な限り、手を引いていくという立場を示唆した」バーナンキは、実質的に、「依然として経済が停滞しているのは議会と大統領のせいだと言っているようなものだ」と述べている。自分たち(金融当局)はやれるだけのことはやった。それでも「経済が停滞している現状は、財政当局(政治)の責任であり、いまや金融当局としては、長期的な金融の安定に配慮しなければならない。これが彼の本音だろう」とデロングはバーナンキの胸の内を分析している。(13)
<景気刺激策から緊縮策への危険な道のり>
すでにヨーロッパ、特にユーロ圏周辺国では、2010年以降、歴史的教訓からインフレを強く警戒するドイツが主導して緊縮財政が実施されている。アメリカも、政治的膠着状態が続いた結果、国防予算、裁量支出の強制一律削減へと歩を進めている。だが、専門家の緊縮財政に対する見方は厳しい。
デロングは、緊縮財政のマジックを通じて「信用の妖精」が現れ、経済に繁栄の祝福が降り注ぐという、1930年代に信じられていたのと同じ呪文が今も繰り返し唱えられていると状況を批判し(14)、マーク・ブリスも「政府支出を減らして、成長を呼び込めた歴史的事例は存在しない」と緊縮財政のリスクに警鐘をならしている。
ブリスは、緊縮財政が唯一機能するのは、「経済ブームに沸き返る大国を輸出市場にもつ小国がそれを実施した場合だけだ」と指摘し、むしろ、シュンペーターの言う「創造的破壊」を可能にするのは「ケインズ主義の浪費」、つまり、十分すぎるほどの政府支出だと結論づけている。(15)
最近まで、イングランド銀行の金融政策委員会外部委員を務めたアダム・ポーゼンは、タイミングを間違えて緊縮と増税に転じた例として、最近のイギリスをあげている。「すでに経済が悪い状態にあり、銀行部門が問題を抱え、しかも近隣国のすべてが緊縮財政を試みているときに、緊縮財政を実施すれば、その衝撃は非常に大きなものになる」。まさに、イギリスはこの状況で緊縮路線をとってしまったと述べている。(16)
さらにポーゼンは、現在の日本を例に引いて、次のように指摘している。
「スペイン同様に、イギリスが自国の経済を袋小路に追い込んでしまったのは、中途半端な金融緩和策をとり、一方で財政緊縮策をとってしまったからだ。現在の日本は、イギリスとは全く逆のことをしている。日本銀行はついに、われわれが求めてきたような、大胆な量的緩和策をとり、経済は回復しつつある」
問題はここからだ。
その多くが優れた教訓になるとはいえ、日本とアメリカやヨーロッパでは、経済構造も、通貨も違い、ここに紹介してきた事例を普遍的にとらえるのは、少し無理があるかもしれない。しかし、デフレ脱出と経済成長には量的緩和が必要であること、拙速な増税策や緊縮策をとれば、それまでの経済成長を刺激する試みが水泡に帰すことは、多くの専門家にとって自明のことのようだ。
世界的に著名な投資家レイ・ダリオは「日本やアメリカで強気相場と弱気相場が繰り返されているのは、量的緩和が実施されると強気相場となるが、いずれ量的緩和には問題があると考えられるようになるからだ」と指摘した上で、緊縮財政と量的緩和のバランスを次のようにまとめている。
「緊縮財政はデフレをもたらす。量的緩和にはインフレ効果がある。これらをうまくバランスさせなければならない。これを私は美しいデレバレッジと呼んでいる。重要なのは、十分な資金を提供し、名目金利を上回る名目成長率を維持すること。そして、資金を必要とし、経済を刺激するポイントに資金を行き渡らせられるかどうかだ」(17)
ここにおける敵は、通貨供給量を増やしても資金が動かないこと(18)、あるいは想定外のインフレ、バブルが起きてしまうことだ。
日本で資金が動き始めているとすれば、つまり、実体経済が刺激されているとすれば、将来への明るい展望を抱かせ続け、「歳入を生む源である、景気回復という金の卵を産む鶏を殺してしまわないように」、政府が景気刺激策から増税策・緊縮策へとどのタイミングでギアチェンジを計るか、そしてどのタイミングで日銀が量的緩和から金融引き締め策へと転じるか、が問われる。
<政治と未来ビジョン>
一方で、量的緩和や財政出動から金融引き締め、緊縮財政へとギアを入れ替えるタイミング同様に、今後を左右する非常に大きなもう一つの要因がある。構造改革(成長戦略)と財政政策が効率的、合理的に政治的抵抗や思惑を排除して未来ビジョンに基づいて実現されるかどうかだ。
ファリード・ザカリアは先進国の改革を阻んでいるのは政治だと指摘する。「停滞する先進国が本当に必要としているのは、競争力を高めるための構造改革、そして、将来の成長のための投資に他ならない。問題は政治領域にある。政治が、効率的な改革と投資を阻んでいる」(19)
少子高齢化、産業の空洞化、輸出入バランスの変化に象徴されるように、日本の社会と経済は質的な変化を遂げつつあり、新しいモデルとビジョンを必要としている。少子高齢化で労働力が減少していく以上、輸出主導型経済に回帰しようと試みても、おそらく、未来は切り開けない。長期的に考えれば、日本は頭脳(研究開発・技術革新部門)だけを国内に残し、胴体(工場)をもっとも生産に適した外国に持つヘッドクォーターステート(頭脳国家)を目指すべきだという専門家の提言もある。(20)
財政出動・金融緩和から増税策・緊縮策へのギアチェンジが経済状況に即して柔軟かつ慎重に行われ、構造改革と財政政策が、少子高齢社会の現実を踏まえた社会契約の再定義を含む、近未来の日本を見据えた社会経済ビジョンに即して実施されることを期待したい。●
FAJ編集部(竹下興喜)
(1) 債務残高の国際比較(対GDP比)、財務省ホームページ。プライマリーバランス、財務省資料「25年度予算のポイント」
(2) 「衰退する日米欧経済」ロバート・マッドセン(2013年1月号)
(3) 「恐慌型経済への回帰」ポール・クルーグマン(1999年2月号)
(4) 「アベノミクスと日本経済 ―― 過激なケインズ主義のリスクとベネフィット」ベイナ・シュウ(2013年5月号)
(5) 「ウィレム・ブイターが語る先進国の財政問題とソブリンリスク ― アメリカも日本も潜在的リスクにさらされている」ウィレム・ブイター(2010年6月号)
(6) 「復活した日本 ―― 安倍晋三首相との対話」安倍晋三(2013年6月号)
(7) Real-Japan.org(2013年7月18日付)http://real-japan.org/
(8) 朝日新聞(2013年7月20日付)
(9) 「緊縮財政か、金融市場によるペナルティか ―― 2013年からの赤字削減に備えよ」ロジャー・アルトマン、マイケル・マンデルバーム、ジョージ・ステファノポロス(2011年3月号)
(10) 「世界経済アップデート ―― 米経済の回復、アベノミクス、中国経済」ルイス・アレキサンダー、シメオン・ジャンコフ、ビンセント・ラインハルト(2013年8月号)、「第2の大恐慌か ―― まだ緊縮財政のタイミングではない」J・ブラッドフォード・デロング(2013年8月号)
(11) 「増税か歳出削減か ――なぜアメリカの貧困率は高いのか」アンドレア・ルイス・キャンベル(2012年10月号)
(12) 「金融政策と財政政策の間」アダム・ポーゼン、J・ブラッドフォード・デロング(2013年8月号)
(13) ibid.
(14) 「第2の大恐慌か ―― まだ緊縮財政のタイミングではない」J・ブラッドフォード・デロング
(15) 「緊縮財政という危険思想」マーク・ブリス(2013年5月号)
(16) 「イギリスがEUから脱退すれば ―― ヨーロッパもイギリスも敗者となる」チャールズ・クプチャン、アダム・ポーゼン(2013年8月号)
(17) 「『美しいデレバレッジ』とは ―― デフレとインフレの間」レイ・ダリオ(2012年11月号)
(18) 「不安定な新世界、動かない資金」ローレンス・フィンク(2012年4月号)
(19) 「先進民主国家体制の危機 ―― 改革と投資を阻む硬直化した政治」ファリード・ザカリア(2013年2月号)
(20) 「高齢社会が変える日本経済と外交」ミルトン・エズラッティ(1997年6月号)