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2005年10月号 選択肢を選択することの意味
2005-10-10
アメリカ人は何でも選択しなければ満足しない。レストランでも、ドレッシングの種類、卵の焼き方、パンの種類に至るまで、ありとあらゆる選択肢が用意されているし、骨折して手術をする際にも、担当医にどの程度の手術をするかの選択肢とそれぞれに必要な時間と金額を示され、それを選ばされる。むろん、責任は、特定の選択肢を選んだ側にある。当然、消費者として鍛えられ、選択肢を見る目も、判断する基準も厳しくなる。こうして規制緩和が広がり、選択肢が増え、社会はカラフルになる。
アメリカの外交文書にも、大統領が決断を下すのに必要な情報と選択肢のメニューが用意されている。現状の問題点が何で、どの路線をとるのが好ましいかの提言を示した上で、判断の根拠としての歴史分析・現状分析が示され、複数の選択肢が示される。
世界の多くの地域で反発を買っているアメリカ外交をどう立て直すか。混迷の極みにあるイラクをどうするか。フォーリン・アフェアーズ論文は政府の外からの選択肢づくりを試みる。
リアリストの政治学者スティーブン・ウォルトは「パワーバランスの維持は地域諸国に委ね」、アメリカが介入するのは、「死活的なアメリカの利益が敵対勢力によって脅かされている」場合に限定せよと20世紀米外交への回帰を説く(「アメリカの強大化と世界の反発」)。かたや、戦略問題の専門家であるアンドリュー・クレピネビッチは、イラクのゲリラ勢力と各勢力の政治的思惑を分析した上で、「イラク市民の人心を勝ち取り、米市民の支持と米兵の士気を保つ」ことがイラクの窮状を打開する現実的な路線であるとする説得力に満ちた戦略を示している(「イラクで平和を勝ち取るには」)。この論文はすでにワシントンで大きな話題になっている。
顧みれば、レーニンも20世紀初頭に「資本主義に代わる選択肢」として社会主義を位置づけて、大きな流れをつくり出した。その後、毛沢東は、農民を「土地なきプロレタリアート」と呼ぶことで、労働者のいない国での社会主義革命を試みる。「資本主義の最終段階である」日本帝国主義による侵略と、「地主制度と封建主義」を重ね合わせることで、抗日ナショナリズムと農地改革を結びつけ、農民の内外の現状に対する不満に応える選択肢をつくり出してみせた。
そして、2005年9月11日。日本の有権者が「ついに選択肢が与えられた」と判断したのか、「選択肢が与えられたと錯覚したのか」はまだわからない。自民党の圧勝に終わった選挙の意味するところが、「日本経済の社会主義構造」を支えることで政治権力を維持してきた自民党が、自由主義的で市場志向の社会・経済改革と党改革を重ね合わせた結果なのか、それとも、郵政民営化だけで社会・経済改革も、党改革も終わってしまうのか、まだわからないからだ。
選択肢に乏しいことの憂鬱を知る日本人にとっても、選択肢のないネパール民衆の悲劇は衝撃だろう。「ネパール人の多くはもうどうにもならないと感じている。毛沢東主義派に食料や隠れ家を提供することを拒むと『階級の敵』『反動分子』として処刑され、たとえ不本意であっても食料や隠れ家を提供すると、今度はネパール国軍に毛沢東主義派との共謀の罪に問われる」(「ネパールの大いなる危機」)。
状況をどう変えるのか。選択肢があれば、人は判断を下し、未来に希望を託し、行動を起こす。むろん、その結果は引き受けなければならない。だが選択肢がなければ、現状に押しつぶされて気力を失い、没価値に陥るか、過去のやり方にしがみつくしかなくなる。まともな選択肢がない場合には、「選択しないことを選択して」社会から距離を置こうとする人もいるだろう。
決定と責任を「お上」に丸投げし、政党でさえもまともな選択肢を示さない時代、そして、政府の選択肢を各論的に批判することがリベラルな選択肢と錯覚される時代が、ついに日本でも終わり、経済構造の変化が政治構造の変化を促していることを期待したい。●
(C) Foreign Affairs, Japan