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2005年8月号 ヨーロッパの異邦人とイスラム過激派の出会い  

2005-08-10

「子どもたちに教育の機会を与えようと異国に移住した親たちは、結局、子どもたちとの絆を失ってしまった」。シンガポールの政治指導者リー・クアンユーは、1960年代にオーストラリアに移住した中国系マレーシア人の家庭で起きたアジアの伝統的価値を重んじる親と、英語で教育を受け、両親とは異なる西洋的価値観をもつようになった子どもの間の世代断絶をこう嘆いた。
雇用、高賃金、子どもや自分の教育の機会を求めて、あるいは、政治的、宗教的、民族的弾圧から逃れようと、いつの時代にも人は国境を越えて移動してきた。だが、新しく異質な環境のもとで暮らすようになると、新しい文化や価値観と、母国の伝統的文化や価値観の間の矛盾に苦しむことも多い。
第二次世界大戦後には、イスラム世界からヨーロッパの旧宗主国へと大規模な人の移動が起きた。フランスへ向かったアルジェリア人、スペインへ向かったモロッコ人、オランダへ向かったインドネシア人、そしてイギリスへ向かったパキスタン人。彼らは、戦争で疲弊したヨーロッパの経済再建のために招き入れられたイスラム系労働者だった。だが、ヨーロッパに向かったイスラム系移民の多くは、新天地で経済的に成功できずに、故郷のことを常に思いながら、ヨーロッパの片隅で貧しい生活を送ることになる。
ヨーロッパで生まれ育ったイスラム系移民2世も、オーストラリアへと移住したマレーシア系移民の子ども同様に、西洋の言語を流暢に話すようになるが、イスラム系移民2世は、大きな社会的壁の存在を感じるようになる。彼らの一部は、親の世代の穏健なイスラム的価値観だけでなく、ヨーロッパの価値観や文化も拒絶し、自らのアイデンティティーが何であるかを深く悩むようになる(注1)。
リー・クアンユーが指摘するように、例えば、90年代のアジアのように経済成長が急激な近代化をもたらせば、異国ではなく、母国で暮らしている場合でも、人々の価値観は混乱する。近代化による新しい価値と伝統との衝突が起きると、自らのアイデンティティーを宗教や民族に重ね合わせる人々も出てくる(注2)。とすれば、親の世代の文化的伝統にもヨーロッパの価値観にもなじめず、貧困のなかで、自らのアイデンティティーに苦悶するイスラム系移民2世が、親の世代とは違う、より純度の高いイスラム原理主義に魅了されるとしても不思議はない。
そこに魔の手が待ち受けていると、ロバート・S・レイケンは指摘する。
サウジアラビアの資金援助を受けている過激派イマームを含む「アウトサイダー」が、ヨーロッパの価値観にも親の世代の文化的伝統にも不満を募らせる移民2世という西洋の「インサイダー」をテロリストとしてリクルートしようと、ヨーロッパでモスクを立ち上げて新ジハードの戦士のリクルートを行っている。イスラム過激派は犯罪組織や刑務所などの地下組織と接触しているだけでなく、「ヨーロッパのカフェ、簡易礼拝堂、イスラム系書店、学校で」イスラム系移民2世をリクルートしている、と。
一方、フランスを例外とするヨーロッパ諸国の多くは、リベラルな思想の下で、移民の文化や宗教を受け入れる多文化主義をとってきたが、レイケンによれば、ヨーロッパでは「そうした多文化主義が結果的にテロを増幅させてしまった」という認識が高まり、リベラリズムと多文化主義のなじみが悪くなってきている。「キリスト教が衰退し、世俗主義とイスラム教が台頭するなか」、ヨーロッパはいかにして社会の凝集力を保っていくのかと彼は問いかける(「ヨーロッパで誕生する新ジハードの戦士」)。
テロが現象である以上、テロ集団を対象とする軍事作戦だけではモグラ叩きに終わる。現象を作り出す社会背景を改善していかないことには、テロ問題を管理できるようにはならない。アメリカは、対テロ戦争を戦うだけでなく、すでに中東の民主化という名の下、テロを育んだ中東の抑圧と貧困の緩和への地道な取り組みを始めている。マドリード、そして今回のロンドンでのテロを経たヨーロッパは、今後、外からのイスラム過激派の侵入を阻止するだけでなく、内なる移民コミュニティーのヨーロッパ社会への同化という遠大な課題に直面することになる。●
注1 ”EUROPE:Integrating Islam”, by Esther Pan, staff writer, www.cfr.org
注2 Fareed Zakaria, “A Conversation with Lee Kuan Yew,” Foreign Affairs, March/April 1994.

(C) Foreign Affairs, Japan

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