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2005年7月号 脅威への事前対応か、事後対応か  

2005-07-10

昨今では、核拡散問題、テロ、感染症など、「はっきりとは認識しにくいものの、脅威が現実になれば、手の打ちようがなくなる問題」がますます増えてきている。これらの問題がやっかいなのは、専門家の目には明らかに脅威と映っても、市民がその認識を共有することはなく、その結果、政治的対応も事後的になり、しかも、脅威認識に各国間でばらつきがある場合は、国際協調を政治的にとりまとめるのも難しくなることだ。
「死者に香典は出しても、病人の薬代は出さない」。問題が深刻にならない限り、政治的対応がとられないことのジレンマについて、ブトロス・ブトロス・ガリ前国連事務総長は、かつてこう皮肉った。
たしかに、脅威が先鋭化し、市民が脅威認識を共有するようになる前に、大きな資源とコストを必要とする対応策をとるのは政治指導者にとって大きなリスクとなる。リスクを冒して行動を起こしても、対応策が目にみえる効果をあげなければ、政治的に糾弾される。成功しても、問題が回避されたことの恩恵が実感されにくいため、正当に評価されにくい。かくして、これらの問題は政治的に放置されがちとなり、脅威は肥大化していくことになる。
そうなりかねないのが鳥インフルエンザへの対策だ。
ピュリツァー賞受賞ジャーナリストのローリー・ギャレットが指摘するように、H5N1鳥インフルエンザウイルスが変異を重ねて人から人に感染するようになり、1918~19年に世界で5千万人から1億人の犠牲者を出したと考えられるスペイン風邪を上まわる「人類がこれまで経験したことのない規模の」感染症が流行する危険があるとすれば、政治家が状況を放置することは許されない。
「H5N1鳥インフルエンザウイルスが変異して、人間同士で感染し、大流行するウイルスになるかどうか。少なくとも科学的データは、そう遠くない未来にそれが現実となり得ることを示唆している」とギャレットは指摘している(「鳥インフルエンザが人類社会を襲う?」)。
核拡散問題も、社会的にはあまり認識されないが、脅威が現実と化せば、もはや打つ手がなくなる問題の一つだ。逆に言えば、自国の核開発に関して威勢のよいプロパガンダを流し続ける北朝鮮のやり方は、本来認識されにくい問題への外国での認識を高めることになり、関係国の政治家は対応策をとりやすくなる。
加えて、最近では、「ソウル・トレイン」という北朝鮮からの脱北者を描いたドキュメンタリー・フィルムがアメリカで劇場公開され、北朝鮮の人権問題や拉致問題、脱北者への中国の冷淡な対応への社会的関心も高まりつつある。ニューヨークの外交問題評議会(CFR)でも、2004年12月にこの映画を撮影したプロデューサーとサム・ブラウンバック米上院議員を招いた討論会が開かれている。
だが皮肉にも、こうしたアメリカでの社会状況が、6者協議を通じて北朝鮮の核開発問題の解決を現実主義の立場から目指してきたワシントンの政策決定者に新たな課題をつくり出しつつある。
核問題に加えて、北朝鮮の人権問題、拉致問題、抑圧体制がアメリカ社会で広く問題として認識されるようになれば、これらの問題を無視して、核開発計画の解体と引き換えに経済支援や体制の安全を保証するという現在の取引構図が「道徳的」に疑問視されるようになるからだ。
実際、政治学者のジョセフ・ナイは、「アメリカ市民が、自国の国益のなかに人権の擁護などの特定の価値が含まれ、それを海外で広めることも国益に含まれると考えているのは明らかであり、グローバル化の時代にあっては、道徳外交と現実主義外交の区別はできなくなっている」と指摘している(ジョセフ・ナイ「情報化時代の国益」フォーリン・アフェアーズ日本語版1999年7月号)。
カーネギー国際平和財団のジョセフ・シリンシオーネは、北朝鮮問題をめぐるブッシュ政権内部の対立について、「問題は核兵器の開発だけではないと考え、平壌の政権を崩壊させることを目的に据える人々と、核開発の解決を目標に据え、政権の存続は認めてもよいと考える人々の衝突である」と指摘し、そこに「道徳主義」と「現実主義」の対立が存在することを示唆している(「北朝鮮路線をめぐるブッシュ政権内の対立」)。
CFRの会長リチャード・ハースが、現実主義の立場から、あえて「政権交代策の限界」というタイトルの論文をまとめ、外交的解決の必要性を強く訴えているのも、こうした社会背景、政治状況がアメリカで生まれつつあることの裏返しなのかもしれない(「悪の枢軸と政権交代策の限界」)。
現在行われている6者協議でどのような結果ができるかはわからない。だが、すでにはっきりとしていることが三つある。ブッシュ政権が今回の6者協議を最後の外交交渉にするつもりであること。ブッシュ政権内に北朝鮮路線をめぐる対立があること。そして、北朝鮮が核開発計画の解体に応じれば、大規模な援助を提供すると韓国が約束していることだ。「外交的決着か強硬策か」へと選択肢は狭められてきている。
歴史認識、靖国参拝問題で揺れてきた東アジア秩序は、実際には、「北朝鮮問題へのアメリカの認識の質的変化」と鳥インフルエンザという、わかりにくくはあっても、秩序を根底から覆しかねない大きな要因によって足元をすくわれかねない状況にあるのかもしれない。●
(C) Foreign Affairs, Japan

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