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2019.10.18 Fri
強権者たち
―― 支配と強制のメカニズム
青年期のプーチンが信じたのは、学校で強制されるマルクス・レーニンのイデオロギーではなかった。それは、英雄的な超大国のイメージ、廃れてはいても依然として野心を捨てていないホームタウン、サンクトペテルブルクの帝国的な壮大さだった。若手のKGBエージェントだった当時から、そうした帝国思考をもっていたとすれば、その多くが「永続的な不安」によって規定されている長期支配のパラドックスに直面しているいまや、彼の帝国への思いと志向はますます大きくなっているはずだ。(グラッサー)
胡錦濤の後継者として習を指名した2007年当時、共産党幹部たちも「自分たちが何をしたのか分かっていなかった」ようだ。最高指導者となって以降の最初の200日間で、彼は驚くべきペースで変化をもたらした。しかも、2017年に彼は国家主席の任期ルールを撤廃し、実質的に終身指導者への道を開いた。だが、中国経済が停滞すれば、どうなるだろうか。2022年後半の次期党大会前に、習による行き過ぎた権力集中は彼自身を悩ませることになるはずだ。・・・(マクレガー)
これまで経済・政治の自由化を約束してきたエルドアンが、なぜ非自由主義的な権威主義路線の道を歩んでいるのだろうか。エルドアンの本来の目的は、保守的な社会秩序を維持する一方で、クルド人などの国内の少数派民族・文化集団との関係を修復していくことにあった。しかし、クルドとの和平に失敗したことからも明らかなように、「スンニ派イスラム」だけでは、21世紀に向けた持続的な政治秩序を育んでいくトルコのアイデンティティを形作れなかった。こうしてエルドアンは、伝統的な権威主義的ナショナリズムへと立ち返らざるを得なくなった。(カラベリ)