香港と天安門の影
―― 繰り返されるエスカレーションの連鎖
2019年10月号
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香港での抗議行動が続き、住民の行動がさらに怒りに満ちたものへ変化していけば、介入の前提とされる大義と正当化の理屈を北京に与えることになる。1989年の天安門でのデモ活動は、中国共産党に対抗する力強い運動はつねに抜き差しならぬ対立に終わることを教えている。実際、民主的理想主義に突き動かされた抗議行動への対処策については、北京は抑圧以外に頼るべきツールをもっていない。中国という祖国が拒絶され、批判され、その名誉が傷つけられていると感じれば、習近平が介入を躊躇うことはない。1989年6月4日、鄧小平はついに抑制をかなぐり捨て、天安門のデモ隊を虐殺した部隊の投入を命じた。当時と現在の状況が驚くほど似てきているだけに、香港が同じような結末にならないか、いまや憂慮せざるを得ない状況にある。