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テーマに関する論文

日本の官僚制を擁護する

1998年9月号

ピーター・F・ドラッカー クレアモント大学大学院教授

アメリカ人は、国家安全保障が脅かされぬ限り、政治決定において最優先されるのは経済だとみるが、日本人は、社会を第一に考える。日本では「政策の社会的衝撃がどのようなものになるか」が主要な関心事であり、世界的にみれば例外は、むしろ経済第一主義をとるアメリカのほうだ。未曽有の金融危機を前にしても、日本の官僚が経験知による教訓から先送り戦術にこだわるのは、経済そのものよりもむしろ諸問題の社会的衝撃を懸念しているためだ。一般に、その存在が社会的に受け入れられている社会エリートたちは、自らを脅かす強力な代替的存在が出現しない限り、権力を維持し続けるもので、日本の官僚も例外ではない。よって、ワシントンの対日政策は、今後も日本では社会的混乱の回避を最優先とする官僚主導型の政策決定が行われるという前提を踏まえたものでなければならない。「日本で社会的混乱が起きれば、現在のワシントンの働きかけによって得られる目先経済の利益など吹き飛ばしかねない」のだから。

ロシア経済再生の条件

1998年9月号

グリゴリー・ヤブリンスキー 穏健改革派政党「ヤブロコ」党首

ロシアの経済を牛耳っているのは、闇世界とのつながりを持ち、巨大企業やメディアを所有する、一握りの寡頭政治の支配者=悪徳資本家たちである。その結果、賄賂や腐敗が横行し、富のほとんどは彼らに独占され、法律が順守されることもない。 「犯罪に毒された市場が効率的に機能することはあり得ず、未来への確信が持てないため、だれも投資などしない。」これでは、市場経済も民主主義も定着しようがない。市場経済民主主義をめざすのであれば、何よりもビジネスと政治を切り離し、私有財産と競争に基づく市場経済を整備し、報道の自由を確立させなければならない。さらに法治主義と司法権の独立を保障し、民意を汲み取れる政党制を強化する必要もある。ロシアが寡頭制ではなく、民主政治をめざすのであれば、決断を下す時期は今であり、この決断は欧米世界にとっても他人事ではないはずだ。

山積する温暖化防止の課題

1998年9月号

ヘンリー・D・ジャコビー マサチューセッツ工科大学(MIT)教授  ロナルド・G・プリン  MIT教授 リチャード・シュマレンシー MIT教授

京都合意は失敗でも成功でもなく、「気候変動枠組み条約第一回締約国会議で提示された問題に、政治的な応急処置を施したにすぎない」。京都以後の道のりを成功へと導くには、政策決定者たちは長期的考えにより多くの時間を費やすべきで、とくに途上諸国の参加、温室効果ガスの排出削減を可能にし、なおかつ経済成長にも貢献できるような新技術の研究・開発の強化、排出権取引をめぐる柔軟な措置の導入が不可欠である。実際、今後これらの課題を満たせないのであれば、「京都合意をすべて解体し、意見が変わった時に新たに交渉を始めるほうが、まだましだろう」。気候変動という問題については、世界はまだ取り組み始めたばかりで、京都以後の道のりには、さまざまな具体的課題とともに、排出権取引を管理する長期的に持続可能な国際システムの構築の準備という難題が待ち受けている。

迫りくる中国の激震

1998年9月号

ニール・C・ヒューズ  前世界銀行シニア・オペレーションズ・オフィサー

国有企業は単なる「職場」ではなく、労働者やその家族に各種サービスを提供するコミュニティーである。しかし、今や国有企業はひどく非効率となり、これが生き長らえているのは、ひとえに政府の補助金政策のおかげである。経済改革を成就するには、「鉄飯碗」として知られるこのコミュニティーを崩す必要があるが、それは同時に改革プログラムを政治的に支えている社会的安定基盤も揺るがしてしまう。だが現実には、政府は国有企業の多くを閉鎖せざるを得ず、その場合には千五百万人もの労働者が失業し、その多くが抗議行動に繰り出すことになるだろう。社会的、政治的激震を回避するには、企業、労働者、中央政府、地方政府が負担義務を分かち合う、国による社会保障システムの構築、さらには労働者のための職業再訓練プログラム、公共事業の準備が不可欠であり、その準備のために中国政府に残された時間は少ない。

京都合意は間違っていない

1998年8月号

スチュアート・アイゼンシュタット 米国務省次官

「国際的に一律な炭素税の導入に向けた合意形成のほうが、排出削減目標を設定するよりも簡単だろう」とみなすクーパーの考えは、政治的に現実離れした見方と言わざるを得ない。

真の温暖化防止には炭素税の導入しかない

1998年8月号

リチャード・N・クーパー ハーバード大学経済学教授

地球温暖化という遠大な問題を、政府間の条約だけで防止しようとする試みには基本的に無理がある。条約は国境を超えた大まかな「責任分担」の手立てと、目的の達成に向けた国際的規律を与えるにすぎない。数億単位の世界市民がライフスタイルを根本的に変えない限り、変化は起きないはずだ。行動を起こさないわけにはいかないが、それでも気候の変化が人間にどのような影響を与えるかについての明確な科学的根拠がない状態で、世界規模での排出削減目標を国ごとに割り振る、京都会議(気候変動枠組み条約第三回締約国会議)での合意は、その実現を不可能とするほどに多くの議論を呼ぶ可能性が高く、客観性、公正さだけでなく、現実性に欠ける。温暖化防止という目的に関して国際的な合意があるのであれば、それを実現する互恵的で普遍的な「手段」を各国が共有することこそ大切であり、国際社会は化石燃料の使用に対するほぼ一律の炭素税課税のような、互いに合意できる行動を基盤にこの問題に取り組んでいくべきではないか。「税金は社会的に有用な活動よりも、有害な活動に課したほうが有益である」という真理のなかに問題の解決策があるはずだ。

アジア経済危機は中国にも波及するか

1998年8月号

ニコラス・R・ラーディ ブルッキングス研究所上席研究員

「不正行為、腐敗、(金融への)政治的影響力の強さ」というアジアの諸問題の背景をなす銀行支配型金融システム、中央銀行の独立性と商業銀行規制の弱さという側面は中国にも認められ、膨らむ一方の不良債権というアジア経済の共通問題も、赤字だらけの国有企業を抱える中国にとって同様に深刻である。ではなぜ、アジア危機の悪影響を今のところ中国はほとんど受けていないのか。それは、東南アジア諸国とは対照的に、「資本勘定の交換性」が存在せず、中国が外貨建ての取引を厳格に規制しているため、海外、国内の投資家の行動がひどく制約されているからにすぎない。国有企業、銀行の改革を終えたわけでも、市場化、商業化を果たしたわけでもない以上、経済改革そして中国経済の行方は、いまだ予断を許さない。

台湾海峡紛争をいかに回避するか

1998年7月号

チャス・W・フリーマン 米中政策財団共同会長

二年半前、米中両国は、双方とも望まず、予期もしていなかった軍事的対立局面へと引きずり込まれた。しかし、一九九六年三月に起きた米空母と中国の戦艦および陸上配備ミサイルによるこのにらみ合いは、今にして思えば、有益な効果があったようである。両国はこの危機を通じて米中関係をうまく管理することがいかに大切で、この二国間関係の管理のための中核的要因が、いまなお台湾の地位であることを思い知らされたからである。
以来、米中政府は、一連の二国間問題や国際的問題に関する相互尊重に基づく対話チャンネルの確立にむけて努力してきた。首脳会談やその他の高官による会談が、再び米中外交の常態となり、その後、台湾海峡で軍事対立は起きていない。昨年秋、クリントンは江沢民と会談したさいに、中台間の対話ができるだけ早く再開されるようにと促し、対話決裂についての互いの非難合戦という三年間を経て、北京と台北は、どのようにして会談をもち、そこでどのような問題を取り上げるかについての具体的提案を最近になって交換しはじめた。
かえりみれば、九五年六月に李登輝総統が米国を訪問するまで、中台関係は、非公式の経済文化的交流や対話を通して、和解の方向へ向かいつつあった。海峡を挟んだ二つの勢力間には、なんらかの再統合策をつうじた「一つの中国」という理想およびその必要性についての合意が存在した。米国も支持していたこの合意は、平和と交渉しやすい雰囲気をつくり出していた。しかし、今ではこの合意も崩壊している。しかも台湾は、米国の軍事的後ろ盾によって独立運動を起こせると思いこんでいるようだ。戦争を未然に防ぐには、ワシントンは、北京と台北が、お互いに受け入れ可能な関係を形成する時期にきていること、そして、現状を一方的変化させるような試みは、それがいかなるものであれ、受け入れられないことを双方に納得させなければならない。

二十一世紀もまたアメリカの世紀となる

1998年7月号

モーティマー・B・ザッカーマン  U. S. News and World Report社会長

アメリカ経済の好調ぶりは偶然ではなく、その好調が当面続くとするニューエコノミー論もまたまやかしではない。この成功は、「一匹狼的な人材を育て、若者を育み、新来者を歓迎し、下からわき上がってくるエネルギーや才能に対して驚くほど開放的」なアメリカ文化が、「グローバル経済」の必要性に見事に適合したことによって実現した。過去における危機を教訓につくり出された透明な会計システムを背景とする果敢な投資行動と金融商品の多様化、海外の労働者の賃金が自らの雇用に影響を与えることを理解している順応力に富む「労働者」、進取の精神を理解する投資家と緩やかな規制によって育まれた先鋭的「小規模企業」。これが、情報革命を機に産業経済から「サービス・情報経済」へと移行したアメリカにおける、低いインフレと高い成長の両立を可能としているのだ。好調は当面続き、二十一世紀もまたアメリカの世紀になるだろう。

アメリカの驕りを糺す

1998年7月号

ポール・クルーグマン マサチューセッツ工科大学経済学教授

GDPの伸び率がほぼ四%に達し、失業率もこの二十五年来最低の四・六%。しかも、インフレも二%以下という低レベル。このアメリカ経済の好調ぶりが、ヨーロッパ、日本、アジア経済の停滞とあいまって、アメリカはひとり景気循環の波を克服したとする「ニューエコノミー」論の台頭を促している。だが低い失業率は、主に労働市場における一過性の要因がもたらした一時的現象で、当然持続可能なわけではなく、インフレの兆候もすでに出始めている。加えて、言われるような「数字に表れない生産性の劇的な向上」が達成されたわけでもない。若干低めの失業率で成長を遂げたといっても、ニューエコノミーはオールドエコノミーとかなり似通っているのだ。米国で穏やかなリセッションが起こり、ヨーロッパ経済、日本経済が穏やかな回復を示し、新興アジアが急激に復活すれば、その虚構は打ち砕かれるはずで、そうなる可能性は決して低くない。

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