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テーマに関する論文

中東における反米主義の本当の起源 ―政治的ツールとしての反米路線

2002年11月号

バリー・ルービン  国際関係グローバル・リサーチセンター所長

アラブ世界で反米主義が花盛りである理由は、アメリカの政策に民衆が反発しているからではない。アラブ世界の急進派だけでなく、穏健派の政権にとっても、反米を煽り立てるのが、国内の支持をとりつけ、たいしたコストも支払わずに政治的目的を実現する上で限りなく好都合だからだ。ワシントンが譲歩をこれ以上重ねれば、彼らはますますアメリカを侮辱する態度をとるようになり、反米主義路線を取ることの魅力をますます高めてしまう。反米主義を作りだし、煽るような中東のシステムやメカニズムが淘汰されて初めて、大衆の立場も変化してくることを認識する必要がある。

GPSとガリレオ-協調か対立か

2002年11月

リチャード・ガーウィン  外交問題評議シニア・フェロー(科学技術担当)

今回の討論は、欧州連合(EU)が最近開発を進めている衛星ナビゲーション・システム(ガリレオ)について、また、ガリレオがアメリカの戦略的、政治的、経済的利益に与える影響について考察することを目的とする。アメリカとEUがGPSとガリレオとの間の互換性と相互運用性を確保するように協調するならば、ガリレオは世界中のユーザーが使用する衛星ナビゲーションとタイミングサービスの質を高めるだろう。しかし、協調しなければ、ガリレオはGPSに対する大きな脅威となり、世界中のユーザーに対して好ましくない影響を与えることになる。さらに、これらの二つのシステムが競合した場合、GPSを改良する努力を強化しない限り、最終的にガリレオが勝利を収めることになろう。

論争
アメリカの覇権と単独行動主義

2002年11月号

ジョセフ・S・ナイ ハーバード大学ケネディスクール学部長 ステファン・R・グロバード ブラウン大学歴史学教授 ブルース・ラセット イエール大学国際関係論教授

以下は、この秋にフォーリン・アフェアーズ誌上で発表されたアメリカの覇権と単独行動主義をテーマとする三論文、「アメリカの覇権という現実を直視せよ」(ステファン・G・ブルックス&ウィリアム・C・ウォールフォース、「論座」二〇〇二年九月号)、「ジョージ・W・ブッシュの世界像」(マイケル・ハーシュ、同十月号)、「新帝国主義というアメリカの野望」(G・ジョン・アイケンベリー、同十一月号)に寄せられた反論とコメント。

なぜ米上院は包括的核実験禁止条約を拒絶したか

2002年10月号

テリー・L・デイベル  米国防大学教授

CTBTを米上院が承認しなかったのは、この条約を受け入れれば、「抑止と防衛」を犠牲にして、「脅威を削減するような国際環境を形作る」ことを重視せざるを得なくなると考えたからだ。批准拒否のプロセスは、「条約によって軍備管理を試みる流れが完全に途絶えたこと」を意味する分岐点だったかもしれないし、アメリカ外交にとっての分水嶺だったかもしれない。条約の拒絶は、単独行動主義が国際主義を抑え込んだ歴史的瞬間だったかもしれないからだ。

新帝国主義というアメリカの野望

2002年10月号

G・ジョン・アイケンベリー ジョージタウン大学教授

保有する圧倒的なパワーと、テロという脅威の到来が、帝国主義の誘惑を大きくしている。だが、正統性もなく、戦後国際秩序の規範や制度を無視して、アメリカがパワーを思うままに行使すれば、いずれ敵意に満ちた国際環境が出現し、アメリカの国益を確保するのも難しくなる。アメリカの新帝国主義的大戦略はリーダーシップの実践というよりも、むしろたんなる軍事パワーの行使にすぎない。勢力均衡を重視するリアリズム、そしてリベラルな多国間主義を再評価し、成熟した大国として、他国の立場を大きく脅かさないように配慮しつつ、秩序の安定と国益を模索する戦略へと立ち返るべきだ。

破綻国家問題に対処する国際機関の設立を

2002年10月号

セバスチャン・マラビー ワシントン・ポスト論説委員

テロや麻薬取引など、破綻国家は数多くの脅威を国際社会に突きつけており、特定国の統治システムの崩壊がつくり出す問題が、広く国際社会の脅威となっている。既存の国際機関にはこれを解決する力はないし、アメリカ帝国がその空白を埋めていくという考えも非現実的だ。

賢人たちが第2次世界大戦後に国連、世界銀行、国際通貨基金をつくり上げたように、アメリカと同盟国の指導者は、いまこの時代の破綻国家という脅威の温床に対処するために、アメリカのリーダーシップと国際的正統性をともに備えた、新たな国際機構を立ち上げるべきだ。

「対テロ戦争」というレトリックの弊害

2002年10月号

グレンビル・バイフォード 国際問題アナリスト

美しさを人がどうとらえるかと同じことで、テロリズムも立場によってとらえ方が違ってくる。目的を達成するのにどのような手段を用いたかで、それがテロであるかどうかを判断するのは間違っている。同時多発テロへのアメリカの怒りにしても、アメリカが攻撃され、アメリカ人が殺されたことに市民は激怒しているのであって、攻撃の手法自体に怒りを募らせているわけではない。したがって、漠然としたものにしかなり得ず、むしろ問題をつくり出す「対テロ戦争」というレトリックを振り回すのをやめるべきだ。国家安全保障にかかわる特定の具体的課題としてテロ問題に取り組むべきであり、テロ対策について語るときも「利益が一番で、次が目的、そして手段」というアメリカ人の常日頃の優先順位を忘れてはならない。

進化する総合安全保障政策と日米同盟の行方

2002年9月号

外交問題評議会シニアフェロー エリック・ヘジンボサム   マサチューセッツ工科大学 政治学教授 リチャード・J・サミュエルス

平和主義、ノーマルな国家になることへの模索、アメリカへの追随、中国に対する反発といった一般通念では、もはや日本の外交路線は説明できない。ワシントンは、日本の総合安全保障概念が進化し、これを支える二重保険戦略が生まれていることを直視し、この戦略と共存していく道を学んでいく必要がある。

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