1943年の独立以降、レバノン軍・士官部隊の主流派はマロン派キリスト教徒だったが、各部隊は民族・宗派ラインに沿って組織され、シーア派、スンニ派、ドルーズ派、マロン派キリスト教徒がそれぞれの部隊を持っていた。こうした民族・宗派ラインに沿った部隊編成がレバノン内戦を誘発し、助長した。国家の軍隊としてレバノン軍を再編する試みが始められたのは、1989年のタイフ合意によって長い内戦にピリオドが打たれた後になってからだった。タイフ合意以降、レバノンがごく最近まで安定を維持してきたことを国軍の貢献として評価することもできる。しかし、レバノン軍の最大の失敗は、ヒズボラが幅を利かすレバノン南部を掌握できなかったことだ。