1994年以降に発表された邦訳論文を検索できます。

に関する論文

The Clash of Ideas
「冷戦の終焉」と旧秩序の再発見

1996年7月号

ジョン・アイケンベリー
ペンシルバニア大学・准教授

冷戦の終結は、封じ込め秩序の終わりではあっても、戦後秩序全般の終焉ではなかった。封じ込めの秩序の影に隠れあまり重視されるいこともなかった、大西洋憲章にその起源をもつ開放的な戦後経済体制はいまも健在で、これを中核とする戦後の「民主的でリベラルな秩序」は、共産主義の崩壊によって、むしろ強化されつつある。事実、民主的でリベラルな秩序と、冷戦期の西側秩序が異なっているとすれば、現在の秩序がよりグローバルなものになっていることだ。必要なのは、冷戦後の新秩序を夢見てその構築を試みることではなく、一九四〇年代以来の民主的でリベラルな秩序を維持・強化すべく、その歴史的ルーツとこれまでの成果をたどり、これを、現状に符合するように再調整することではないか。

世界的失業増大に政策協調を

1996年7月号

イーサン・カプスタイン 外交問題評議会研究部部長

金融市場の安定を目的とする緊縮財政政策は「あまりに多くの人々をあまりに長期間にわたって困難な状況に追い込んでしまい」、失業や所得格差の増大という現象を背景に、労働者階級の「失われた世代」を誕生させ、犯罪率の上昇、麻薬の乱用、移民に対する暴力、極左極右の政治集団への支持の高まりという問題を招いている。こうした状況下、政府が雇用と社会福祉を労働者に提供するという第二次世界大戦後の「社会契約」が崩れさるとすれば、形成途上にあるグローバル経済への政治的支持も簡単に失われるだろう。したがって、今後の経済政策を、開放経済における「敗者」に焦点を絞ったものにしたうえで、成長と平等を重視する姿勢へと政策基盤を慎重に切り替える必要がある。そして成長重視の経済政策が通貨市場や債権投資家によるしっぺ返しをくわないようにするには、国際的な政策協調が不可欠となる。この世界史の重要な局面で、世界の指導者たちが協調的リーダーシップを発揮せずに無関心を決め込めば、保護主義や排外主義という選択肢を現状の「解決策」とみる騒々しいデマゴークたちが幅をきかすようになるだろう。

ソマリアの悲劇と「人道的介入」

1996年6月号

ウォルター・クラーク 前在ソマリア米国大使館・人道介入担当補佐官 ジェフリー・ハーブスト プリンストン大学准教授

ソマリアへの介入が失敗に終わったのは、ブッシュ政権が設定した人道支援という限定的目的が、のちに国連によって国家拡大の領域にまで広げられたためだと一般的に考えられている。しかし、これは真実ではない。たとえ人道的介入であっても、「破綻した国家」へ介入する場合には、介入したその瞬間から、われわれはその国家の再建(国家建設)にかかわざるをえないくなる。ソマリアの場合も例外ではなかった。実際、「軍事ならびに民生的目標のあいだには切っても切れぬ相互補完性が存在する」。国際社会は、市民社会が暴力に広く苛まれている国家に対して、その国内政治に影響を与えることも、国家建設的に関与することもなく、人道的に介入できるという幻想をまず捨て去るべきだろう。

危うしアジアのエネルギー資源

1996年5月号

ケント・E・カルダー プリンストン大学政治学教授

アジアのエネルギー問題は、この地域での領有権論争、核拡散問題、軍拡路線に深く関連しており、これを純粋な経済問題とみなすのは間違いだ。なかでも中国のエネルギー需要の増大は、環境悪化だけでなく、海底資源をめぐる近隣諸国との対立、外洋型海軍力の増強路線、イランやイラクという中東とのコネクションの深まりなど、環境・政治・外交面での憂鬱な結末を招きかねない。エネルギー問題を、アジア・太平洋地域の不信と不確実性を先鋭化させる引き金とするのではなく、この問題への積極的な関与策、支援を通じて、日本、米国、そして大いなる暴発の危険性を秘めた大陸アジアとの協調の礎とすることが急務である。

感染症という名の新たな脅威

1996年3月号 

ローリー・ギャレット 『ニューズデイ』紙医学・科学担当記者

さまざまな抗生物質・薬品に対する耐性を備えた遺伝子をもつプラスミドの登場とともに、感染症という侮れない脅威が再び猛威をふるいだしている。人間が細菌・ウイルスに対抗していくために必要とする抗感染症薬という兵器庫は、新たな環境につねに変化・適応する細菌という脅威の前には、非現実的なまでに貧弱だ。さらに悪いことに、都市化、地球規模での人口移動の波は、人間の行動パターンだけでなく、細菌と人間のエコロジカルな関係も劇的に変化をさせている。性交渉によって感染が拡大し、しかも都市部のブラック・マーケットで抗菌薬・抗生物質が入手できるために、貴重な薬品が乱用・誤用され、その結果、新たな耐性菌や寄生虫が誕生している。耐性菌やウイルスの脅威に加え、生物兵器戦争を目的とした毒性の強い細菌をつくりための遺伝子研究さえ行われているのが現実だ。われわれは、感染症を「安全保障上の明確な脅威」ととらえ、これに対抗すべく、医学、法律、社会、経済的観点からの包括的な方策を模索していかなければならない。

エジプトの夢と悲しみ

1996年1月号

ファード・アジャミー ジョンズ・ホプキンス大学教授

「自由主義的な改革の夢、上からの革命への期待、ナセルの社会主義的賭けなど、すべてが夢と潰え、エジプトはいまだに漂流している」。事実、自由主義、汎アラブ主義、ナショナリズムなど、彼らの近代における夢は、実現にいま一歩のところでことごとく挫折を繰り返してきた。「近代エジプトの心を規定するのは、国家的進歩への願いであり、それが近くにありながらいまだ実現にほど遠いという悲しみなのである」。

「歴史の終わり」の後の新世界地図

1995年10月号

フランシス・フクヤマ ランド・コーポレーション上席研究員

グローバル経済の今後の鍵を握るのは、その社会が創造性豊かで、二十一世紀のビジネスの必要性に応えるための適切な組織形態を作りだせるかどうかであり、そして、これを左右するのが、「社会の構成メンバーが相互に信頼しあい、新たな集団や連合の形成にむけて協調するのを認めるような人的資本」、つまり「社会資本」である。言い換えれば、家族や血族の枠組みを超えて社会的に連帯できるかどうかが、グローバル経済の今後の鍵を握る要因なのである。この点、まったく異なる性格に特徴づけられる日本社会と中国系社会を同一視し、いわゆるアジア・モデルを唱える重商主義論者は明らかに間違っている。ポスト冷戦世界において、国家を区別するもっとも大きな違いは、「市民社会の性格、制度の底流に存在する社会的、道徳的習慣」なのである。

条約の平和的解体を

1995年8月号

チャルマーズ・ジョンソン 日本政策研究所所長
E・B・キーン ケンブリッジ大学教授

東アジア秩序の基軸が「軍事要因から経済要因へと大きくシフトした」ことを無視して、日本への軍事的コミットメントの継続を宣言したペンタゴン・レポートは、米国の破滅的な貿易赤字に対処するために必要な「実質的に唯一の手段」を一方的に放棄したことを意味するだけでなく、日本を「普通の国家」に脱皮させるのをほぼ不可能にしてしまった。東アジア安全保障における最大の脅威は、中国の強大化よりもむしろ、「真の同盟国として行動する日本の能力を疑いつづける米国の態度」にある。日本がいずれ東アジアにおける明確なリーダーシップをとるようになるのは間違いなく、米国はこのきたるべき変化にスムーズに移行できるよう、日本との間で「より平等な政治・安全保障関係」を築きあげるべきである。

自由世界の問題児、アメリカ

1999年5月号

ギャリー・ウィルス  歴史家

アメリカは「リーダーシップ」という言葉をはき違えている。アメリカは、「俺のやっているようにではなく、俺の言うとおりにやれ」と言っているのと同じで、これではリーダー失格である。新興国が米国製品を買ったり、米市場に商品を供給することでアメリカのパワーが拡大するように、国際的なパワーを維持していくにはそれを拡散させる必要がある。強制、転覆工作、挑発は、リーダーのやることではない。相手の声を聞き、説得し、敬意を示すことなしに、だれも他国を導くことなどできない。リーダーはまず相手を理解しなければならず、彼らがより崇高な目的のために喜んで活動するようそのエネルギーを結集させるだけの力量を持つ必要がある。アメリカは現在、世界で最も強大な国家だが、そのようなパワーは他国の協調を引きだして初めて維持できる。

ユーゴスラビア崩壊の記録

1995年5月号

ウォーレン・ジマーマン 元駐ユーゴスラビア米国大使

民族的な融合を繰り返してきたユーゴ市民にとって、「民族を意識せずに生活するのはきわめて自然」なことだったし、彼らが民族的な敵意を抱いていたわけでもない。つまり、ユーゴを崩壊へと導いた主要なアクターはとは、「純粋な民族国家」の形成という自らの政治的野望のためにナショナリズムを演出したミロセビッチ、そして、ツジマン、カラジッチなど、一握りの極端なナショナリストたちなのである。彼らは、自らのプロパガンダを、単一民族による純粋な民族国家という粗野な概念と結びつけることで、意図的に上からのナショナリズムをあおり立て、止めどない抗争の温床を作り出したのである。「人間性の節度の象徴だったサラエボの町」がなぜ、かつての「ベルリンの壁」のような存在へと回帰しようとしているのか。時代錯誤というほかはない。「最後の」アメリカ大使が当時の日記をもとに振り返るユーゴ崩壊の全記録。

Page Top