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に関する論文

核とカシミール
―パキスタンの立場

1999年8月号

シャムシャド・アーマッド パキスタン外務次官

インドとパキスタンによる核実験の直後、本誌は、インドの国防・外交問題担当上席補佐官ジャスワント・シンが国防と外交について書いた「インドが核を持つ理由」(Against Nuclear Apartheid 『論座』一九九八年十月号)(※1)と米国務副長官ストローブ・タルボットによる「核実験後の南アジアをどうする」(Dealing with the Bomb in South Asia 『電子メール版』一九九九年五月号)(※2)を掲載した。以下、これらの論文に対して、パキスタンの外務次官が回答した。(※巻末に各論文要旨を添付)

紛争不介入の奨め

1999年8月号

エドワード・ルトワック/戦略国際問題研究所上席研究員

いまやあまりに多くの紛争が出口のない戦いと化している。その理由は、紛争勢力の一方の圧倒的な勝利、あるいは双方の疲弊という、戦争を終結へと向かわせる力学が外からの介入によってシステマチックにブロックされているためである。国連の平和維持活動、NATOなど多国間組織による介入、国連やNGOによる難民救済活動は、逆に紛争勢力の体力と敵愾心を回復させるだけで、争いを永続化させるだけだ。紛争に直接的な利害関係をもたない勢力による「人道的」介入は、「戦争の悪を増幅させる新たな不正行為」にほかならないのだ。政策エリートたちが、悲惨な状況にある人々のことを心配し、平和の到来を早めたいと願っているのなら、救済という感情的衝動を拒絶して、紛争を流れに任せて、平和への力学を復活させる必要がある。排除された者をその都度助けるのは良心の痛みを和らげるかもしれないが、結局、不安定と暴力を永続化させることになるだけだ。

米中パートナーシップはどこへ行った

1999年7月号

ベーツ・ギル  ブルッキングス研究所上席研究員

貿易問題、人権問題、核スパイ疑惑などによって、そもそも先行きの暗かった米中関係は、ベオグラードの中国大使館誤爆事件でさらに手痛いダメージを被ってしまった。わずか一年前の、米中の「建設的な戦略パートナーシップ」は一体どうなってしまったのか。大切なのは、共通の戦略利益と互いの立場の違いについて米中が了解し、そうした相互理解を支えるような国内コンセンサスを形成することである。それなくしては、外交手段ではあってもそもそも目的ではない「エンゲージメント」(穏やかな関与)政策は、今後も浮遊し続けたままだろう。新しい対中政策は、今後の北京との関係をめぐってより現実主義的な視点によって導かれるものでなければならず、それは「穏やかな関与」と危機回避の賢明なバランスをもった、限定的エンゲージメント政策であるべきだ。

コソボ危機が変える米欧関係の今後

1999年7月号

ピーター・ロッドマン ニクソン・センター国家安全保障問題ディレクター

コソボ問題を契機に、ヨーロッパ、アメリカの双方とも、お互いの存在なしにはヨーロッパでの重要な目標を実現するのは不可能だということを再認識したようだ。しかし、もしコソボで失敗すれば、ヨーロッパ各国の指導者は、「嫌いなアメリカ」に依存しつつも意に沿わない結果に甘んじたという国内での批判にさらされるだろう。事実、アメリカとの協力体制が、ヨーロッパ各国の極左政治勢力からの非難にさらされたため、各国の指導者は「人道的見地」からのNATOの結束を強く訴えてきた。だが、ミロシェビッチとのあいまいな妥協によってコソボ危機に終止符が打たれるとすれば、人道主義を訴えてきただけにヨーロッパ人の幻滅感は強く、政治的な余波も大きいだろう。その場合、ヨーロッパの国内政治力学とアメリカの覇権に対する反発を欧州の指導者たちは抑えこめるだろうか。コソボが問いかけているのは、たんに人道主義介入の是非と課題だけでなく、NATOを中心とするアメリカとヨーロッパの関係そのものなのだ。

Review Essay
情報化時代に経済はついてゆけるのか

1999年7月号

ジェフリー・E・ガーテン クリントン政権前商務次官

これまでの産業技術革命のすべては、技術的な非連続性と、ブレイクスルーとなった新技術の創造の双方によって導かれてきた。新技術の誕生によって、それまでの富の創造のための手法は当然時代遅れの長物と化す。だとすれば、情報革命のまっただ中にある現在、富を創造するために国は新たに何をすべきなのだろうか。各国の経済・社会システム、そして、世界の制度は、情報化時代という第三の産業革命からうまく利益を引き出せるのだろうか。どうやらレスター・サローは、今回も悲観主義に陥っているようだ。

グローバリズムを読み解く

1999年7月号

バリー・エイケングリーン  カリフォルニア大学バークレー校・政治経済学教授

いまや市場は恐るべきスピードで変化しており、当然、毎日の経済決定を企業のCEO(最高経営責任者)がトップダウンで上から決断しているわけではないし、ましてや政府の経済政策立案者がどうにかできるものでもない。「バーチャル世界経済」を支配しているのは、インターネットというサイバースペースである。とすれば、インターネットを支配するアメリカのグローバルスタンダードへと世界は収斂していくだろうか。それとも……。

国連憲章と新介入主義の行方

1999年7月号

マイケル・J・グレノン  前・米上院外交委員会法律顧問

国家間紛争を前提とする「時代遅れの国連憲章」による厳格な介入規定に縛られ、国内紛争がつくり出す悲劇に見て見ぬふりをするのは、もはや合理的でも賢明でもない。世界の平和と安定に対する切実な脅威は、いまや国家間紛争ではなく、国内紛争から派生しているからである。NATOによるコソボへの空爆は、正義を重視する新介入主義理念の発露ともとらえられる。事実、この新レジームの下では、大量虐殺のように、「介入しないことによる人道的損失があまりに大きい場合」は介入することが適切であると見なされている。だが、国連憲章が完全に死文化したわけではなく、コソボをめぐっては、(介入という)正義の理念と(内政不干渉を唱える)国連憲章が衝突している。だが、新介入主義の支持者たちは、法に挑戦することと「法の支配」に挑戦することとはまったく意味が異なり、(NATOが国連憲章に対して行ったような)不適切な法に対する挑戦は、法レジームをむしろ強化できることを肝に銘じるべきだろう。新システムの課題は、この新レジームならびに、それを基盤とする軍事行動が人々に正当なものと受け止められるかどうかにある。この点からも、正義を貫くことこそ法的な裏付けを得る最善の方法であることを忘れてはならない。正義を実現しさえすれば、正義を反映できるような法システムの確立にも自ずと道が開けてくるからだ。

情報化時代の国益

1999年7月号

ジョセフ・ナイ/ハーバード大学政治学教授

民主主義社会における国益とは、「世界の他の地域との関係をめぐって市民が共有できる優先順位」のことにほかならず、それを定義するのは今も昔も簡単ではない。アメリカ市民が、自国の国益のなかに特定の価値が含まれ、それを海外で広めることも国益に含まれると考えているのは明らかで、当然、道徳的外交と国益外交の区別はできない。しかも、情報化時代にある今、海外のどの問題に対応すべきで、どれに対応しなくてよいかについて、メディアが事実上、政治的圧力を作り出せる。今そこにある人間の抗争や苦しみがドラマチックな形でビジュアルに映し出されたほうが、「覇権的」中国の台頭やロシアの「ワイマール化」といった概念的な脅威よりもはるかに大衆に訴えかけるものが大きいからだ。さらに、旧ユーゴ地域のように民族指導者が、メディアをつうじて国境を超えた民族の連帯を政治的野望の下にとりまとめることもできるため、状況は混沌としている。だが、最低限言えるのは、「人道上の配慮と明確な国益の危機がオーバーラップしている地域以外では、われわれは軍事力の使用は一般に控えるべき」だし、アメリカの海外での目的をそのパワーに見合ったレベルのものとし、「慎重さ」を心がけて国益を合理的に模索すべきだということだ。テレビに映し出される人道上の問題を、国益促進のためのより遠大な政策と統合するのを助けるような「慎重さのルール」を確立させることが急務だろう。

ニクソン、フォード外交を振り返る
――現実主義、理想主義、新保守主義の相克

1999年6月号

ヘンリー・A・キッシンジャー  元米国務長官

二十一世紀に長期的視野に立った外交政策を実行するには、「レーガン的な直感的アプローチとニクソン的な地政学的な細心の配慮」の双方が必要である。ニクソン期の外交政策がうまく支持を集められなかったのは、外交上の理念や道徳性を重んじる「ウィルソン主義が大衆に与えていた大きな影響を、われわれが過小評価していたためだった」。しかし、ニクソン政権の政策が間違っていたというリベラル派の批判は憶測違いである。われわれは、ベトナムで被った痛手を克服さえできれば、「地政学的な孤立と低迷する経済が、クレムリンのイデオロギー上の熱意を萎えさせ、ソビエト・システムを圧倒できる」と当時から考えていた。冷戦の勝利は、ひとりレーガン政権の手柄ではなく、ニクソン、フォード政権の地政学的戦略とウィルソン主義のレトリックをレーガンが抜け目なく合体させた結果だった。重要なのは、一九八〇年代の勝利は一九七〇年代の戦略を拒否することによってではなく、レーガンがうまくその位置づけを変えたことによって達成された、ということだ。リベラル、保守、新保守派によるとめどない政治論争をコンセンサスへと導くには、それぞれのグループがつくりだした時代の政治状況と各時代の戦略から知的な教訓を得る必要があるし、とくに新保守主義者が自らの過去を正直にとらえ直す必要があるといえよう。

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