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に関する論文

次期大統領の外交課題

1999年10月号

リチャード・ハース  ブルッキングス研究所副会長

グローバリゼーションと分散化、平和と紛争、そして繁栄と貧困という具合に、世界は相反する力学に引っ張られており、今日の多極世界における協調が明日には対立へと転じる危険は十分ある。アメリカの軍事・経済上の優位が現在圧倒的なものだとしても、それが未来永劫続くことはあり得ないし、アメリカの覇権確立や単独主義が選択肢になることもない。必要とされているのは、現在の優位を利用して、アメリカが世界秩序の安定化を促すような建設的な秩序概念を提示し、他の国家だけでなく、NGOなどの非国家主体を含む、すべてのアクターにとっても、これを支持することが自己利益にかなうと納得させることである。「人道的介入」を含めて、「多極世界における大国間の協調」を間違いないものとするために、国内的、そして対外的に何をなすべきか、これこそ、次期アメリカ大統領の大きな課題となろう。

金融新秩序構築への八項目提案

1999年10月号

アラン・S・ブラインダー 前・米連邦準備制度理事会副議長

ここに示す新金融秩序構築の提案意図は、危機の発生を減らし、その悪影響を緩和することはもちろん、投機に直接かかわっているわけでもないのに金融・通貨危機のダメージをもろに受けてしまう数多くの無実な人々を守ることにある。大切なのは、実行可能な改革に的を絞った現実的なプランを速やかに実施することだ。とりわけ重要なのは、通貨ペッグ制をやめて変動相場制へと移行し、必要以上の外貨借入を回避する仕組みを構築することだ。さらに、危機に見舞われた新興市場に一律に緊縮財政の実施を求めるIMFの姿勢を変えるような客観的で柔軟な基準の導入を目指した改革も必要である。変動相場制へと移行し、ここで提起したIMF改革を実施すれば、緊縮財政と金融引き締めの必要性そのものが低下するはずである。その結果、社会保障支出がひどく圧迫されることもなくなり、危機に見舞われた諸国の貧困者や失業者の窮状を緩和できる。現実主義に徹し、新金融秩序の構築を急がなければならない。危機が発生し、絶望的な貧困に打ちのめされている人々を前に、完璧な秩序の構築が完成するまで待ってほしいと頼むことなどできないのだから。

金融新秩序を構築する通貨同盟

1999年9月号

ザニー・ミントン・ベドーズ  エコノミスト誌記者

二十一世紀を目前にした今、安定した世界的金融新秩序の構築こそ、緊急に取り組むべき課題である。この課題に、ベドーズはドルとユーロを中心に二大通貨圏を構築するという明快なシナリオを描く。彼は、保護主義や固定為替制度の虚実だけでなく、金融統合時代における「リージョナリズム」の実利を現実的側面から再検証する。世界の通貨市場の安定と、金融グローバル統合の実現には何が最も賢明な方策なのだろうか?

完全な失敗としてのコソボ

1999年9月号

マイケル・マンデルバーム  外交問題評議会フェロー

コソボ紛争は奇妙な戦争であったし、戦争を周到な政策の延長とみれば、これは完全な失敗だった。コソボのアルバニア系住民は、「民族自決権」に基づく独立を求めて戦った。一方、セルビア人は「既存の国境線の不可侵」という原則を盾にコソボをユーゴスラビアの一部に留め置こうと戦ってきた。かたやNATOといえば、コソボには自治権が認められるべきだという立場をとりつつも、それでもコソボはユーゴの一部にとどまるべきだと主張した。当然、戦争が終わったときも、主権にまつわる中核的な政治問題は未解決のままだった。NATOは介入して紛争勢力の一方を打破しつつも、戦争目的をめぐっては、うち負かした側が掲げていた大義を共有していたからである。つまりコソボはNATOの軍事的成功ではあっても政治的には大失策だったのだ。

メキシコは不安定化する

1999年9月号

M・デラル・ベアー  国際戦略研究所上席研究員

メキシコでは、近年、サリナス政権の下で、若いテクノクラートたちによる経済全般のリストラが進められ、国有企業の民営化、金融規律、NAFTAといった経済改革が行われてきた。また、これまで長期的に支配を行ってきた制度的革命党の基盤の一部を野党勢力が切り崩したことで、民主政治への一歩も踏み出したかにみえる。しかし、数世紀にわたって、長期にわたる権威主義的支配と短期的な社会抗争の時代を繰り返してきた結果、メキシコは、党の内部対立、政治的暴力、麻薬の蔓延やそれにからむ反社会勢力の台頭といった様々な問題を抱えている。また、民主的統治を支えるために必要な、寛容、妥協、市民参加などの文化的価値も根付いていない。メキシコの民主主義はまだ脆弱なものでしかなく、したがって、より多くの民主主義が実現すれば、より安定を期待できるように
なるとするウィルソン主義の前提の正しさは、メキシコにおいて、まだ実証されていない。二〇〇〇年の大統領選挙でメキシコは、一気に民主化を加速させることができるのだろうか、それとも過去へと逆行してしまうのだろうか。

Classic Selection 1999
超えられなかった過去
―― 戦後日本の社会改革の限界

1999年9 月号

ウォルター・ラフィーバー コーネル大学歴史学教授

憲法改正問題から集中豪雨的な輸出政策・官僚主導型の政治――そうした弊害の多くは実は1940年代の未完の占領革命、言い換えれば、占領政策の「逆コース」にそのルーツがある。つまり、官僚が力を持ち続け、一方では冷戦における西側陣営の一翼を担えるようにと米政府がマッカーサーに日本経済を立て直せと命じた1948年の政策転換によって、開放的で民主化されたシステムが日本に根づく可能性はなくなった。この「歴史の非継続性」は、これまでも様々な方面から議論の対象とされてきたが、今後予想される日本の国益論争・安保論争などをめぐって日本の周辺諸国と米国を巻き込んだ論争の焦点の一つとなっていく可能性は高い。

中国を過大視するのはやめよ

1999年9月号

ジェラルド・シーガル ロンドン国際戦略研究所ディレクター

中国は、経済、軍事、政治のあらゆる面で過大評価されている。国際社会であたかも大国であるかのごとく振る舞う中国は、世界中にそれを真実だと信じ込ませてしまう舞台巧者だ。グローバル経済における重要度はブラジルと同程度にすぎず、軍事的にも大国とはいえず、中国の脅威といっても地域的なものにすぎない。また、政治的にも他国を魅了する要素もなく、相互依存に懐疑的な唯我独尊の国として敬遠されている。したがって、欧米諸国は、中国は潜在的な戦略的パートナーとして重視すべきだとか、中国市場で見込まれる利益は他の問題よりも優先されるべきだという幻想を捨てねばならない。今後欧米は、「対中抑制(constrainment)」という新しいアプローチをとるべきであり、望ましくない行動を抑制することを躊躇してはならない。中国を単なる中級国家であると認識することが、問題解決の出発点なのである。

イラク経済制裁の戦略的解除を

1999年8月号

F・グレゴリー・ゴーズ  バーモント大学政治学准教授

アメリカは経済制裁の解除と引き換えに、イラクの大量破壊兵器(WMD)開発計画を監視・管理するための現地査察を復活させる提案を示すべきだ。経済制裁によって苦しんでいるのはもっぱらイラク民衆であり、この事実ゆえに、サダム・フセインの反米プロパガンダがもっともらしく聞こえ、国際コミュニティーにおけるアメリカの封じ込め政策への支持も低下しつつある。加えて、イラクのWMD開発がアメリカの国益に対する重大な脅威だとすれば、「査察なき制裁より、制裁なき査察」のほうが国益にかなう処方箋である。もしサダムが「制裁なき査察」の枠組みの下で査察を妨害した場合には、イラクの軍事ターゲットを即座に徹底的に空爆すればよい。ここに示した「制裁解除=査察の再開=軍事的封じ込めの強化」という道筋は、イラクの平均的市民の日々の生活を向上させるだけでなく、イラクのWMD開発計画に対する大きな障害を提供してくれるだろう。

バルカンのナショナリズムは消えない

1999年8月号

ウィリアム・W・ハーゲン  カリフォルニア大学歴史学教授

バルカンにおける民族間の対立は古代からのものではなく、近年のスロボダン・ミロシェビッチによる権力の掌握をきっかけとしたものでもない。それはオスマン・トルコ帝国が解体した後のこの地域でのナショナリズムの高揚にそもそも端を発するものだ。バルカンの独裁制、共産主義体制が「血の報復という価値観」を伴うナショナリズムと不可分の形で結びついていたため、オスマン・トルコ崩壊以後の政治体制のなかでも民族主義は生き残り、旧ユーゴの解体に伴う国境線の変更を契機に、これが一気に表舞台へと噴出した。こう考えると、ポスト・チトーのユーゴでリベラリズムが支配的となる余地はそもそもないに等しかった。欧米の基準では考えられぬような残忍な行為が行われたのは、こうした「血の報復」という集団的な価値観が背景に存在したためである。したがって、ミロシェビッチをヒトラーにたとえるような個人に問題を帰する見方よりも、紛争後のコソボ問題を戦後の連合国によるドイツ占領と比較する社会改革的視点のほうが有益だろう。リベラルで民主的な市民社会運動がより深く根を張れるようにならない限り、この地域に平和と安定がもたらされることはあり得ないのだから。

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