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に関する論文

米財政を左右する医療保険制度改革

2011年9月号

ピーター・R・オルザック シティグループグローバルバンキング担当副会長

現在から2050年までに、連邦政府の医療関連支出はGDPの5・5%から12%以上にまで増大し、財政を大きく圧迫する。国際社会におけるアメリカのポジションは、この医療コストの爆発的な増大をうまく管理できるかどうかに左右される。この問題をうまく管理できなければ、アメリカは厳しい財政危機に直面するか、医療部門以外への投資能力を失う事態に追い込まれる。医療制度を根本的に見直し、エビデンスと医療の質に基づき、医師を含む医療プロバイダーがより良いツールを患者に提供し、医療の価値と質を高めるインセンティブを持つような医療制度を形作る必要がある。現在の医療保険制度改革がうまく機能すれば、2028年以降は医療改革法によって連邦政府の医療支出全体が少しずつ減少し始める。だが、そこにたどり着くには、非常に困難で複雑なプロセスをクリアしていかなければならない。

パリとベルリンの経済官僚たちは、「この10年にわたって、周辺国は生産性が伸びていないにも関わらず、賃金レベルを引き上げたのが間違いだった」と批判するが、考えるべきは、周辺国がその資金をどこから調達したかだ。資金の出所はフランスとドイツの銀行だ。つまり、(ギリシャ、アイルランド、ポルトガル)などの周辺国の一つでも債務を履行できなくなれば、危機はEUの主要国へと瞬く間に広がりをみせていく。そして、ヨーロッパの危機はMMFとCDSのエクスポージャーによって、アメリカの銀行にも非常に深刻なダメージを与え、ヨーロッパとアメリカのリセッションはますます深刻になる。ここで、中国は何をするだろうか。のどから手が出るほど欲しがっているあらゆる技術、宇宙工学技術、金融資産をヨーロッパから非常に安い価格で入手するかもしれない。中国が台頭し支配的な影響力を持つようになるのが間近なのか、遠い将来なのかはともかく、欧米はグローバルな金融システムを、自分たちにダメージを与え、中国を大きく利することになる装置へと変貌させてしまっている。

欧州によるスマート・ディフェンスを提唱する
―― 緊縮財政時代の大西洋同盟

2011年9月号

アナス・フォー・ラスムセン NATO事務総長

冷戦終結以降、NATOに加盟するヨーロッパ諸国は防衛支出を約20%削減している。一方、軍事予算のレベルを大幅に引き上げている新興市場大国は、欧米と必ずしも利害認識を共有していない。つまり、そこにあるのは、グローバル秩序に利害を共有するプレイヤーの数がかつてなく増えているにも関わらず、それを擁護していこうとするプレイヤーの数が少なくなっているという皮肉な現実だ。私が提唱する「スマート・ディフェンス」とは、他国と協力し、より柔軟な路線をとることで、これまでよりも少ない予算で安全保障を維持していく防衛態勢だ。防衛費を増やすかどうかではなく、それをいかにスマートに用いるかで今後は左右される。多国間アプローチを模索し、大西洋同盟の戦略志向を強め、グローバル化が作り出した安全保障問題を管理していくために新興国と協力する必要がある。ヨーロッパ防衛により一貫性をもたせ、大西洋の絆を深め、他のグローバルアクターとNATOの関係を強化していくことこそ、経済危機が安全保障危機を招き入れるのを阻止する唯一の方法だろう。

CFRインタビュー
なぜ、パレスチナは国連に活路を求めたのか

2011年9月号

エドワード・デレジアン ジェームズベーカー公共政策研究所ディレクター

パレスチナは国連安保理、あるいは総会において国家として承認を取り付けることで、イスラエルと同じ交渉上の立場を手に入れたいと考えているようだ。これによって(エルサレムの帰属、パレスチナ難民の帰還権、ユダヤ人入植地、国境画定など)最終地位問題を前倒しして交渉できるようになる。・・・パレスチナが今回のような行動に出たのは、イスラエルの入植地問題(住宅建設)が(イスラエルとパレスチナ間だけでなく、アメリカとイスラエル間の)大きな対立の争点となったことで、ワシントンの路線が行き詰まってしまい、交渉の進展が望めなくなったためだ。・・・・

CFRインタビュー
メドベージェフのロシアからプーチンのロシアへ

2011年9月号

スティーブン・セスタノビッチ 外交問題評議会ロシア・ユーラシア担当シニア・フェロー

2000年から2008年まで大統領を務めたプーチンのロシアでの人気は依然として高い。だが、多くの人は、彼が大統領に返り咲けば「時代からの逆行になる」と考えている。メドベージェフが近代国家の建設にコミットしているのに対して、プーチンは「過去の人」とみなされており、今後、メドベージェフは自らの改革アジェンダをめぐって、どのように首相としての権限を利用していくか先の読めない状況に直面する。さらに、メドベージェフと対立して財務相を辞任したアレクセイ・クドリンが野党勢力の指導者に転じれば、非常に重要な政治的台風の目になる可能性がある。この場合、プーチンがこれまでうまく束ねてきたエリート層に亀裂が生じることを意味するからだ。プーチンもメドベージェフも、いったいどの程度の政治家が今後クドリンに続くかを考えざるをえなくなるだろう。

CFRインタビュー
市場ボラティリティの政治ファクター

2011年9月号

マイケル・スペンス 米外交問題評議会特別客員フェローノーベル経済学賞受賞エコノミスト

市場がボラタイルなのは、経済の成長率が鈍化すると考えられ、しかも、政治的不作為と膠着状態が存在するためだ。政策面での不確実性もリスク認識とボラティリティを高めている。欧米経済が停滞している程度なら、新興国は高い成長率を維持できるだろう。だが、欧米経済が深刻な不況に陥った場合には、新興国もその余波を受ける。非常に大きな輸出需要が消失することになるからだ。・・・短期的に、準備通貨してのドルの代替策が浮上してくることはない。ユーロが安定すれば、第2の準備通貨になれる可能性はある。人民元も貿易決済通貨としての役割を拡大していくだろうが、少なくとも今後10年は準備通貨としての役割を果たすのは難しいだろう。・・・

イギリスの暴動と緊縮財政路線
―― 緊縮財政と階級政治の政治学

2011年9月号

マティアス・マタイス アメリカン大学准教授

2011年夏、イギリスの複数の都市で起きた暴動の背景には、財政・債務危機と政府の緊縮路線に対する反発があった。暴動は、緊縮財政路線への不満と階級政治が重ね合わせられた結果の社会反乱であり、その構図は、30年前にイギリスで起きた暴動を彷彿とさせる。当時のサッチャー首相はこの危機に強硬な治安対策で対処した。その後、小さな政府を目指すネオリベラリズム路線が消費の拡大をもたらし、経済を浮遊させたことで、最終的に危機は克服された。だが、いまは消費の拡大など望みようもない状況だ。政府は銀行救済のために介入したが、貧困層への救済策はとらなかった。それどころか、福祉と社会保障プログラムを打ち切らざるを得なくなった。イギリスが陥っている事態は、他の諸国にとっても他人(ひと)事ではないだろう。結局のところ、大きな社会格差、低成長、そして緊縮財政はイギリスに特有のものではない。いまや主要先進国を含む、多くの諸国が似たような状況に直面しているのだから。

ドローン兵器と実体なき戦争

2011年8月号

ピーター・ベルゲン
ニューアメリカン・ファウンデーション ディレクター
キャサリン・タイデマン
ニューアメリカン・ファウンデーション リサーチフェロー

ワシントンの政治・軍事指導者たちは、ドローン(無人飛行機による)攻撃プログラムは対ゲリラ戦略において大きな成功を収めていると考えており、攻撃の巻き添えになって死亡した民間人も2008年5月からの2年間で30人程度だと主張している。だが、パキスタン人の多くは、ドローン攻撃によって多くの民間人が犠牲になっていると考えている。パキスタンの部族地域で暮らす人々の75%が「アメリカの軍事ターゲットに対する自爆テロは正当化される」と考えているのも、こうした現地での認識と無関係ではないだろう。一方、パキスタン政府は、ドローン攻撃によって自分たちの敵であるパキスタン・タリバーンの指導者も殺害されているために、アメリカによる攻撃を黙認している。この複雑な現状の透明性を高める必要がある。部族地域の武装勢力に対するドローン攻撃がアメリカとパキスタン双方の利益であることをアピールし、ドローン攻撃をめぐるパキスタン軍の役割を増大させるべきだ。パキスタンの空で戦争を始めたのはワシントンだったかもしれないが、イスラマバードの協力なしでは、この作戦を完了することはできないのだから。

民間経済という経済を動かす主要なエンジンに力がなく、財政政策と金融政策という補助エンジンも、それぞれ、財政赤字とQE2の不調によって手足を縛られている。しかも、増税と財政赤字を減らすための歳出削減の時期が迫りつつある。財政赤字の肥大化が予測されている以上、緊縮財政路線をとるのが思慮分別のある路線のように思える。しかしそれは、需要不足に苦しんでいる現在の米経済が必要としていることではない。これに加えて、内に議会の合意を必要とする債務上限の引き上げ問題、外にユーロ圏の危機という問題を抱え、いまや二つのハードランディングシナリオが浮上しつつある。・・・

Review Essay
都市設計を考える
―― 都市と郊外の対立と融和

2011年8月号

サンディー・ホーニック ニューヨーク市都市計画局戦略コンサルタント

歴史的に都市開発にはさまざまな思想があった。19世紀には都市の美化運動と田園都市運動が大きな流れを作り出した。建物のデザイン、彫刻に芸術的要素を取り入れることを求めた都市の美化運動は公共建築部門で大きな流れを作り出したが、住民が都市にいながら田園生活を送れるようにすることを目的とする田園都市運動は定着せず、結局、郊外という概念が形成された。ここに都市と郊外という複雑な関係が生じた。ときに対立しつつも、いまや、ほとんどの人々が郊外の好きな場所に住みながら、仕事をし、食事をし、買い物をする場所についてこれまでよりも豊かな選択肢を持てるようになり、都市の中枢と郊外は相互補完的な存在になりつつある。だが、ここにいたるまでには伝統的な都市を再開発する必要があると考えたフランク・ロイド・ライトを始めとする偉大な都市開発の理論家、また、都市は完璧ではないからこそ面白いと考える専門家など、都市計画はさまざまな思想的変遷を経験している。

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