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論文データベース(最新論文順)

もし女性が世界政治を支配すれば

1998年11月号

フランシス・フクヤマ ジョージ・メイソン大学政治学教授

「競合的な目的の一つをめぐって団結し、ヒエラルキーにおける支配的な地位を求め、相互に攻撃的熱狂を示すという男性の傾向は、他の方向へと向かわせることはできても、決して消し去ることはできない」。したがって、一般に男性よりも平和と協調を好み、軍事的介入に否定的な女性たちが政治を司れば、世界の紛争は少なくなり、より協調的な世界秩序が誕生するかもしれない。現に、政治環境だけでなく、人口動態からみても、少なくとも民主的な先進諸国では、政治の女性化が今後進んでいく可能性が高い。だが、男性的で野蛮な無法国家の存在が当面はなくならないと考えられる以上、仮に男性政治家は必要でないとしても、依然として男性的な政策は必要になるだろう。「生物学は運命ではない」が、攻撃性その他の生物学的性格から男性が自らを完全に切り離すのも不可能である。必要なのは、人間の本質がしばしば邪悪であることを素直に受け入れて、人間の粗野な本能をやわらげるような政治、経済、社会的システムを構築することだ。この点、社会主義や急進的なフェミニズムとは違い、「生物学的に組み込まれた本性を所与のものとみなし、それを制度、法律、規範を通じて封じ込めようとする」民主主義と市場経済のシステムは有望である。二十一世紀の世界政治が穏やかな秩序になるかどうかを占うキーワードは、「女性」、そして民主社会の多様性である。

アルジェリアという名の悲劇と苦悩

1998年10月号

ラボーアリ・アディ  リヨン大学客員教授

恐怖と抑圧の地と化したこの国の主要なプレーヤーは、政府でもイスラム主義勢力でもない。それは軍部である。主権を行使する軍部は、アルジェリアの最高権力であることを自任し、政府はといえば軍が決めた政策を実施しているにすぎない。今やこの国は、法律などおかまいなしの軍人たちの思いのままだ。さらに悪いことに、自称「民主勢力」も、軍部の非人道的な抑圧策や、イスラム勢力のテロ作戦を押しとどめる力を持っていない。この危機的状況を解決するには、フランスからの独立戦争以来、三十余年も続いてきた軍部と政府という、「非公式な実質的権力と無力な公的権力の二重構造」を取り払わなければならない。本当の権力の所在を明らかにし、軍部は政治に介入するのをやめるべきだ。そのためにも、民主勢力、イスラム主義勢力を含む各政治集団は、行動規範、多党制の尊重、市民的自由、選挙結果を保障するような国家契約にまず合意する必要がある。

細川氏の日米安保論は視野が狭い

1998年10月号

マイク・モチズキ ブルッキングス研究所上席研究員 マイケル・オハンロン 同研究所研究員

「日本の軍国主義はもはや現実の脅威ではないという細川(護熙)元首相の指摘は正しいが、であればこそ、日本が戦闘面での役割や責任を回避する根拠も存在しないのだ」

日本の官僚制を擁護する

1998年9月号

ピーター・F・ドラッカー クレアモント大学大学院教授

アメリカ人は、国家安全保障が脅かされぬ限り、政治決定において最優先されるのは経済だとみるが、日本人は、社会を第一に考える。日本では「政策の社会的衝撃がどのようなものになるか」が主要な関心事であり、世界的にみれば例外は、むしろ経済第一主義をとるアメリカのほうだ。未曽有の金融危機を前にしても、日本の官僚が経験知による教訓から先送り戦術にこだわるのは、経済そのものよりもむしろ諸問題の社会的衝撃を懸念しているためだ。一般に、その存在が社会的に受け入れられている社会エリートたちは、自らを脅かす強力な代替的存在が出現しない限り、権力を維持し続けるもので、日本の官僚も例外ではない。よって、ワシントンの対日政策は、今後も日本では社会的混乱の回避を最優先とする官僚主導型の政策決定が行われるという前提を踏まえたものでなければならない。「日本で社会的混乱が起きれば、現在のワシントンの働きかけによって得られる目先経済の利益など吹き飛ばしかねない」のだから。

ロシア経済再生の条件

1998年9月号

グリゴリー・ヤブリンスキー 穏健改革派政党「ヤブロコ」党首

ロシアの経済を牛耳っているのは、闇世界とのつながりを持ち、巨大企業やメディアを所有する、一握りの寡頭政治の支配者=悪徳資本家たちである。その結果、賄賂や腐敗が横行し、富のほとんどは彼らに独占され、法律が順守されることもない。 「犯罪に毒された市場が効率的に機能することはあり得ず、未来への確信が持てないため、だれも投資などしない。」これでは、市場経済も民主主義も定着しようがない。市場経済民主主義をめざすのであれば、何よりもビジネスと政治を切り離し、私有財産と競争に基づく市場経済を整備し、報道の自由を確立させなければならない。さらに法治主義と司法権の独立を保障し、民意を汲み取れる政党制を強化する必要もある。ロシアが寡頭制ではなく、民主政治をめざすのであれば、決断を下す時期は今であり、この決断は欧米世界にとっても他人事ではないはずだ。

山積する温暖化防止の課題

1998年9月号

ヘンリー・D・ジャコビー マサチューセッツ工科大学(MIT)教授  ロナルド・G・プリン  MIT教授 リチャード・シュマレンシー MIT教授

京都合意は失敗でも成功でもなく、「気候変動枠組み条約第一回締約国会議で提示された問題に、政治的な応急処置を施したにすぎない」。京都以後の道のりを成功へと導くには、政策決定者たちは長期的考えにより多くの時間を費やすべきで、とくに途上諸国の参加、温室効果ガスの排出削減を可能にし、なおかつ経済成長にも貢献できるような新技術の研究・開発の強化、排出権取引をめぐる柔軟な措置の導入が不可欠である。実際、今後これらの課題を満たせないのであれば、「京都合意をすべて解体し、意見が変わった時に新たに交渉を始めるほうが、まだましだろう」。気候変動という問題については、世界はまだ取り組み始めたばかりで、京都以後の道のりには、さまざまな具体的課題とともに、排出権取引を管理する長期的に持続可能な国際システムの構築の準備という難題が待ち受けている。

迫りくる中国の激震

1998年9月号

ニール・C・ヒューズ  前世界銀行シニア・オペレーションズ・オフィサー

国有企業は単なる「職場」ではなく、労働者やその家族に各種サービスを提供するコミュニティーである。しかし、今や国有企業はひどく非効率となり、これが生き長らえているのは、ひとえに政府の補助金政策のおかげである。経済改革を成就するには、「鉄飯碗」として知られるこのコミュニティーを崩す必要があるが、それは同時に改革プログラムを政治的に支えている社会的安定基盤も揺るがしてしまう。だが現実には、政府は国有企業の多くを閉鎖せざるを得ず、その場合には千五百万人もの労働者が失業し、その多くが抗議行動に繰り出すことになるだろう。社会的、政治的激震を回避するには、企業、労働者、中央政府、地方政府が負担義務を分かち合う、国による社会保障システムの構築、さらには労働者のための職業再訓練プログラム、公共事業の準備が不可欠であり、その準備のために中国政府に残された時間は少ない。

京都合意は間違っていない

1998年8月号

スチュアート・アイゼンシュタット 米国務省次官

「国際的に一律な炭素税の導入に向けた合意形成のほうが、排出削減目標を設定するよりも簡単だろう」とみなすクーパーの考えは、政治的に現実離れした見方と言わざるを得ない。

真の温暖化防止には炭素税の導入しかない

1998年8月号

リチャード・N・クーパー ハーバード大学経済学教授

地球温暖化という遠大な問題を、政府間の条約だけで防止しようとする試みには基本的に無理がある。条約は国境を超えた大まかな「責任分担」の手立てと、目的の達成に向けた国際的規律を与えるにすぎない。数億単位の世界市民がライフスタイルを根本的に変えない限り、変化は起きないはずだ。行動を起こさないわけにはいかないが、それでも気候の変化が人間にどのような影響を与えるかについての明確な科学的根拠がない状態で、世界規模での排出削減目標を国ごとに割り振る、京都会議(気候変動枠組み条約第三回締約国会議)での合意は、その実現を不可能とするほどに多くの議論を呼ぶ可能性が高く、客観性、公正さだけでなく、現実性に欠ける。温暖化防止という目的に関して国際的な合意があるのであれば、それを実現する互恵的で普遍的な「手段」を各国が共有することこそ大切であり、国際社会は化石燃料の使用に対するほぼ一律の炭素税課税のような、互いに合意できる行動を基盤にこの問題に取り組んでいくべきではないか。「税金は社会的に有用な活動よりも、有害な活動に課したほうが有益である」という真理のなかに問題の解決策があるはずだ。

アジア経済危機は中国にも波及するか

1998年8月号

ニコラス・R・ラーディ ブルッキングス研究所上席研究員

「不正行為、腐敗、(金融への)政治的影響力の強さ」というアジアの諸問題の背景をなす銀行支配型金融システム、中央銀行の独立性と商業銀行規制の弱さという側面は中国にも認められ、膨らむ一方の不良債権というアジア経済の共通問題も、赤字だらけの国有企業を抱える中国にとって同様に深刻である。ではなぜ、アジア危機の悪影響を今のところ中国はほとんど受けていないのか。それは、東南アジア諸国とは対照的に、「資本勘定の交換性」が存在せず、中国が外貨建ての取引を厳格に規制しているため、海外、国内の投資家の行動がひどく制約されているからにすぎない。国有企業、銀行の改革を終えたわけでも、市場化、商業化を果たしたわけでもない以上、経済改革そして中国経済の行方は、いまだ予断を許さない。

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