1994年以降に発表された邦訳論文を検索できます。

論文データベース(最新論文順)

ポスト冷戦秩序の誤算

1999年2月号

チャールス・ウイリアム・メインズ   前『フォーリン・ポリシー』誌編集長

「どこか、何かが狂ってきている」。現状は、冷戦後に欧米諸国が組み立てた市場経済、民族紛争、戦略に関する前提のすべてが間違っていたことをわれわれに教えている。市場経済を導入するには政治改革が不可欠で、そのタイミングが難しいこと。民族紛争が本質的に「アイデンティティと生存」をかけた闘いであること。そして、現在の脅威には抑止戦略が機能しないことを、われわれは当時理解していなかった。市場経済民主主義というモデルは、すばらしいながらも一方で欠陥を内包している。これを人類に大きな利益をもたらすシステムに改編するには、地域的な火事を封じ込めるような、防火壁を相互の理解の上にめぐらす必要がある。さらに、民族紛争の本質をわきまえた上で、状況管理型の戦力を編成することも急務だ。多くの国々が一つのモデルを採用しつつあるという、この歴史上かつてない機会を活かすのに必要なのは、現状の欠陥を踏まえた上での、さらに壮大な「ビジョン」にほかならない。

外交問題評議会リポート
外圧と日本の変化

1999年2月号

アイラ・ウォルフ  元USTR次席交渉者

このリポートは、一九九八年十月二十二日にニューヨーク外交問題評議会で行われた、「日米経済関係の新パラダイム」に関する研究会での背景説明資料である。

クリントン・スキャンダルと大統領制

1999年2月号

セオドア・C・ソレンセン  ケネディ政権・大統領特別補佐官

クリントン大統領は宣誓の下で、国民に対して嘘をついただけでなく、長官たちとホワイトハウスのスタッフにも嘘をついていた。国務長官、財務長官その他の高官たちは、真実を調査中の大陪審で、事実上、大統領への嫌疑が事実無根であることを繰り返し述べる羽目になった。数カ月後に真実が明るみに出たときの、彼らの苦悩は想像に難くない。「大統領の秘密を守る義務とは、彼に仕える公僕たちが、嘘をついたり、宣誓の下で偽証することではない。大統領の掲げる大義に高官が自らを捧げているとしても、犯罪に加担することを強制されることはありえないからだ」
ホワイトハウスという船が傾きかかっているときに、傷ついているのは大統領だけではない。国家も痛手を受けている。補佐官や側近がなすべきは、「大統領への忠誠」を正しく理解し、いかなる方法でどの程度路線を(正しい方向へと)修正できるかを考えることだろう。

米中接近がアジアを揺るがす

1999年2月号

テッド・ギャレン・カーペンター  ケート・インスティチュート国防・外交政策担当副会長

クリントン政権の訪中ミッションに象徴されるワシントンの対中接近策は、中国を安全保障上の脅威とみなすインドを憤慨させ、将来への不安を募らす台湾を軍事自主路線の方向へと向かわせただけでなく、古くからの同盟国である日本をも動揺させた。「インドはアメリカが中国から守ってはくれないと結論して、自国の安全は核で守ると決意し」、日本、台湾のアメリカへの信頼も低下している。
 訪中した米政府高官による手厳しい対日批判を、「第二次世界大戦以来初めての米中共同による公の日本批判だ」ととらえる専門家もいるし、一方日本では、戦略を練り直して米中とやり合えるような政治大国になることを考える人もいる。対中接近が伴った余波の帰結がどのようになるか予断を許さないが、「ワシントンは、自らの対中政策が引き起こした、これらの意図せぬ結末を最終的には後悔することになろう」。

カスピ海資源とOPECの教訓

1999年2月号

ジャハンガー・アムゼガー  元イラン大蔵大臣

アゼルバイジャン、カザフスタン、トルクメニスタン、ウズベキスタンという四つのカスピ海周辺諸国は、今後、間違いなく石油資源を中心とする経済ブームに沸き返ることになるだろう。だが、あり余る豊かさから、使い古しの雑巾のようなボロボロの状態へと至った石油輸出国機構(OPEC)の経験から教訓を学ばない限り、カスピ海周辺諸国もエネルギーブームの魅力が持つ危険な落とし穴にはまりこむことになろう。労なくして手にできる「石油地代」に惑わされたOPEC諸国は、社会保障や官僚制の肥大化、無節操な投資計画、効率性を欠いたインフラ整備プロジェクト、大規模な軍事支出など、財政上の「ブラックホール」を次々とつくりだした。その結果、莫大な資金を浪費して、今日の悲惨な現実に至っているのだ。OPECを反面教師として、カスピ海周辺諸国が堅実な経済運営を行い、市場経済に必要な透明性を備えた制度を確立していかない限り、限りある資源を持続可能な豊かさへ変えていくのは不可能である。

インフレ重視策の功罪

1999年2月号

ジェームス・ガルブレイス  テキサス大学経済学教授

中央銀行が、インフレの上限を定めた反インフレ・価格安定重視策をとれば、「長期的には経済パフォーマンス」が上がるという考えが一部にある。失業率を気にせずに、インフレ率だけを見ていればよいというのだ。この立場をとる人々は、経済成長と完全雇用の達成にとらわれている中央銀行は問題があり、慢性的な高失業率という犠牲を払ってでも物価安定を達成してきたドイツ連銀のような中央銀行こそが正しいモデルである、と言う。完全雇用、安定成長、妥当な物価の安定の実現は彼らの言うように本当に不可能なのか?

サダム・フセインは追放できるか

1999年2月号

ダニエル・バイマン/ランド・コーポレーション政策アナリスト
ケニース・ポラック/米国防大学教授
ギデオン・ローズ/外交問題評議会・国家安全保障プログラム副議長

ワシントンの外交サークルでは、イラク国内の反政府勢力を利用してサダム・フセイン政権を転覆させようとする、六〇年代のキューバ侵攻作戦まがいの考えが流行している。だが、このサダム追放を目的とする「巻き返し戦略」は、軍事的に不可能なだけでなく、アメリカ市民や同盟諸国の支持も得られず、最終的には米軍を大規模投入するか、それとも反政府勢力の崩壊を放置するか、という選択をワシントンに強いるだけだ。したがって、代替策を求めて現在の封じ込め政策を捨て去るのではなく、むしろ現在の政策をいかに活性化させるかを考えるべきだろう。すでに問題を伴いだした多方面に及ぶ現在の封じ込め政策から、「限定的封じ込め」へと移行することこそ現実的選択である。反政府勢力への支援は、独立した政策オプションではなく、国連による新決議と引き換えに、飛行禁止空域や経済制裁を解除する「限定的封じ込め」を補完するものとしてとらえるべきである。

恐慌型経済への回帰

1999年2月号

ポール・クルーグマン マサチューセッツ工科大学教授(論文発表当時)

いまや、途上国はホットマネーの脅威にさらされ、成熟した経済は「流動性の罠」という危機に直面している。実際、金利ゼロでも消費者が貯蓄に走り、企業も投資しないとすれば、一体どうなるのか。これこそが懸念される「流動性の罠」だ。日本は古典的な流動性の罠にはまり、もはや金利ゼロでも十分ではない。うまく財政政策を実施できなかった背景には、高齢社会その他さまざまな観点から財政赤字を膨らますことに対する懸念があった。だが、日本に限らず、世界全体が「古風な資本主義の利点を今に呼び起こす際に、その欠陥の一部、とくに不安定化や長引く経済不況への脆さも復活させてしまった」。改革によってわれわれが手にした「資本の自由化、国内金融市場の自由化、物価安定メカニズムの確立、財政均衡を重視する規律」という美徳は、一方で政策上の制約や落とし穴を秘めていた。「早晩われわれは時計の針を少しばかり巻き戻さなければならなくなる」。今や1930年代の気配が漂い始めている。われわれは恐慌型経済の教訓を今いちど再検証する必要がある。

アジア的価値の空騒ぎ

1999年2月号

ルシアン・パイ
マサチューセッツ工科大学政治学名誉教授

「非公式なやり方に依存して、膨大な資本を呼び込んだうえに、経済行動を拡大するためであれば収益への配慮を無視するような傲慢な姿勢が生まれたため、結局、流れ込んだのと同じ速さでアジアから資本が逃避してしまった」。かつて「奇跡」を実現したのと同じ文化的価値が、どうして今は「大失敗」を招いているのか。アジア危機を経た世界は、「質素、勤勉、家族中心の価値観、権威への尊重」という美徳が、「強欲、硬直性、情実主義、あからさまな腐敗」といった悪徳へと変貌しうることを知っている。それでも、アジア的価値の優越性を唱え続け、アジア危機を契機として欧米批判の論陣を張る人物たちの真意は、どこにあるのか。

イスラエル : 成功の代償

1999年2月号

エリオット・A・コーエン
ジョンズ・ホプキンス大学政治学教授

建国から五十年を経たイスラエルは、その成功ゆえのジレンマに直面している。五十年前と比べれば、パレスチナや近隣のアラブ諸国との関係も改善し、経済も格段に進歩した。だが、敵に囲まれた状態でつくられた軍のシステムはしだいに社会とのバランスが悪くなり、一方で、宗教的に敬虔な人々と世俗的な人々の対立も先鋭化しつつある。さらに、移民の波によって社会は多様化し、しかも今やアメリカ化が支配的な社会潮流だ。「困難な状況にあるユダヤ人が避難できる国家」は、すでに完成している。であればこそ、互いに錯綜する社会・経済・軍事上の変化を受けて、この国の「存在理由」が問われている。つまり、「ユダヤ人とは何者か」というポスト・シオニズム的なアイデンティティー上の命題である。この五十年間のイスラエルの成功が導いたこの実存主義的命題に、イスラエルはどのような答えを出すのだろうか。

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