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論文データベース(最新論文順)

変わりゆく宗教と文化、政治の関係
―― 宗教が文化を変えるのか、文化が宗教を変えるのか

2011年10月号

カレン・バーキー コロンビア大学教授(社会学・歴史学)

宗教と文化に相関性がないのなら、宗教原理主義はよりグローバルな広がりをみせるが、原理主義を支える文化は世俗化されていく。一方、宗教と文化が切り離せないのなら、宗教原理主義が他の文化圏の社会に浸透し、世俗的・民主的慣行を侵食していくはずだ。だが現実には、宗教と文化と政治は常に相互作用している。「アラブの春」後のエジプトが具体例だ。ムスリム同胞団は、エジプト政治に食い込む「正しい」方法を探っている。彼らは選挙で議席を増やすことだけでなく、タハリール広場で若者たちが展開した民主化運動に共鳴するようなアプローチを模索している。宗教が政治に近づくことで、宗教運動も合理化、世俗化される。トルコのAKPも宗教を表舞台に再登場させることに成功し、宗教的慣行を公然と復活させたが、社会と政治的権利については現代的な民主路線を支持している。ほとんどの場合、宗教、文化、そして政治は依然として重なり合っている。

エジプトはどこへ向かっているのか

2011年10月号

フランク・G・ウィズナー   AIG 渉外担当副会長

エジプト軍は政治から一定の距離をとり、選挙を経て組織される議会が支える代議政府にバトンを渡し、憲法の起草を委ねたいと考えている。「今後も行政上の権限を維持したいとは軍は考えていない」と私は確信している。もちろん、国家安全保障領域については、軍の意見が尊重されることを望んでいるはずだ。・・・私は、エジプトでの論争がどのように展開し、選挙プロセス、移行期のリーダーシップがどのようになろうとも、エジプトは独自の判断を下し、時間はかかるとしても再び安定すると考えている。もちろん、それがどのような安定になるかは今後をみなければわからない。だが、エジプトは本質的に安定した国家であり、数千年におよぶ社会の安定という歴史的な支えを持っている。

カダフィ後のリビア
―― 選挙を急げば再び内戦になる

2011年10月号

ダウン・ブランカティ   ワシントン大学セントルイス校助教授(政治学)
ジャック・スナイダー   コロンビア大学教授(国際関係論)

リビア国民評議会(NTC)のムスタファ・アブドルジャリル議長は、18カ月以内に新憲法を制定し、選挙を実施すべきだと表明している。だが、近代的国家制度の存在しないリビアでかくも早い段階で選挙を実施するのはどうみても無理がある。早期に選挙に踏み切れば、内戦へと時計の針を逆戻しにする可能性が大きい。国際社会が平和維持軍を現地に送り込み、武装勢力の動員・武装解除を進め、信頼できる権力分有合意と近代的な政治制度の構築を支援するのなら、早期の選挙実施に伴うリスクを大きく抑え込めるかもしれない。だが、国際社会が積極的に現地に介入するとは考えにくいし、制度が整備されておらず、武装勢力が数多く存在し、政治腐敗が蔓延するリビアでこの条件を満たすのは容易ではない。

アラブの春の進展を阻む石油の呪縛

2011年10月号

マイケル・L・ロス カリフォルニア大学ロサンゼルス校 政治学教授

石油資源の国有化によって産油国政府は資金力を持つようになり、かつてなく強大なパワーを手に入れた。圧倒的な資産と経済パワーが政治家の手に移り、中東地域の支配者たちは公共サービスを向上させ、民衆をなだめるための社会プログラムのために石油資産の一部を使用するとともに、その多くを自らの富と権力のために用いた。リビアのカダフィはその具体例だ。仮に豊富な石油資源を持つ中東の独裁者が選挙で選出された指導者に置き換えられたとしても、権威主義が復活する不安はぬぐいきれない。中東諸国の独裁者と王族は石油マネーを利用して体制の支援者だけでなく、潜在的な反体制派もカバーする巨大なパトロンネットワークを形成しているからだ。その結果、独立系の市民社会集団が社会に根を張るのが構造的に難しくなっている。

世界はアフリカ東部の人道的悲劇を救えるか

2011年10月号

デビッド・バックマン ブレッド・フォー・ワールド会長、 ステファニー・バーゴス オックスファム・アメリカ上席政策アドバイザー、 リサ・メドークロフト アフリカ医療研究・教育基金エグゼクティブ・ディレクター

地球上で暮らす、すべての人々が消費できる十分な食糧が生産されているにも関わらず、10億もの人々が飢えに苦しんでいる。現在の食糧システムは崩壊しつつある・・・・一方でより奥深い危機が進行している。われわれは食糧価格の高騰、石油価格の高騰、気候変動問題が重なりあう複合危機の時代にある。(S・バーゴス)

遊牧民が多いケニア北部は干ばつに見舞われ、牛やらくだなどの動物に与える草が入手できなくなっている。かりに牧草がある地域を見つけたとしても、水がない。こうして水がある場所と牧草がある場所を数日かけて移動しなければならない状況にある。(L・メドークロフト)

なぜハイチは瓦礫に埋もれたままなのか
―― 巨大地震からの復興を阻む
統治の空白

2011年10月号

ポール・コリアー / オックスフォード大学教授

2010年、地震後のハイチが直面した切実な課題は、100億ドルの援助をどうすれば社会を変貌させる復興と再建にうまく生かせるかという点にあった。「かつてよりもよい状態へ再建する」。これが復興のキャッチフレーズにされた。その任務は気も萎えんばかりに大きかったが、特に複雑なことではなかった。人々をより地震の影響を受けにくいところで生活させ、この地域で雇用を創出し、社会サービスを提供する。これが基本だった。だが問題は、慢性的な社会的機能不全という環境で地震という急性の危機が起きたことだ。慢性症状が急性症状をさらに深刻にし、緊急事態への対応を難しくしている。急性症状を治すには、まず慢性疾患を治さなければならないという、非常に難しい状況にハイチは追い込まれている。

リビアの安定を 左右する原油生産の再開

2011年10月号

エドワード・モース シティグループ グローバルコモディティ研究担当マネージングディレクター、 エリック・G・リー シティグループ リサーチ・アナリスト

カダフィ時代のリビアでは、原油輸出からの歳入が輸出利益のほぼすべてだったし、金額でみればGDPの4分の1にも達していた。つまり、国際社会がリビアの外国資産の凍結を解除しても、石油の歳入がなければ、新政府は社会サービスを提供することも、傷ついたインフラを再建することも思うに任せないはずだ。そして、いつ原油生産を再開できるかは、カダフィ後の政治が安定するかどうかに左右される。全般的にみれば、考えられているよりも早く、生産は再開されるだろう。だが、紛争前と同じレベルの原油を生産できるようになるには12-18カ月はかかる。すべては、NTC(国民評議会)が石油からの収益を適切に管理し、正統性を確立できるかどうかに左右される。

Foreign Affairs Update
グリーンテクノロジーの将来
―― CCS技術への投資を

2011年10月号

ジュリオ・フリードマン ローレンス・リバモア研究所二酸化炭素管理プログラム責任者

グローバルレベルでも国家レベルでも、化石燃料による電力の生産と供給には変化がみられない。再生可能エネルギーの利用が増えているにもかかわらず、二酸化炭素排出量は急激に増大している。このような状況にあるにも関わらず、二酸化炭素を分離して、地球環境に悪影響を与えない安全な場所に封じ込め、大規模な気候変動を引き起こさずに化石燃料を利用できるようにするCCS技術はそれほど注目されていない。アメリカを含むOECD諸国の市民の多くは、二酸化炭素の回収・貯留技術(CCS)が何であるかについて、この技術で何ができ何ができないか、そして、それが環境上何を意味するかをほとんど理解していない。全面的に導入されれば、CCSは、世界が必要としている二酸化炭素排出削減量の25-50%を削減できるポテンシャルを秘めている。各国が二酸化炭素排出の削減に向けた力強いコミットメントからしだいに離れていくにつれて、CCSその他の重要なクリーンエネルギー技術の開発と実証研究が先送りされかねない状況にある。

誇張された大国、中国の実像
―― 持続的成長はあり得ない

2011年10月号

サルバトーレ・バボネス
シドニー大学上級講師(社会学・社会政策)

「これまでのようなパフォーマンスは期待できないが、中国経済が成長軌道から外れることはない」。多くのエコノミストはこう考えている。だが、状況は変化し、何かがうまくいかなくなるものだ。経済が成長するにつれて、中国がアジアや世界政治においてより大きな役割を担っていくのは間違いない。しかし、おそらくはそう遠くない将来に、中国の成長率もスローダウンし、かつて高成長を遂げた諸国同様に、成長率は低下していく。当然、アジアでも、世界においても中国が支配的優位を確立することなどあり得ない。専門家は、世界が中国語を学ばなければならないような「アメリカ後の世界」に思いをめぐらすことに興じている。だが、現実的に考えて、21世紀にそのようなことが起こるはずはない。いまや、巨大ながらも普通の国として中国に接し始めるタイミングだろう。「中国は重要な国だが、それほどパワフルなグローバルプレイヤーではない」

経済覇権はアメリカから中国へ
――21世紀に再現されるスエズ危機

2011年10月号

アルビンド・サブラマニアン
ピーターソン国際経済研究所
シニアフェロー

1956年、アメリカはイギリスに対して「スエズ運河から撤退しない限り、金融支援を停止する」と迫り、イギリスはこれに屈して兵を引いた。ここにイギリスの覇権は完全に潰えた。当時のイギリス首相で「最後の、屈辱的な局面」の指揮をとったハロルド・マクミランは後に、「200年もすれば、あの時、われわれがどう感じたかをアメリカも思い知ることになるだろう」と語った。その日が、近い将来やってくるかもしれない。スエズ危機当時のイギリスは交渉上非常に弱い立場にあった。債務を抱え込み、経済が弱体化していただけでなく、そこに新たな経済パワーが台頭していた。現在のアメリカも同じだ。米経済は構造的な弱点を抱え込み、目に余る借金体質ゆえに外国からのファイナンスに依存せざるを得ない状況にあり、成長の見込みは乏しい。そして、侮れない経済ライバルも台頭している。マクミランが予測したよりも早く、そして現在人々が考えるよりも早く、アメリカは覇権の衰退という現実に直面することになるだろう。

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