忌まわしきイラク紛争の現実
―― もはや分権化か分割しか道はない
Iraq in Pieces
2015年12月号掲載論文
イラク治安部隊の崩壊とシーア派武装勢力の台頭は、バグダッドの影響力をさらに弱め、イラク国内におけるイランの影響力を高めた。イランの影響下にあるシーア派武装集団は、スンニ派地域に攻め入っては残虐行為を繰り返し、結局は、スンニ派住民たちをイスラム国支持へと向かわせている。一方で、イスラム国が罪のないシーア派住民を爆弾テロで殺害すると、シーア派武装勢力への人々の支持が高まり、イラク政府はますます弱体化する。スンニ派とシーア派、アラブ人とクルド人、それぞれの宗派・民族集団の内部抗争という構図での地域的な代理戦争と紛争が同時多発的に起きており、イラク近代史におけるもっとも危険に満ちた時代が今まさに始まろうとしている。イラクが第2のシリア、つまり、市民を脅かし、大規模な難民を発生させ、ジハード主義を育む空間へと転落していくのを阻止するには大胆な措置が必要だ。おそらく各派の民族自決を認める必要がある。・・・
- 間違った期待と悪い政策
- 国家誕生から独裁制まで
- 「サダム後」の民族・宗派対立
- そして内戦へ
- マリキからアバディへ
- シーア派の「アラブ人とペルシャ人」の対立へ
- 想像を絶する政治腐敗
- 分権化、あるいは分割による平和
<間違った期待と悪い政策>
アメリカの指導者たちは、ことイラク問題となると、不快な現実に目を背け、それをバラ色の分析、それも疑問のある前提に基づく楽観的分析に置き換えようとする傾向がある。
湾岸戦争後の1991年、ジョージ・H・W・ブッシュ政権は、イラク人がサダム・フセインに対して反乱を起こすことを期待し、蜂起を促す発言をしておきながら、蜂起した民衆を共和国防衛隊が粉砕する事態を前にしても、行動を起こすことはなかった。1998年にビル・クリントン大統領は「イラク解放法」に署名することで、イラクの体制変革に公式にコミットしたが、皮肉にも、横領容疑で有罪判決を受けた過去をもち、イランの支援を受けていた元銀行家のアフマド・チャラビ(イラク国民会議議長)に膨大な資金を注ぎ込んでしまった。・・・
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