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エボラ危機対策の教訓(上)・(下)
―― なぜWHOは危機対策を間違えたか

ローリー・ギャレット 米外交問題評議会シニアフェロー(グローバルヘルス担当)

Ebola's Lessons

Laurie Garret 米外交問題シニアフェロー(グローバルヘルス担当)。ピュリツァー賞受賞ジャーナリストで、ニューズデイ紙医学担当記者、ハーバード大学フェローなどを経て、現職。専門は新興感染症、再興感染症、バイオテロ、公衆衛生が外交、国家安全保障に与える影響など。

2015年11月号掲載論文

人類が初めてエボラ出血熱に遭遇したのは1976年。ザイール(現コンゴ)のヤンブク村とその周辺地域においてだった。未知の忌まわしい疾患に感染した人は内出血を起こし、高熱を出して幻覚に襲われ、なかには気が触れたような行動をとる人もいた。その多くが死亡した。19年後、2度目の深刻なエボラ危機が再びザイールで起きた時も、依然として、ワクチンも治療法も、現地で利用できる診断キットもなかった。防護服は不足していたし、現地には医療システムも、訓練された医療関係者もいなかった。そして、2014年に再びアウトブレイクが起きた。3月半ばにエボラウイルスの感染が急拡大した後、4月上旬までに感染は下火になっていた。この段階で、世界保健機構(WHO)も米疾病管理センター(CDC)もアウトブレイクは収束しつつあると状況を誤認してしまった。だがそれは、小康状態に過ぎなかった。ウイルスは公衆衛生当局の監視の目の届かないところに潜伏し、歴史上、最悪のエボラ危機を引き起こすチャンスを窺っていた。・・・

  • 進化しないエボラ対策
  • 1976年という厄年
  • WHOの失策
  • リベリアの苦悩
  • 穴だらけの国境線

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