エボラ危機対策の教訓(上)・(下)
―― なぜWHOは危機対策を間違えたか
Ebola's Lessons
2015年11月号掲載論文
人類が初めてエボラ出血熱に遭遇したのは1976年。ザイール(現コンゴ)のヤンブク村とその周辺地域においてだった。未知の忌まわしい疾患に感染した人は内出血を起こし、高熱を出して幻覚に襲われ、なかには気が触れたような行動をとる人もいた。その多くが死亡した。19年後、2度目の深刻なエボラ危機が再びザイールで起きた時も、依然として、ワクチンも治療法も、現地で利用できる診断キットもなかった。防護服は不足していたし、現地には医療システムも、訓練された医療関係者もいなかった。そして、2014年に再びアウトブレイクが起きた。3月半ばにエボラウイルスの感染が急拡大した後、4月上旬までに感染は下火になっていた。この段階で、世界保健機構(WHO)も米疾病管理センター(CDC)もアウトブレイクは収束しつつあると状況を誤認してしまった。だがそれは、小康状態に過ぎなかった。ウイルスは公衆衛生当局の監視の目の届かないところに潜伏し、歴史上、最悪のエボラ危機を引き起こすチャンスを窺っていた。・・・
- 進化しないエボラ対策
- 1976年という厄年
- WHOの失策
- リベリアの苦悩
- 穴だらけの国境線
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