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米エリート大学の嘆かわしい現実
―― 失われた人間教育と格差の拡大

ジョージ・シアラバ 文芸評論家

Class and the Classroom―― How Elite Universities Are Hurting America

George Scialabba アメリカの著名な文芸批評家、優れたブックレビューアーとして知られている。近著に『What Are Intellectuals Good For?』『For the Republic』がある。

2015年5月号掲載論文

アメリカのエリート大学は若者に教養と規律を与える場ではなくなっている。大学は学部生を教える仕事を薄給の非常勤講師に任せる一方で、学生とはほとんど接することのない著名な研究者をリクルートすることに血道をあげている。経験が豊かで献身的な教員の指導のもとで、学生たちがさまざまな概念について意見を交換し、人生の目的を考え、それまで常識と考えてきたことに疑いを抱くような経験をさせるという役割はもはや重視されていない。親にも問題がある。いまや十代あるいはそれ未満の子供時代でさえ、名門大学に入るための激しい競争のなかにいる。・・・完璧な経歴づくりは、プレスクール選びから始まり、小中学校を通じて続く。これらが社会格差を増大させ、コミュニティ意識を希薄化させている。この歪んだ構造が教育上の問題だけでなく、政治・社会問題も作り出している。

  • 目的を見失った大学
  • 本当に人生への投資になるか
  • 実利主義と格差の拡大
  • 教育と格差

<目的を見失った大学>

20世紀の社会学から生まれたもっとも有意義な概念の一つは、マックス・ウェーバーが唱えた(人が目的を実現する上で最適だと思ってとる)目的合理的行為が人間を「鉄の檻」に閉じ込めてしまうという概念だろう。生産や統治の領域で、市場競争(資本主義経済)やイデオロギー的規範(共産主義経済)のような何らかの組織化原理が広がると、社会の他の領域の制度も、同じ原則に影響されるようになるとウェーバーは主張した。

イデオロギーが支配的な社会では、流動的な何かはすべて石と化し、市場が支配的な社会では、固定的なものはみな溶け出して、流動的になる。もちろん、すべてというのは言いすぎだろう。他の有意義な理論と同じように「鉄の檻」は一つのモデルに過ぎない。どの社会にもまだ合理化されていない保護された(あるいは放置された)領域があり、そこでは伝統やコミュニティ意識が豊かに息づいている。「それでも合理化の波は、ゆっくりと否応なく押し寄せてくる。やがて現代社会の慣習や制度はすべて、本来の目的とは関係なく、社会の根本的な組織化原理に適応せざるを得なくなり、それに抵抗することはできなくなる」。ウェーバーはこう考えた。

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