人道的介入で破綻国家と化したリビア
―― なぜアメリカは判断を間違えたのか
Obama's Libya Debacle
2015年4月号掲載論文
NATOが軍事介入するまでには、リビア内戦はすでに終わりに近づいていた。しかし、軍事介入で流れは大きく変化した。カダフィ政権が倒れた後も紛争が続き、少なくとも1万人近くが犠牲になった。今から考えれば、オバマ政権のリビア介入は惨めな失敗だった。民主化が進展しなかっただけでなく、リビアは破綻国家と化してしまった。暴力による犠牲者数、人権侵害の件数は数倍に増えた。テロとの戦いを容易にするのではなく、いまやリビアは、アルカイダやイスラム国(ISIS)関連組織の聖域と化している。「もっと全面的に介入すべきだった。社会を再建するためにもっと踏み込んだ関与をすべきだった」とオバマ大統領は語っている。だが、実際には、軍事介入の決定そのものが間違っていた、リビアには軍事介入すべきでなかった。
- リビア介入という大失策
- 二つの政府
- 反カダフィ派による復讐と殺戮
- 犠牲者数は誇張されていた
- 介入と紛争の長期化
- テロリストの台頭と兵器拡散
- リビア介入の余波
- 介入していなければ
- リビアの教訓
<リビア介入という大失策>
2011年3月17日、国連安保理はオバマ大統領が主導した決議1973号を採択し、リビアへの軍事介入を承認した。大統領は「リビアの独裁者、ムアンマル・カダフィによって弾圧の対象とされている民主化を求める平和的デモ参加者の命を救うことが介入の目的だ」と説明した。「カダフィは、チュニジアやエジプトで権威主義政権を倒したアラブの春のリビアにおける流れを粉砕し、いまや民衆蜂起が最初に起きた都市を血の海に沈めようとしている」。オバマは後に次のように語っている。「あと1日、軍事介入を見合わせていれば、(ノースカロライナ州)シャーロットと同規模の都市ベンガジで、世界の良心を傷つけ、地域的な余波を伴う大量殺戮が起きることは分かっていた」
安保理決議から2日後、アメリカとNATO(北大西洋条約機構)の同盟国はリビア上空に飛行禁止空域を設定し、リビア軍に対する空爆を開始した。7カ月後の2011年10月、欧米の支援を受けた反政府武装勢力がリビアを制圧し、カダフィは殺害される。
軍事的勝利を収めた直後、米政府関係者は目的を達成できたことに満足していた。2012年にフォーリン・アフェアーズ誌に寄せた論文で、当時のNATO米大使アイボ・ダールダーと欧州連合軍最高司令官ジェームズ・スタブリディスは「NATOのリビアにおける軍事行動は、理想的な介入モデルとみなせる」とさえ主張した。カダフィがこの世を去った後、オバマはホワイトハウス・ローズガーデンにおける記者会見で「米地上軍を1人も投入せずに、われわれは目的を達成した」と宣言した。
たしかに、アラブの春の流れを助け、ルワンダで起きた大量殺戮がリビアで再現されるのを回避し、この国がテロの温床となるリスクを抑え込めたとすれば、それは、まるで手品でも使ったかのような大きな成果だった。だが勝利の美酒に酔いしれるのは時期尚早だったようだ。今から考えれば、オバマのリビア介入は、アメリカの基準に照らしても、惨めな失敗だった。
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