第2の大恐慌か ―― まだ緊縮財政のタイミングではない
The Second Great Depression ―― Why the Economic Crisis Is Worse Than You Think
2013年8月号掲載論文
「今回の経済危機は、大恐慌ほどには深刻にはならなかった」と多くのエコノミストは考えているし、私自身、今回の経済危機を「小ぶりの大恐慌」と呼んできた。だが今では、私の認識は間違っていたのではないかと考えている。現在も進行している経済危機と大恐慌を比較すると、現在の経済危機が「小ぶり」だと決めつける理由はない。経済停滞がもたらす痛みが、大恐慌期とは比較できないほどに軽いもので済んでいるのは、ひとえに社会政策のおかげだ。当然、もっと金融緩和と財政出動を続ける必要がある。積極策を続けると同時に、金融機関のエグゼクティブたちに、巨額の報酬を与えるべきではないことを株主たちに教育する必要があるし、そのような報酬システムが非常に大きなリスクを作り出していることを政治家に認識させることも必要だ。より大胆な一連の行動をとらない限り、アメリカは再び大規模な経済危機に直面することになりかねない。
- 大恐慌よりましと言えるのか?
- まだ緊縮財政のタイミングではない
- 腐敗した金融システムを建て直すための十戒
- 何をどうすべきか
<大恐慌よりましと言えるのか?>
米経済の危機と停滞については、これまでも数多くの優れたエコノミストが分析を示してきたが、アラン・ブラインダーがこれをテーマに包括的な分析を示したのは、ごく最近になってからだ。最近の著書、『音楽が止んだ後で』のなかで、ブラインダーは経済危機の各段階における政策オプションを明確に示しており、その分析はマクロ経済学の深い洞察で支えられている。経済危機全般をテーマにこれまでに出版された数ある書籍のなかで、ブラインダーの著作は、もっとも完成度が高いと言えるだろう。
ただし、優れた点が数多くあるとはいえ、『音楽が止んだ後で』は米経済の現状を過度に楽観的にとらえているようだ。ブラインダーは「リーマン・ブラザーズが破綻してから4年以上になるが、政策立案者たちは依然として不安定でひ弱な経済を支え育もうとしている」と述べている。現実には米経済は「不安定でひ弱」という表現が意味するところよりも悪い状態にあるし、支え育まれることで「健全な状態へと戻っている」兆候もほとんどない。
「今回の経済危機は、大恐慌ほどには深刻にはならなかった」。多くのエコノミストは、現状における経済停滞をこうとらえることで、一つの光明をみいだしている。私も最近まで同じように考え、今回の経済危機を「小ぶりの大恐慌=lesser Depression」と呼んできた。
だが今では、これまでの私の認識は間違っていたのではないかと考えている。現在も進行している経済危機と大恐慌を比較して、現在の経済危機が「小ぶりだ」と決めつけることはできない。危機が始まった2007年とヨーロッパ経済の現状を比較すれば、大恐慌が始まった1929年と1935年の経済状況を比較した場合以上に、深刻な状態にあることが分かる。米経済も、失われた10年あるいは20年を経験することになりかねない。
米経済が回復しつつあると言っても、それは経済状況が悪化していないだけの話だ。ブラインダーは、「ピーク時には10%に達していた失業率も現在では8%付近で安定し、健全な経済状態に戻りつつある」と考えているが、このような評価は誤解を招く。約5年前には63%だったアメリカの成人雇用率は、2009年には約59%へと低下し、現在もほぼ同じ水準にある。雇用という側面でみれば、米経済は、回復途上にあるとは言えず、横ばいをたどっている。
GDP(国内総生産)はどうだろうか。1929年の大恐慌発生から第二次世界大戦参戦までの12年間におけるアメリカの経済生産は、大恐慌前の平均に比べて、180%低下している。米議会予算局が予測するように、アメリカの経済生産が2017年までに2008年以前の水準に回復すれば、米経済生産は危機前の平均と比べて60%しか落ち込んでいないことになる。しかし経済停滞が2017年までに終わるとは考えにくい。
大恐慌期の終盤に第二次世界大戦が起きて米経済は蘇生したが、現状では、アメリカ経済を大きく刺激するような戦争も大きなイノベーションも起きる気配はない。経済停滞があと10年続けば、アメリカはさらに経済危機前の年間分の生産を失い、合計すれば経済危機前の平均の160%に匹敵する経済生産を喪失することになる。これは、大恐慌とほぼ同規模の経済生産上の損失が生じることを意味する。
もちろん現在の経済停滞がもたらす痛みが、大恐慌とは比較できないほどに軽いもので済んでいるのは事実だろう。だが、それは経済要因ではなく政治領域における社会政策のおかげだ。フランクリン・ルーズベルトのニューディール、ハリー・トルーマンのフェアディール、ジョン・F・ケネディのニューフロンティア、そしてリンドン・ジョンソンのグレートソサエティーが作り上げ、ビル・クリントンが維持した社会保障プログラムのネットワークが、経済停滞が引き起こした貧困問題を大きく緩和することに貢献している。
今後どうなるのだろうか。一連の社会保障プログラムを誕生させたような、大胆な政治行動だけが、今後の大規模な経済危機がもたらす悲劇への保険なのかもしれない。しかし、アメリカの政治システムは機能不全に陥っている。議会は切実に必要とされている金融規制を支持しようとしない。
ブラインダーは、結論部で一連の前向きな提言を示しているが、彼の著作の最大の弱点は、政治が機能不全に陥っているという現実を考慮に組み込んだ、現在の袋小路から脱するためのロードマップを示していないことだ。より大胆な一連の行動をとらない限り、アメリカは再び大規模な経済危機に直面することになりかねない。
<まだ緊縮財政のタイミングではない>
私があえて悲観論の立場をとっていると考える人もいるかもしれないが、そうではない。実際、米債券市場の動きは私の考えを裏付けている。1975年以降、30年国債の利回りは短期国債よりも平均で2・2%高くなっている。現在の30年国債の利回りが年3・2%であることを考えると、金融市場のプレイヤーたちは、今後の数十年にわたって短期国債の利回りは平均すると年間1%を少し上回る程度だと予測していることになる。
連邦準備制度理事会が短期国債の金利をこのように低く抑えようとするのは、生産能力が過剰で、労働力が十分に利用されていない経済停滞期だけであり、ここにおける主要なリスクは、インフレではなくデフレだ。第二次世界大戦以降、短期国債の利回りが2%を下回ったときはアメリカの失業率は平均8%に達している。債券市場という水晶玉が映し出しているのは、おそらく数十年にわたって経済が停滞するという未来に他ならない。
一方で、米連邦準備制度理事会と米議会の姿勢が革命的に変化しない限り、数兆ドル規模の資産買い上げ、大規模なインフラ投資などの、経済を刺激するための積極策が今後実施されることはないだろう。
政策立案者たちは国債の金利上昇リスクを心配しすぎている。もちろん彼らの懸念は、ブラインダーも十分に理解しているように、現状に照らせば間違っている。「連邦準備制度理事会の資産買い入れや米財務省の国債発行による債務増大は、金利が低く維持されている限り、米経済に深刻な問題を作り出すことはない」。この現実主義のエコノミストたちのコンセンサスをブラインダーも共有している。
財政タカ派(緊縮財政派)はマクロ経済マネジメントの基本原則を忘れているようだ。流動資産、安全資産、金融貯蓄手段が十分に提供されるように配慮するのが政府の仕事だ。この数年間にわたってこの基本原則が無視されてきた。国債の売買を監督する連邦公開市場委員会のメンバーの多くは、連邦準備制度理事会はすでに慎重さの限界を超えて積極的な拡大政策をとっていると考えている。ブラインダーはこの点には同意せず、「連邦準備制度理事会のタカ派は、今も多くの人を苦しめている高水準の失業率よりも、将来のインフレを懸念しているようだ」と正しく批判し、「私はハト派(金融緩和派)を支持する」と表明している。
さらに劣悪なのはアメリカ議会の態度だ。予算をめぐる混乱は不条理に満ちた悪夢の様相を呈し始めている」とブラインダーは嘆き、「解決策のアウトラインは、はっきりとしている」ではないかと問いかける。「われわれは現状における適度な財政出動、そして将来における大規模な財政赤字削減策を必要としている」
共和党支持者はこれから10年後には増税を受け入れなければならないし、一方、民主党支持者も、現在の予測よりも政府支出が減少することを受け入れる必要がある。「大統領が設置し、アースキン・ボウルズとアラン・シンプソンが共同議長を務める財政責任改革委員会による政府支出の削減と増税を統合した提案をおそらくは前提とする、財政赤字削減パッケージが将来的には採用されるべきだ」とブラインダーは主張しつつも、「今はそのタイミングではない」と正しい指摘をしている。
ブラインダーは正しいメッセージを発信しているが、そのメッセージをカラスやハゲワシと大差ない米議会に向けて発信している。議会は、サタデー・ナイト・ライブでスティーブ・マーチンが演じた中世の外科医セオドリック・オブ・ヨーク同様に、「病気が何であれ、すべての患者が必要としているのは、さらなる出血だ」と言わんばかりの態度をとっている。議会が用いるメスとは、雇用と生産を抑え込む厳格な緊縮財政に他ならない。
<腐敗した金融システムを建て直すための十戒>
アメリカの政治家や政策立案者たちが間違った政策に固執しているときに、エコノミストには何ができるだろうか。適切な方向へとエコノミストが政策を動かせる環境ではないときに、エコノミストは何をすべきなのか。
大恐慌が現在の危険な状態に非常によく似た状態にあった段階で、ジョン・メイナード・ケインズは政策には背を向け、マクロ経済思想をゼロから再構築しようと試みた。ケインズは『雇用・利子および貨幣の一般理論』を世に送り出すことで、次の経済危機が発生したときに、エコノミストたちがこれまでとは異なる思考をするように促すことを考えていた。
2009年までは、ケインズの試みは成功していたとみなせるかもしれない。しかし現状に照らせば、彼の思惑は、半分程度しか実現していない。緊縮財政のマジックを通じて「信用の妖精」が現れ、経済に繁栄の祝福が降り注ぐという、1930年代に信じられていたのと同じ呪文が今も繰り返し唱えられている。控えめにみても、これは非常に厄介な状況だ。
ローレンス・サマーズは、ロンドン・スクール・オブ・エコノミクスにおける2013年3月の演説で、マクロ経済思想の再構築だけでなく、中央銀行の制度と志向性の再構築を求めたが、第2のケインズになれるほど、賢く大胆で、なおかつ傲慢なエコノミストは現在の世界にはいない。
ブラインダーも(サマーズ同様に)より穏健なアプローチを提唱し、自らの改革提言を十戒の形式でまとめている。そのうちの三つは政府、残りの七つは金融機関のエグゼクティブへのアドバイスだ。
政策決定者については、次の3点を認識するように促している。利益・投機・繁栄・クラッシュ・倒産・パニック・不況のサイクルが、少なくとも1825年以降の産業市場経済の不変の特徴であること。金融機関のエグゼクティブの行動を自己規制に委ねるのは壊滅的事態を招き入れる処方箋と同じであること。そして金融機関のエグゼクティブたちに、(規制やペナルティを通じて)大衆を欺いて利益を確保するようなやり方はとらないという強いインセンティブをもたせる必要があることだ。
一方で、ブラインダーは金融機関のエグゼクティブに対しては次の点に留意することを促している。株主が(彼らの)本当のボスであること。リスクを管理・制限することが必要不可欠であること。過剰な借り入れは危険で、複雑な金融商品も同様に危険であること。取引はオープンな市場において標準化された金融商品を通じて行うべきであること。バランスシートは(金融)企業の姿を正確に映し出すものでなければならないこと。そして、歪んだ報酬システムを是正しなければならないことだ。
ワシントンがブラインダーの提言する最初の三つの戒めを受け入れて、金融を厳格に規制する必要があることは明らかだ。そうすることで、ウォール・ストリートに過去の歪んだ構造と怠慢に対する責任をとらせ、今後よりまともな行動をとるように仕向ける必要がある。
しかしブラインダーは、これらを実現するのがこれまでいかに困難だったか、この問題に取り組もうとする(政府や議会の)政治的意思がほとんど存在しないことを十分に強調していない。
たしかに、現在20代の若者たちは、住宅、モーゲージ、証券、デリバティブ市場で横行した金融機関による詐欺紛いの行動が大きな問題を引き起こしたことを忘れないだろうから、今後、金融企業に規律を徹底させるのは政治的により簡単になると考えるエコノミストもいる。
一方で、金融の行き過ぎを規制しようとする政治的意思は時間と共に弱まっていくと考えるエコノミストもいる。ウォール・ストリートは資金力を利用して議会への影響力を行使すると彼らはみている。適切な規制は金融機関にとっても長期的には利益になるが、金融機関のエグゼクティブたちは愚かにもこの事実を認識できずにいる。彼らは一財産を築いたら、「あとは野となれ山となれ」といった感覚をもっている。もし私の認識が正しいとすれば、アメリカは非常に大きな問題を抱え込むことになる。
ウォール・ストリートに対する健全な規制が実現するかは、現状とは異なる、より金権体質が希薄な政治が実現されるかどうか、別の言い方をすれば、より平等な所得分配状況にあった第二次世界大戦後のような政治へと回帰していくかどうかに左右される。だが、より平等な所得分配を現状において実現できるだろうか。
第二次世界大戦後、米政府が大衆教育を重視した結果、高所得の職業を求める人の数が急激に増え、結果的に労働者階級の所得分布の歪みは是正された。再び教育を重視し、累進課税制度を強化すれば、新しい政治状況が生まれ、2008年と2009年に提案された金融規制を支持するような政治と議会が誕生するかもしれない。
金融機関のエグゼクティブに向けられているブラインダーの七つの戒めは、政府に対する三つの戒めと比べて、重要性という点で見劣りするが、彼が、歪んだ報酬システムを主要な問題ととらえているのは間違っていない。この報酬システムが「一財産を築いて、金融がクラッシュをする前に逃げ出せる」と考えている金融機関のエグゼクティブたちに、大きなリスクを引き受ける動機を与えてしまっているからだ。
金融でカネを儲けるには三つの方法があるが、そのなかでシンプルな方法は一つしかない。最初の方法は、他の市場プレイヤーよりも優れた情報を得て、これを利用して金融資産を安く買い、高く売ることだ。しかし、いつもこのようなことができるはずはない。次の方法は、追加リスクを引き受けることを辞さない投資家のために、それに見合うリスクの商品を見つけることだが、これも非常に難しい。
最後のやり方がもっともシンプルだ。これは、本当のリスクを理解していない投資家に、リスクを押しつけることだ。このやり方は、金融市場における情報が十分でないとき、つまり、証券が複雑に組成され、取引が独特の手法で、水面下で行われるとき、そしてバランスシートが企業の財務状況を正確に反映していないときにうまくいく。
金融機関エグゼクティブのための歪んだ報酬システムが存在する限り、アメリカの金融産業の問題は、今後も制御できないままだろう。報酬システムを変革すれば、すべてではないとしても、問題の多くを解決できる。理想的な世界であれば、金融の専門家も他の領域の専門家と同程度の報酬になるはずだ。医者、法律家、建築家、エンジニアなども、仕事で優れた判断を示し、クライアントが彼らの判断に十分な価値を認めた場合、引退するまでに十分な生涯所得を得ることができる。一世代前なら、こうした他の専門職と金融の専門職の生涯賃金はほぼ同じレベルだったし、しかも、金融の専門家たちが(当初の給料は安くても)、キャリア後半に民間投資銀行のパートナーとなって大きな報酬を得ることで所得面での均衡が実現していた。
現在でも、金融機関の株主が希望すれば、そのような節度ある報酬システムを復活させられるが、株主は組織化されていないし、そうすることを望んでもいない。したがって金融機関のエグゼクティブたちがブラインダーの戒めを受け入れるはずはなく、(報酬システムの改革を受け入れる)唯一の可能性は、彼らが公益に配慮するかどうかに左右される。
ブラインダーは、彼の処方箋が機能せず、再び経済が困難な事態に直面する可能性があることに配慮し、この著作の結論として、政策立案者たちが次の経済危機を前にどのように行動すべきかを提言している。「リスクが社会を覆い尽くす前に、その進行を食い止めるように努力し、どのような対策をとるかを明確に社会に伝え、痛みを公正に分かち合うことを確約し、甘い見通しに基づいた約束を絶対にしてはいけない」と彼はアドバイスしている。
政策立案者たちは、実際に公平なだけではなく、間違いなく公平とみなされるような痛みを分かち合う施策を考案しなければならない。自行の投資を適切に管理していなかったエグゼクティブと役員たちは職場を去り、ストック・オプションや過去のボーナスも返上すべきだし、株主がこのようなペナルティを求めなければ、政府が介入すべきだろう。不道徳なエグゼクティブと役員を選任した株主にも損失を受け入れさせるべきだ。そして大統領は有権者に対して、経済危機と政府の対応策について何度でも説明し、平均的な有権者が事態を理解できるようにしなければならない。
<何をどうすべきか>
米経済の回復は依然として不安定であり、オバマ政権による金融危機の余波への対処策を現状で評価するのは難しい。経済は急速に回復し、金融改革に対する銀行家の反対は抑え込めると考え、住宅部門は再編成も大規模な差し押さえに対する救済も必要ないと信じていた点で、大統領と彼のチームは大きな判断ミスを犯したし、間違いはこれに留まらない。
だが、経済危機への対応が、一般に考えられているよりもはるかに困難であることも事実だろう。政府系エコノミストが指摘するように、米議会がオバマ政権の経済政策の実施を阻む大きな障害を作り出しているのも間違いない。さらに、アメリカで発生した危機だったとはいえ、ヨーロッパがより大きな困難に直面し、今も苦しんでいることも認識する必要がある。つまり、(大胆な対策をとっていなければ)アメリカも、現在のヨーロッパのように、さらに深刻な事態に直面していたかもしれない。とはいえ、オバマの金融危機対策が経済回復を刺激できていないのは事実だろう。制度の再構築も停滞し、金融危機の適切な教訓がアメリカの金権政治のなかに浸透していないことは否定しようがない。
だからといって、政策立案者とエコノミストが諦めてもよいことにはならない。短期的には、「拡張的な金融・財政政策はインフレと国家財政の破綻をもたらし、緊縮財政が成長をもたらす」と予測した政策立案者とエコノミストの名前を記録し、誰が正しく、誰が間違っていたかを有権者とジャーナリストに思いだしてもらうことを別にすれば、できることはほとんどないかもしれない。
だが、中期的には政治状況も変化するだろう。実際、大恐慌が発生して6年が経過した1935年までには、金本位制(と緊縮財政)に執着したのが間違っていたことが教訓として学ばれ、フランスを除くすべての主要経済国はニューディール政策に準じた社会保障プログラムを導入していた。イギリスで連立政権が生き残り、緊縮財政路線が維持されていれば、「需要が不足しているときに経済回復よりも政府支出の削減を優先するのは間違っていること」を示す歴史的事例を提供することになっていただろう。
イギリスの大恐慌期のエコノミスト、ラルフ・ホートリー卿が指摘したように、このタイミングで緊縮策をとるのは、「ノアの洪水が起きているというのに、火事だ、火事だと叫ぶようなものだ」。適切な経済政策に関する判断能力がある人々も、経済回復と完全雇用を優先する「政治的なタイミング」はまだ到来していないと考えている。
だが長期的には株主と政治家を教育する必要がある。本来なら株主のために働くことになっている金融機関のトレーダーとマネジャーたちに、短期的な企業収益を基盤に巨額の報酬を与えるべきではないことを株主たちに教育する必要があるし、そのような報酬システムが非常に大きなリスクを作り出していることを政治家に認識させる任務も残されている。いつの日か、この任務を完遂することが不可能ではなくなる日がやってくることを願いたい。●
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