Zhao jian kang / Shutterstock.com

追い込まれた中国共産党
―― 民主改革か革命か

ヤシェン・フアン マサチューセッツ工科大学教授

Democratize or Die

Yasheng Huang マサチューセッツ工科大学教授で、同大学のチャイナラボ、インドラボの所長。中国とインドの人的資本の形成をテーマに研究している。主な著書にCapitalism with Chinese Characteristics, a history of economic reforms in China.がある。

2013年1月号掲載論文

これまでのところ、中国が民主体制へと近づいていくのを阻んできたのは、それを求める声(需要)が存在しなかったからではなく、政府がそれに応じなかった(供給しなかった)からだ。今後10年間で、この需給ギャップが埋められていく可能性は十分ある。一人あたりGDPが4000―6000ドルのレベルに達すると、多くの社会は必然的に民主化へと向かうとされるが、すでに中国はこのレベルを超えている。さらに、今後、中国経済がスローダウンしていくのは避けられず、社会紛争がますます多発するようになると考えられる。さらに、中国の政治・経済的未来へのコンフィデンスが低下していくのも避けられなくなり、資本逃避が加速することになる。この流れを食い止めなければ、相当規模の金融危機に行き着く危険もある。政治改革に今着手するか、壊滅的な危機に直面した後にそうするかが、今後、中国政治の非常に重要なポイントになるだろう。

  • 共産党の未来 
  • それほど大きくない壁
  • 現実を見据えよ
  • 民主主義がやってくる

<共産党の未来>

2011年、中国の温家宝(ウェン・チアパオ)首相はイギリスの王立協会における演説で「いずれ中国は、民主化、法の支配、公正さと正義を完全に実現することになるだろう」と述べ、「自由がなければ、本当の民主主義は実現しない。政治、経済的権利なしでは、本当の自由も実現しない」と明言した。

一方、上海を拠点に活動するベンチャーキャピタリストのエリック・リは、この雑誌に寄せた「中国の台頭は続く」で、北京は民主化の意向など持っていないと指摘し、民主化論争などもはや存在しないとさえ述べている。「中国共産党は今後も権力を維持するだけでなく、今後の成功によって、一党支配システムにさらに磨きをかけ、そのプロセスを通じて、政治開発(と民主化)に関する欧米の通説を脅かすにようになる」と彼は言う。だがリの判断は時期尚早かもしれない。

彼は、中国人が政治的な現状の維持を望んでいる証拠として(世論調査の結果をみても)「民衆は国の方向性を全般的に支持している」と言う。だが、言論の自由のない国で、指導者のパフォーマンスを評価するように求めるのは、一つしかない選択肢への回答を求めるようなものだ。

事実、政治的に微妙な内容を避けた質問を用意した、より包括的で洗練された世論調査では、彼の結論とは逆の結果が出ている。ユン・ハンチュウ、ラリー・ダイアモンド、アンドリュー・ネーサン、ドー・チュル・シンが編集した著作『東アジアは民主主義をどのようにとらえているか』で引用されている2003年の調査によれば、調査対象の72・3%が「民主主義体制を今導入するのが好ましい」と答え、67%が「現在の中国には民主主義がふさわしい」と答えている。

より踏み込んだ民主化を求める声が中国内で聞かれる。1989年の天安門事件の弾圧以降、反改革派が党内で大きな影響力を持ってきたが、最近では、(政治腐敗に対する)政府の誠実な対応、情報公開、説明責任を果たすことを求める数億のインターネットユーザーの声をバックに、党内の改革派が勢いを持ち始めている。中国の新指導層は、「中国の政治システムの欧米化は許さない」と強く警告した前体制とは違って、より穏健な路線を導入していくことに前向きのようだ。

これまでのところ、中国が民主体制へと近づいていくのを阻んできたのは、それを求める声(需要)が存在しなかったからではなく、政府がそれに応じなかった(供給しなかった)からだ。今後10年間で、需給関係のギャップが埋められていく可能性は十分ある。

<それほど大きくない壁>

中国の経済成長は鈍化し、社会サービスも適切なレベルにはなく、政治腐敗が横行している。これらの問題を抱えていることはリも認めている。だが彼は、そうした問題を解決していく能力面で、中国政府はいかなる民主国家をも上回っていると言う。中国共産党は困難な決定を下す能力、自己修正力、能力主義構造、そして広範な大衆の支持ゆえに、問題の解決に向けた路線を最後までやり抜くことができる、と。

たしかに、約60年におよぶ統治を通じて、中国共産党は、集団農場から、大躍進政策、文化大革命、そして民営化にいたるまでのありとあらゆることを試みてきた。リによれば、このプロセスを通じて、「中国共産党は、近代世界における自己改革能力の高い政治組織の一つになった」。もっとも、「中国共産党は過去の失敗から学び、間違いを修正していく力を持っている」とリは主張するが、温家宝首相にはそれほどの確信はなかったようだ。2012年3月、数多くの政治腐敗と政治スキャンダルを前にした温家宝は、政治改革をしなければ、「文化大革命のような歴史的な悲劇が繰り返される恐れがある」とさえ述べている。

中国が、20世紀における大きな悲劇とみなされている大躍進計画、文化大革命を超えた長い歴史を持っているのは事実だろう。だが共産党はこの二つの悲劇をめぐる責任を明確に認めたわけでも、同様の悲劇を繰り返さないためにどうすればよいか対策を講じてきたわけでもない。明確な情報公開のための制度も、抑制と均衡のシステムも持っていないために、温家宝、そしてこの二つの悲劇に苦しめられた数億の中国人が、今後を心配してもおかしくない状況にある。

中国共産党の適応力に加えて、リは中国共産党の能力主義も称賛している。革新的な公共政策をとったことが評価され、後発地域の党政治局職員にすぎなかった仇和(チュウ・フ)が、雲南省の副党書記にまで昇進したケースを彼は引き合いにだしている。たしかに、中国の政治システムが、仇和のような人物に改革の実験を委ねるほどに柔軟であるという事実は、そう簡単に共産党体制が崩壊しない根拠とみなせるかもしれない。

とはいえ、リは仇和のケースを(共産体制を維持し)民主化に反対する根拠として引いている。つまり、末端の政府役人だった人物に改革路線、判断を現場に委ねる補完性原理や連邦主義を認めた中国のやり方は、実際には、機能する民主主義の基本要素でもある。一般に、補完性原理や連邦主義を認めず、中央政府がすべてを統括する中国とは違って、ほとんどの民主国家では政治権力の分権化が憲法で規定されている。

彼のストーリー描写には、もうひとつ問題がある。現実には、数多くの政治家が、たいした手腕を発揮したわけでもないのに、共産党内のロジックで引き立てられていることだ。システマティックにデータを検証すれば、「中国の政治システムは能力主義を基盤としている」というリの主張に根拠がないことがわかる。

中国の政治・経済データを細かに検証した政治学者ビクター・シフ、クリストファー・アドルフ、ミンシン・リューは、「すぐれた手腕で経済パフォーマンスを残した官僚のほうが、そうでない者よりも、昇進・抜擢される可能性が高いとみる根拠はない」と結論づけている。

昇進にとってもっとも重要な要因はやはり上層部による引き立てであり、中国の著名な歴史家で編集者でもあるウー・シ(Wu Si)は、上司の引き立てを「昇進システムにおける暗黙のルール」と呼んでいる。

米大統領になる前からバラク・オバマは十分な社会的評価と経験を積んでいたと考えられているが、中国の政治に照らせば、その程度の評価と経験はとるに足らぬものとみなされるとリは主張している。たしかにそうかもしれない。だが、その裏側に目を向ける必要がある。

例えば、元共産党政治局のメンバーで、その夫人が英国人の殺害に関与していたことを認めた薄熙来(ポー・シーライ)だ。奇妙にも、彼は役人のサラリーで息子を学費の高いアメリカの一流校に留学させ、しかも、ジャーナリストや弁護士をターゲットにした弾圧策をとり、非常に多くの市民を法手続も踏まずに、拷問したり、刑務所に送り込んだりしていた。

アメリカなら、彼のような経歴の人物が出世を果たすことなどあり得ないが、中国で彼はエリート中のエリートだった。失脚するまで、薄熙来は、仇和同様に無限大の権限を持ち、彼はこの権限を、温家宝が明確に批判した文化大革命的な手法で行使してきた。

リは共産党が民衆に支持されているとも指摘している。だが、政治腐敗と権力の乱用によって、その政治的正統性は揺らいでいる。薄熙来のケースから、共産党の幹部たちが学んだ教訓とは、まさに正統性の危機だった。

事実、習近平(シー・ジンピン)と胡錦濤(フー・ジンタオ)という新旧2人の最高権力者は「政治腐敗は共産党と国家を滅ぼす」と警告する声明を最近出している。中国経済の成長がスローダウンしているだけに、彼らが示した見方には説得力がある。

もちろん、広く民衆に支持されている共産党指導者はもはや存在しないと言うつもりはない。だが、広く市民に尊敬されているのは、1970年代に改革開放路線に着手した鄧小平(デン・シャオピン)、そして彼のもとで党中央委員会総書記を務めた胡耀邦(フー・ヤオバン)などの改革派だ。改革開放路線を人々が依然として支持しているという事実が、共産党に生き残るチャンスを与えてくれている。段階的で平和的な民主体制への移行を達成するために先を見据えた改革アジェンダを模索すれば、中国は、中東を席巻しているようなカオスと激変を回避できるかもしれない。

<現実を見据えよ>

中国の政治システムを肯定的に評価した上で、リは欧米世界の問題を指摘している。中間層の解体、破綻したインフラ、債務問題、利益団体に手足を縛られた政治家など、欧米が直面する問題はすべてリベラルな民主主義(代議制民主制度)が作り出していると批判している。

だが、経済危機の結果、そうした問題に直面しているのは、リベラルな民主主義だけではない。歴史的にみれば、権威主義体制も似たような危機に直面している。1970年代と1980年代の軍事政権時代のラテンアメリカは深刻な経済危機を経験しているし、1997年にも同様に開発独裁体制をとるインドネシアも経済危機に席巻されている。

歴史的にみても、金融危機を回避できた権威主義国家とは、そもそも金融システムを持っていない(ソビエトのような)中央統制経済国家だった。だが、急激な景気変動を経験する代わりに、この手の経済システムは非常に長期におよぶ経済停滞に苦しめられてきた。

リはトランスパーレンシー・インターナショナルのデータを引いて、多くの民主国家は中国以上に腐敗しているとも指摘している。各国の情報公開、透明性を推進する国際的民間組織のデータを、不透明な権威主義システムを擁護するために用いていることの皮肉を別にしても、リの議論はより根本的なポイントを無視している。それは、一党支配体制の国では本当の情報は非常に少なく、そのほとんどが抑え込まれていることだ。

例えば、(民主国家である)インドで2010年に立ち上げられた、ウェブサイト「I Paid a Bribe」は、政府サービスを受けるためにオカネを払わされたケースを人々が匿名で通報できるようにシステムを組み、2012年11月の時点で、このサイトには2万1000件の政治腐敗の報告が寄せられている。

一方、中国のネチズンがI Made a Bribe やwww.522phone.comなどの同じ趣旨のサイトを立ち上げようとしたが、結局、このサイトは政府に閉鎖されてしまった。つまり、インドで2万1000件の政治腐敗の報告があったことと、中国の報告件数がゼロであることは比較しようがない。インドの政治腐敗のほうが中国よりもひどいと結論づけることはできない。だが、リは本質的にこれらを無視した主張をしている。

たしかに、政治腐敗にまみれた民主国家も存在する。リが指摘するように、アルゼンチン、インドネシア、フィリピンは政治腐敗にまみれている。だが、民主化する前の数十年にわたって軍事独裁者がこれらの国を支配していた事実を忘れてはならない。独裁者たちは、新たな民主体制に付きまとう腐敗したシステムという遺産を置き土産にしている。

政治腐敗を依然として根絶できていないことの責任を、独裁体制を引き継いだ民主体制の指導者に求めるのは仕方がないとしても、その現象と原因を混同すべきではない。世界的にみれば、権威主義体制のほうが民主体制よりもはるかに政治腐敗にまみれている。

2004年のトランスパーレンシー・インターナショナルのリポートが明らかにしているように、この20年間におけるもっとも略奪的な3人の指導者は、1998年までインドネシアの支配者だったハジ・ムハンマド・スハルト、1986年までフィリピン大統領のポストにあったフェルディナンド・マルコス、そして1997年までコンゴ共和国の大統領だったモブツ・セセ・セコだった。これら3人の独裁者は、総額500億ドルもの資金を貧しい人々から搾取していた。

一方、中国人民銀行のウェブサイトで一時的に公開された報告によれば、政治腐敗に手を染めた約1万8000人の中国の官僚は、総額1億2000万ドルもの着服した資金を国外へと持ち出している。この金額は、1978年から1998年の中国の教育予算総額に匹敵する。

こうした金額の大きさに加えて、政治腐敗によって、例えば、食の安全さえもが脅かされている。食品安全基準の規制逃れをするために業者が役人に賄賂を提供しているからだ。2007年のアジア開発銀行のリポートによれば、中国では毎年3億人が汚染食品の摂取によって疾病を発症している。

脅かされているのは食の安全だけではない。賄賂その他を通じた規制逃れの結果、粗雑に建設された橋やビルが崩壊して人々が犠牲になっている。環境に大きなダメージを与える化学工場からの汚染物質の流出事故を、役人がカバーアップするという事件も起きている。

とはいえ、中国政府が政治腐敗を許容しているわけではない。北京が政治腐敗に手を染めた官僚を処刑することもあるし、このなかには、2000年に処刑された全人代の副議長成克傑(チェン・クジェ)、2007年に処刑された鄭篠萸(ジェン・シャオユ)国家食品薬品監督管理局局長などの高官も含まれている。問題は、官僚の権限に対する監視・監督機能がなく、政治腐敗を抑制する最大の要因である情報公開と報道の自由が欠落していることだ。

<民主主義がやってくる>

共産党による一党支配体制が中国にとってベストだと言いながらも、リは状況を改善するための慎重な改革案も示している。政府の公共サービスの質を高めるために、非政府組織をもっと充実させる必要があるし、政治腐敗を抑え込むには、独立系のメディアが必要だとしている。さらに、内輪の恥をなくし、見苦しい行動をさせないようにするために、いわゆる党内民主主義を導入することも提言している。その通りだ。だが皮肉にも、これらは、民主主義を機能させるための不可欠の要素だ。

最終的に全面的な民主化を受け入れずして、こうした民主主義の基本要因だけを採用することは不可能だ。(米大統領選挙期の)アイオワで展開されたような躍動的な(予備)選挙を、中国も実施せざるをえなくなる。そうしない限り、結局はスターリンのような中央統制型の政治へと中国は回帰していくことになる。

段階的に民主化を実現した台湾のケースを考えてみよう。1978年に台湾の総統に就任する蒋経国(チャン・チングォ)は、その8年前に国民党の党内改革に着手していた。党内の要職ポストに立候補できる資格を大陸出身の外省人にだけ認めていた制度を改め、本省人にも認めてより公正な選挙を実施し、党の予算を公開に踏み切ることが狙いだった。政治犯を釈放し、新聞や非政府組織にもより多くの自由を認めるようになった。1986年に野党勢力として民主進歩党が立ち上げられたのも、それに先立つ一連の改革の結果だった。こうして最終的には、台湾にとって部分的な民主主義と全面的な民主主義を区別し続けるのは不可能になっていった。同じことは、今後の中国についても言えるはずだ。

そうなるのは、中国にとっていいことだ。この数十年間で中国は経済、社会領域で大きな進歩を遂げたとするリの指摘は間違っていない。だが、成長の恩恵を社会に行き渡らせることに失敗し、所得格差を拡大させ、政治腐敗をなくすことも、環境悪化を抑制することもできなかったのも事実だ。

いまや、中国も民主主義を試みるタイミングだろう。研究者のデビッド・レークやマシュー・ブラウンが示唆するように、公共サービスを提供するという面では、権威主義体制よりも、民主体制のほうがはるかにすぐれたパフォーマンスを残している。

民主体制への移行を試みる諸国は、短期間でその成果を実感できるようになる。すでに、中国が民主化の恩恵を部分的に実感しつつあるとみなすこともできる。イエール大学のエコノミスト、ナンシー・キアンによれば、中国の村落レベルで選挙が実施されるようになって以降、情報公開が進み、より多くの予算が公共サービスに投入されるようになった。

民主化した場合、現在よりも高いGDP成長を中国が実現する可能性は低くなるが、少なくとも、より多くの人が成長の恩恵に浴することができるようになるはずだ。民主化を果たせば、現在のように経済成長の恩恵が政府、そして政治的なコネクションのある少数の資本家へと流れ込むのではなく、より多くの人口がその恩恵を共有できるようになる。機能する民主体制下では、もっともうまく再生産されるところに資金が流れ込むからだ。

中国経済の成長が体制を民主化へと向かわせていると予兆する二つのシグナルがある。一つは一人あたりGDPのレベルだ。一部の社会学者は一人あたりGDPが4000―6000ドルのレベルに達すると、多くの社会は必然的に民主化へと向かうと指摘しており、すでに中国はこのレベルを超えている。さらに言えば、中国研究者のミンシン・ペイが指摘するように、中国よりも高い一人あたりGDPを達成しながらも、自由でないか、部分的にしか自由を実現していない国は25カ国あるが、そのうち21カ国は資源で国を支えている諸国だ。資源保有国という例外を別にすれば、国が豊かになるにつれて、民主化していくはっきりとした傾向がある。

民主主義の到来を予兆させるもう一つのシグナルは、現在の過熱気味の経済成長が今後スローダウンしていくのは避けられず、社会紛争が多発し、官僚が政治腐敗に手を染めることが、ますます大きな問題とみなされるようになると考えられることだ。

経済が成長しているときなら、ある程度の政治腐敗を民衆は許容する。だが経済成長が停滞すれば、同じレベルの政治腐敗もとうてい受け入れがたいとみなされる。当然、中国が政治的現状を維持しようとすれば、社会紛争の数が急増する。そして、中国の政治・経済的未来へのコンフィデンスが低下していく。この場合、すでに増加傾向にある資本逃避がますます加速する。この流れを食い止めなければ、経済エリートたちの自信喪失が、中国経済にとってこのうえなく危険な事態を作り出し、相当規模の金融危機を引き起こす危険もある。

共産党は民主化という選択肢を手にしている。この領域でも、事態は進展しており、中国高官の一部は、安定は抑圧を通じてではなく、政治的・経済的開放度を高めることで実現すると考え始めている。

11月に開催された第18回全人代の直前、より踏み込んだ情報公開と党内民主主義の強化を求める公開書簡がインターネットで流された。この書簡をまとめた一人である?小?(チェン・シャオルー)は、大きな栄誉を手にした中国人民軍の将軍で、周恩来の側近として副首相、外相を務めた?毅(チェン・イー)を父に持つ人物だ。?を含む中国のエリートの多くは、これまでのやり方で現状を維持していくのはもはや不可能だと考えている。

1989年以降、中国共産党は純然たる政治改革には手を付けず、支配体制をもっぱら高い経済成長を持続することで支えてきた。だが、この戦略は経済ブームが永続的に続かない限り維持できない。もちろん、北京もこのリスクを認識している。

この意味では、共産党が先を見据えて政治改革を始めるか、あるいは、壊滅的な危機に直面した後にそうするかが、非常に重要なポイントになる。政治システムが段階的に、一定の管理の下で実現するほうが、暴力的な革命によって達成されるよりも、はるかにましなはずだ。

中国共産党は、改革を自ら主導することで名声を取り戻すことができるし、権力を他の勢力に譲り渡すことなく、政治システムを改善できる。このような機会を手にできる権威主義体制はそれほど多くない。中国共産党は、この機会を無為に費やすべきではないだろう。●

(C) Copyright 2013 by the Council on Foreign Relations, Inc., and Foreign Affairs, Japan

Page Top