イスラムのモデル国家はトルコかイランか
Turkey Vs. Iran
2012年7月号掲載論文
「アラブの春」をきっかけにトルコとイラン間の緊張が高まり、いまや「アメリカやイスラエルから攻撃を受ければ、トルコを攻撃する」とテヘランが表明するほどに両国の関係は悪化している。根底には、イスラム原理主義を重視する「イランモデル」と、民主主義とプラグマティズムを重視する「トルコモデル」のせめぎ合いがある。だが、「欧米支配に立ち向かうイスラム世界のヒーロー」としてのイランの影響力も、現在のトルコの地域的影響力を前にすれば影が薄い。「より平和で民主的、しかも自由な中東の未来」を夢みる人々が取り入れたいと考えているのは、イランモデルではなく、リベラルなトルコモデルだからだ。すでにアラブ人の多くが、イスラム国家ながらも、民主的で開放的な社会を持ち、繁栄を手にしているトルコのことを自分たちの「モデル国家」とみなし始めている。イランはイラクのシーア派の、サウジはスンニ派のパトロンを自認しているが、トルコは、キリスト教徒や世俗派に加えて、シーア派、スンニ派の双方に関わっている。トルコは、イスラムと「民主主義、市場経済、近代性」との統合が必要だと考えている。
- 「アラブの春」と中東の政治モデル
- トルコ・イラン対立と欧米の不安
- トルコ外交の本質
- 宗派対立を超えた現実主義外交
- トルコ外交の課題
<「アラブの春」と中東の政治モデル>
「イランと中東諸国の関係強化を警戒する」傲慢な西洋国家は、「トルコのリベラルなイスラムに代弁される、革新的なイスラムモデルを支持している」。2011年8月にこのように指摘したイランの護憲評議会のメンバー、マハムード・ハシェミ・シャハルディは、欧米の意図は「イランが実践する真のイスラムを、革新的なイスラムモデルに置き換えていくことにある」と述べている。
1999年から2009年までイランの最高裁長官を務めたシャハルディによるこの陰謀論的解釈はともかく、彼が状況を懸念するのは、現実に照らしても、不思議ではない。「アラブの春」をきっかけにアンカラとテヘランのイデオロギー的緊張は高まっているが、いまや勝利を収めつつあるのは「トルコモデル」だからだ。
テヘランは、2011年春の段階で「アラブ革命は数十年前のイラン革命に似ており、イスラム主義を標榜する政府が中東各地に誕生することになるだろう」とコメントした。しかし、チュニジア、エジプトでイスラム系政党の指導者たちが選挙で勝利を収めたのは、イラン流の神権政治ではなく、トルコモデルを強くアピールしたからだった。
パレスチナも例外ではなかった。2011年12月に、ハマスのスポークスマンは「非暴力の抵抗運動」へと移行していくと表明した。これは、イランやシリアからは距離を置き、エジプト、トルコ、カタールへと近づいていくというハマスの意思表明だった。この動きも、イランの傷口に塩をすり込むことになった。
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