コペンハーゲン・コンセンサス
――デンマークでアダム・スミスを読む
The Copenhagen Consensus
2008年4月号掲載論文
現在のデンマークモデルの中核は、労働市場の柔軟性(フレキシビリティー)と雇用保障(ジョブ・セキュリティー)のバランスをうまく組み合わせた「フレキシキュリティー」という概念、つまり、労働市場の柔軟性と雇用保障を両立させていることにある。労使協調路線がとられ、極端に高い課税率も結局は、社会サービスとして市民に還元されている。世界でもっとも平等で社会格差が小さく、それでもきわめてリバタリアンな思想を持つこの国は、どのようにして平等と効率、社会的正義と自由貿易を両立させているのか。グローバル化がつくりだす問題に対処するために、資本主義国がデンマークモデルを取り入れる余地はあるのか。
- 福祉国家と神の見えざる手の間
- デンマークの「フレキシキュリティー」とは何か
- いかにデンマークモデルは形成されたか
- 移民とフレキシキュリティーの試練
- グローバル化に高まる不満
- デンマークモデルは輸出できるか
<福祉国家と神の見えざる手の間>
1776年、アダム・スミスは、市場における「神の見えざる手」の動きに人間が愚かにも介入しなければ、経済はうまく機能するという分析を示した。それから2世代を経て1817年、イギリスのエコノミスト、デビッド・リカードはアダム・スミスの洞察を国際貿易に応用し、市場のメカニズムによって国内製品の適切な価格と生産量が規定されるように、貿易も市場のメカニズムに任せれば、適切なバランスが実現されると表明している。
コペンハーゲン、つまり、小規模ながらも開放的で非常に大きな成功を収めているデンマーク経済の中枢でアダム・スミスを読むと、非常にシュールな感覚を覚える。
たしかに、デンマークは自由貿易路線をとっている。市場経済志向の民間フォーラムである世界経済フォーラムが発表するグローバル競争力指標でも高く評価され、アメリカ、スイスに次いで世界第3位にランクされている。デンマークの金融市場はクリーンで情報公開が進んでいるし、関税率も低い。労働市場はヨーロッパでもっとも流動性が高く、この国のダイナミックな多国籍企業が国の産業政策に煩わされることも少ない。失業率も2・8%と経済協力開発機構(OECD)の加盟国のなかで2番目に低い。
だが一方で、デンマークは国内総生産(GDP)の約半分を公的支出に用い、課税率もスウェーデンに次いで世界で2番目に高い。
労働組合の力が強く、所得の再分配は世界でもっとも平等に行われている。デンマーク政府は、納税という形で納められるGDPの半分規模の資金を医療保険制度だけでなく、育児制度、家族休暇制度、転職による所得低下の95%をカバーする失業保険、無償で受けられる高等教育、高齢者への年金、そして世界でもっとも先鋭的な職業訓練プログラムへと投入している。
デンマークはアダム・スミスの経済理論における最善の部分と、福祉国家制度の最善の部分をうまく組み合わせる秘策を持っているのだろうか。とかく開放的なデンマーク人の文化的気質がこれを可能にしているのだろうか。グローバル化の混乱が高まり、規制なき市場経済が混合経済体制を脅かすなか、デンマークは「社会民主主義の孤島」としてうまくやっていけるのか。デンマークの経験から、世界の先進国が学ぶべきポイントはあるのか。
こうした疑問を持っていた私は、現在、執筆しているグローバル化と福祉国家をテーマとする著作のために、2007年にコペンハーゲンで一連のインタビューを行った。インタビューの結果は複雑で、予想外のものだった。制約があるとはいえ、デンマーク流のやり方は、マーケットのダイナミズムと社会保障、個人の生活を両立させるうえで一定の示唆に富むと思われる。
だが、デンマークが(政府と市民間の)社会的契約を成立させ、この国特有のコンセンサスを重んじる問題解決枠組みを形づくるには、1世紀におよぶ政治抗争を必要としたことも忘れてはならない。つまり、この国のやり方を、文化的背景や政治的文脈に関係なく適用できる普遍的な政治的是正策とみなすのは問題がある。デンマークから教訓を学ぶとしても、まず肝に銘じておくべきは、適切な社会モデルというものは独自の政治風土に根ざしたものでなければならないということだ。
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