アラブの春の進展を阻む石油の呪縛
Will Oil Drown the Arab Spring? ―― Democracy and the Resource Curse
2011年10月号掲載論文
石油資源の国有化によって産油国政府は資金力を持つようになり、かつてなく強大なパワーを手に入れた。圧倒的な資産と経済パワーが政治家の手に移り、中東地域の支配者たちは公共サービスを向上させ、民衆をなだめるための社会プログラムのために石油資産の一部を使用するとともに、その多くを自らの富と権力のために用いた。リビアのカダフィはその具体例だ。仮に豊富な石油資源を持つ中東の独裁者が選挙で選出された指導者に置き換えられたとしても、権威主義が復活する不安はぬぐいきれない。中東諸国の独裁者と王族は石油マネーを利用して体制の支援者だけでなく、潜在的な反体制派もカバーする巨大なパトロンネットワークを形成しているからだ。その結果、独立系の市民社会集団が社会に根を張るのが構造的に難しくなっている。
- 石油の呪縛
- 石油メージャーの時代の終わりと独裁者の台頭
- 石油マネーで抑圧体制を支える
- 産油国の民主化は実現するか
- 石油の呪縛を終わらせるには
<石油の呪縛>
2011年にアラブで民衆の運動が起きる前から、中東の権威主義国家はそれぞれに違う顔を持っていた。石油資源に恵まれないエジプト、ヨルダン、レバノン、モロッコ、チュニジアの民衆は、豊かな産油国であるバーレーン、イラク、クウェート、リビア、サウジアラビアの民衆に比べて、より自由な環境で生活していた。
民主化運動が中東を覆い始めた後、体制打倒を目指す運動をうまく抑え込んだのは産油国だった。実際「アラブの春」によって深刻な事態に追い込まれた産油国の指導者は、リビアのムアンマル・アル・カダフィだけだ。このケースにしても、北大西洋条約機構(NATO)軍の軍事介入によって、反カダフィ派が勢いを得たことが大きな理由だ。
この30年にわたって世界で民主主義は大きな広がりをみせた。1980年当時、世界で民主体制を導入している国は30%だったが、いまやその比率は60%に達している。この間に民主化を果たしたほぼすべての国は石油資源を持たない国々だった。
ウクライナやベトナムの産油量を価格でみると1人あたり年間100ドル。このレベル以下の産油国は、それ以上の石油を産出する国と比べて3倍も民主化する可能性が高い。一方、バーレーン、イラク、リビアの数分の一程度でも石油資源を持つ独裁国が民主化したケースはない。
研究者たちはこれを「石油の呪縛」と呼び、豊富な石油資源は権威主義、経済の不安定化、腐敗、紛争を生み出すと主張してきた。だが、この見方に懐疑的な見方をし、石油と抑圧との相関は偶然の産物にすぎないと考える者もいる。1996年当時ハリバートンの最高経営責任者(CEO)だったディック・チェイニーは「問題は、民主政府が位置する地域に石油と天然ガス資源を神が授けなかったことだ」と述べている。しかし、中東に抑圧をもたらしたのは神の意思ではなく、石油資源であり、中東に自由が根付かないのは、石油を輸出しているためだ。
<石油メージャーの時代の終わりと独裁者の台頭>
石油資源が民主化を常に抑え込んできたわけではなく、1970年代初頭までは、産油国が特に民主化する可能性が低いとは言えなかった。その理由は、70年代初頭までは西側諸国の巨大石油企業で構成されるいわゆるセブン・シスターズがグローバル石油産業を支配し、利益をほぼ独占していたからだ。この時期までは、豊富な石油資源を持つ国の政府が、石油資源を持たない国よりも多くの資金と自国の民衆に対する強大なパワーを持っていたわけではなかった。
しかし、1960年から1970年代初頭以降に状況は変化し始める。この時期を境に、セブン・シスターズはグローバル石油市場における支配的影響力を失っていった。ゲッティ・オイル、スタンダード・オイル・オブ・オハイオ、イタリアの国営石油公社Eniなどの独立系石油企業が台頭するとともに、産油国が団結して石油輸出国機構(OPEC)を立ち上げ、新旧企業への影響力を大幅に高めていった。
そして1973年のアラブ・イスラエル戦争後にアラブ諸国が石油禁輸に踏み切ると、1972年当時1バレル2・5ドルだった石油価格は、1974年には12ドルにまで高騰した。ほとんどすべての資源を持つ途上国はこのチャンスを生かし、国内の外国石油企業の設備を接収し、これを管理するために国営石油企業を立ち上げた。
石油産業の国有化は産油国に膨大な富と資産をもたらし、民衆もこれを歓迎した。その後、多くの産油国の政治家は、自分の政治的キャリアを積み重ねていくために石油資源を巧みに利用するようになった。
例えば、カダフィは、1969年の軍事クーデターで権力を掌握した直後に、自国の石油産業を国有化し始め、結果的に、膨大な資金を管理できるようになった。カダフィは革命アジェンダのために、この資金を利用し、支配の障害となるかもしれない強大な部族リーダーたちを買収し、取り込んでいった。
イラクの石油国有化を画策したのは、当時革命指導評議会副議長だったサダム・フセイン。彼の伝記をまとめたコン・コクリンによれば、国際石油利権を接収したサダムの名声は高まり、石油マネーを支配したサダムは、最終的にアフマド・ハサン・アル=バクルからイラク大統領の座を奪い取った。
石油資源の国有化によって産油国政府は資金力を持つようになり、それ以前よりも強大なパワーを手に入れた。だが、この展開は産油国の民衆にとっては必ずしもよいことではなかった。
たしかに、かつては外国企業が保有していた圧倒的な資産と経済パワーが産油国の政治家の手に移ったことで、支配者たちは公共サービスを向上させ、民衆をなだめるための社会プログラムのために石油利益の一部を投入した。だが、中東の支配者たちが、1980年代と1990年代に世界を席巻し、数多くの独裁者を権力の座から追い出した民主化の波から逃れることができたのは、このためだった。
<石油マネーで抑圧体制を支える>
以来、石油マネーを支配する独裁者は主に三つの方法で権力の座に居座り続けた。
第1に、石油マネーを利用して、ほとんど課税することなく多くの社会サービスを提供し、民衆を懐柔した。課税と代議政治は密接に関係している。支配者が課税強化を望めば、民衆は説明責任の拡大を要求する。植民地だったアメリカの市民が大英帝国に反乱を起こした理由の一つは、イギリス議会に代表を送り込んでいないのに課税されていたためだ。石油マネーを持つ、現在の中東の指導者は、説明責任の要求に対しては新たに恩恵を施すか減税をするか、あるいは、その双方を提供することで対処し、多くの場合、このやり方はうまく機能する。
例えば、(中東で民主化運動が起きた)2011年にアルジェリア政府は、1560億ドルを投じてインフラを整備し、砂糖課税に減税措置を適用すると発表し、同様に、サウジアラビアも1360億ドルを公務員の給与引き上げ、失業支援、住宅補助金に投じた。クウェートは国民全員に1人あたり1千ディナール(約3600ドル)を現金支給し、14ヶ月にわたって食料を無料配布した。チュニジアのベンアリ、エジプトのムバラク、イエメンのサレハなどの石油資源に乏しい国の独裁者も似たような施策をとったが、彼らが与えた恩恵ははるかに小規模で効果も小さかった。
第2に、大部分の資金を国有石油産業から得ている独裁者は、国家財政を秘密にしておくこともできる。財政統計を公表しなければ、状況がわからなくなるため、民主化運動を抑え込む助けになる。民衆が低い税率と一見寛大に思える恩恵の供与に満足するのは、どのくらいの国家財産が着服、汚職、政府の統治能力欠如によって浪費されているのかを知りようがないからだ。
サダム政権時代、イラクの国家予算の半分以上は国営石油企業からの資金だったが、財政の内訳は秘密にされていた。国際予算パートナーシップによる2010年の調査によれば、エジプト、ヨルダン、モロッコなどの石油資源のない中東の独裁政権は少なくとも財政情報の一部を公開しているが、対照的にアルジェリア、サウジアラビアなどの豊富な石油資源を有する独裁政権はほとんど何も開示していない。エジプトとチュニジアでの暴動は民衆が政府の腐敗に気づき始めたことが原因だったことは留意しておくべきだ。
第3に、独裁者は石油マネーを利用して軍隊に潤沢な資金を提供し、忠誠を誓わせることができる。例えばイランのアフマディネジャド大統領は、数十億ドルの規模の契約をエリート組織である革命防衛隊の関連企業に与えている。世界的にみて石油資源を持たない独裁者がGDPの2%程度を軍事に費やしているのに対して、石油資源を持ち大規模な予算を管理している独裁者は、GDPの3%程度を国防につぎ込んでいる。
例えば石油資源に乏しいチュニジアが2008年に国防部門に投入した資金は1人あたり53ドル。これに対して、石油資源が豊富な隣国アルジェリアは1人あたり141ドルを軍事部門につぎ込み、暴動の発生数もはるかに少なかった。オマーン、サウジアラビア、アラブ首長国連邦などの世界の主要な産油国のなかには世界的にみても大規模な軍事費をつぎ込んでいる国がある。この軍事支出には見返りがある。今年初頭にオマーンとサウジアラビアの民衆が街頭に出て暴動が起こったとき、両国の軍隊は(チュニジアやエジプトとは違って)進んで暴動を鎮圧した。
<産油国の民主化は実現するか>
ただし石油資源が「アラブの春」の成果を摘み取ってしまうわけでも、産油国の独裁体制が変化を寄せ付けないというわけでもない。事実、過去12年間で石油資源を持つインドネシア、メキシコ、ナイジェリアは民主政治への移行に成功している。
しかし中東の今後を楽観できるわけではない。インドネシア、メキシコ、ナイジェリアの石油産出量はそれほど多くはなく、インドネシアには輸出にまわせるような石油資源はない。これら3カ国はここ30年間で石油価格が最安値に下落した直後の1999年、2000年に政治的自由化を達成している。それ以前に、豊富な石油資源を持ちながらも民主化に成功したケースは、1958年のベネズエラだ。この国では、民主的統治の歴史と異例なまでにうまく組織化された労働組合が、軍事政権のパワーを抑え込むことに成功した。
しかし非常に豊かな石油資源を持つ中東産油国となると、事情がかなり違ってくる。そのほとんどがインドネシア、メキシコ、ナイジェリアよりもはるかに多くの石油資源を持つ中東産油国のなかで、過去に十分な民主政治を経験した国はない。1958年のベネズエラの石油からの収益と比べると、バーレーンの1人あたりの石油収入は(インフレ調整を行ったうえで)3倍以上、リビアは6倍、サウジアラビアは7倍のレベルにある。1958年に日量250万バレル程度の石油を産出していたベネズエラよりも多くの石油資源を持っている国で、民主化に成功した例はない。
しかし、「豊富な石油資源をバックに持つ支配者が倒れることはない」と言うつもりもない。インターネットの普及によって独裁者が政府の浪費や政治腐敗を隠し通すのが難しくなっているだけでなく、石油価格の変動と政府の管理上の不手際ゆえに資金力が乏しくなり、民衆への懐柔策としての補助金を削減せざるを得なくなることもある。1979年のイラン国王追放劇にしても、エリート層に利益をもたらした政治腐敗と低・中間所得層を痛めつけた過酷な政策の組み合わせがその背景にあった。
しかし、豊富な石油資源を持つ中東諸国の独裁者が、選挙で選出された指導者に置き換えられたとしても、権威主義が復活する不安はぬぐいきれない。
中東諸国の独裁者と王族は石油マネーを利用して巨大なパトロンネットワークを形成している。このネットワークは権力者の支持層だけでなく、潜在的な敵対勢力をもカバーしているため、独立系の市民社会グループが社会に根を張るのが難しい構造を作り出している。市民社会が存在しないために、新しい民主政治のもとで新政府を運営し、権威主義への逆戻りを防ぐために必要な旧反体制派の横断的な連帯を組織するのも難しい。
さらには石油価格が高止まりしている限りは、石油マネーは旧体制を維持していく大きな誘因になる。自由で公正な選挙を通じて選ばれた政治家でさえも、巨額の石油マネーを利用して民主改革を逆戻りさせるかもしれない。実際、ベネズエラのウゴ・チャベス大統領は、国営石油会社から数億ドルを流用して、低所得者層と軍隊からの支持を確保するためのプログラムへと投入し、これによって手に入れた政治的資産を利用して権力に対するチェック機能をなくすことに成功している。チャベスは、最高裁が下した不都合な判決を差し替え、メディアに対して新たな規制を課し、大統領の任期制限を撤廃したりしている。ロシア首相のウラジミール・プーチンも同じようなアプローチをとっている。
イラクが同じようなコースをたどるかどうかを予測するのは難しい。イラクの政府収入の約85%は石油輸出からの収益だ。イラク議会は石油収入を管理する法的枠組みをどう描くかをめぐって数年間も議論を続けているが、いまだに新しい石油法を成立させられずにいる。一方、イラクのマリキ首相が民主体制から距離をとり始めている兆候もみられる。マリキはイラク憲法の曖昧さをついて、対テロ部隊を含む主要治安組織に対する直接的なコントロールを確立した。多くのイラク人は、彼がこれらの組織を利用して政治的敵対勢力を抑え込むことを懸念している。しかも、彼はジャーナリストに現金と土地を与え始めている。一方で、2月にデモが発生した後、治安部隊が数百名のジャーナリスト、政治活動家、知識人を弾圧、逮捕したと報道されている。
「アラブの春」は民主政治が普遍的なアピールを持つことを示しつつも、石油資源が民主改革を阻む頑強な障害であることも明らかにしている。
<石油の呪縛を終わらせるには>
石油の呪縛は、世界が大量の石油を輸入し、消費し続ける限り、なくならない。輸入国が石油消費を削減すれば、石油価格は下落し、独裁者への石油マネーの流入も減少する。アメリカだけでもインパクトを与えることができる。2009年のレベルをみても、世界最大の石油消費国であるアメリカは、その次に石油消費の多い中国の2倍以上の石油を消費している。つまり、アメリカが消費を削減して石油価格を低下させれば、その削減分を中国や他の独裁国家が輸入するとしても、価格が低下している以上、産油国の独裁者の財的パワーを相対的に弱めることができる。
石油消費を十分に削減しなければ、制裁措置などの他の手段の効果も希薄になる。例えばアメリカは非民主的な産油国からの輸入をボイコットすることもできるが、グローバルな石油需要が変わらなければ、産油国が民主体制であるかどうかを気に懸けない国に石油を同価格で輸出できる。
産油国に対する制裁措置に効果がないことはすでに分かっている。1990年から2003年まで国連安全保障理事会はイラクの石油輸出に厳しい規制を課したが、結局、サダムが権力を失うことはなかった。また限定的な制裁措置の対象とされたものの、イラン、リビア、ミャンマー(ビルマ)などの国々から独裁者を追放することもできなかった。グローバルな石油需要が増大すれば、制裁措置の効果はさらに弱まっていく。
アメリカをはじめとする石油輸入国が石油市場の透明性を高めるように努力すれば、国家資産を利用して民衆を懐柔し、不正利益を得る権威主義者の能力を弱めることができる。リベニュー・ウォッチ・インスティチュート(歳入監視研究所)とトランスペアレンシー・インターナショナルが2010年に実施した共同調査によれば、石油、天然ガス、鉱物を産出する41カ国のうち21カ国が資源から得られる歳入に関してごく一部あるいは不十分な情報しか開示していない。
すでに国際社会はこれを是正するために重要なステップを踏み出している。2002年、トニー・ブレア英首相(当時)は採取産業透明性イニシアティブ(EITI)を立ち上げて、豊かな資源国に対して資源からの歳入の情報公開をするように呼びかけた。現在独立組織となったEITIには、アゼルバイジャン、インドネシア、イラク、ナイジェリアを含む40カ国程度が参加している。
一方、アメリカが2010年に制定した金融改革法の条項は、アメリカの証券取引委員会に登録する企業に対して、石油、天然ガス、鉱物を得るための支払いを国別、プロジェクト別に報告することを要求している。この規定によって、産油国が収入を秘匿し、政府の浪費と腐敗を民衆に気づかれないようにするのは難しくなる。
だが、できること、やるべきことはこれだけではない。まず欧州連合(EU)をはじめ石油を輸入する諸国はアメリカの動きに続いて、すべての国内企業に資源輸入に関する外国政府への支払いを開示することを義務づけるべきだ。5月にフランスのドーヴィルで開催されたG8会合ではそのような情報公開を推進していくことが確認されたが、G8にはメンバー国にそれを強制する権限はない。さらに120カ国以上の会計手続きを定める、ロンドンの国際会計基準審議会も基準を見直す必要がある。同審議会の現行ルールでは、石油・鉱山企業は外国政府に対する支払い情報を開示することを要求されていない。
一方で、国際社会は産油国が国営石油企業の情報を公開するように働きかける必要もある。例えば産油国の国営石油企業をニューヨーク株式市場に上場させるように提案することもできる。株式市場に上場すれば国営石油企業は新たな投資家へのアクセスを得られるが、新たな開示基準を受け入れることも要求される。
さらに国際社会は、天然資源憲章の原則を守るように産油国に働きかけるべきだろう。この憲章は、各国の市民と政府が国内資源を社会利益のためにうまく利用できるように、学者と実務家が起草したものだ。
産油国は、アラスカが1970年代以降、そうしているように、すべての住民に石油企業の株式を付与したり、配当金を支給したりすることができる。うまく設計すれば、このようなスキームが政治的にも受け入れられて富を分かち合いたい産油国の民衆の願いを満たし、政府の財政を検証していくという民衆のインセンティブを高めることもできるだろう。1970年代以降、産油国では相対的に民主化はほとんど進展していない。中東では石油の富が王室と政治家の権力を支え、民衆のパワーを抑え込んできた。現在のところ、2011年のアラブの春もこの状況を変えていない。
一方、石油価格の高騰、グローバルな石油需要の増大、採掘技術の進化が要因となって、低所得に苦しむ15―20カ国が石油と天然ガスの輸出を開始したり、準備したりしている。そのほとんどはサハラ以南のアフリカ諸国だが、石油収入をうまく管理できなければ、これらの国々も石油の呪縛にとらわれてしまう危険がある。しかし地質が新旧産油国の運命を決める必要はない。独裁者が石油収入を秘匿するのであれば、石油は民主改革の大きな障害になる。アメリカの消費者が産油国へ支払うマネーが独裁者政府を強化している。アメリカの石油消費を削減し、石油代金の支払いの透明性を高めることで、アメリカは産油国の政府ではなく民衆にパワーを与えるきっかけをつくることができるだろう。●
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