米ポピュリズムの歴史と今日的意味合い
―― ティーパーティー運動が揺るがすアメリカの政治と外交
The Tea Party and American Foreign Policy
2011年5月号掲載論文
ポピュリストの政治的エネルギーが高まる一方で、主流派メディア、外交エスタブリッシュメントに始まり、金融企業、一般企業の経営陣、そして政府にいたるまでの確立されたアメリカの組織への信頼が失墜しつつある。現在のポピュリスト運動の代名詞であるティーパーティー運動は、彼らが「憶測を間違え、腐敗している」とみなす各分野の専門家に対する反乱とみなせる。しかも、2010年3月にアメリカで実施された世論調査では、回答者の37%がティーパーティー派を支持すると答えており、これは、少なくとも1億1500万のアメリカ人がティーパーティー運動になんらかの共感を示していることを意味する。アメリカの政策決定者、そして外国政府の高官たちは、アメリカ政治における主要な勢力であるポピュリストを十分に理解せずして、もはや米外交に関する適切な判断を下すことができなくなっていることを認識する必要がある。
- 今に復活したティーパーティー運動
- 新ジャクソニアンの時代
- ポピュリストにとっての冷戦
- 「歴史の終わり」後のジャクソニアン
- ティーパーティー派の挑戦
- ポピュリズムとは何か
<今に復活したティーパーティー運動>
事件が起きたのは1773年12月16日の夜。モホーク・インディアンに扮装した数名を含む、30人から130名の集団が、イギリス議会による一連の課税引き上げ策に対する不満をアピールしようと、ボストン港に停泊していた3隻の商船を襲撃し、342箱の茶箱を海へと投げ込んだ。この事件の首謀者は(建国の父の一人とみなされる)サミュエル・アダムスだと広く考えられてきたが、これを裏付ける ような、はっきりとした歴史的な証拠はない。ただし、「事件には一切関係ない」と公言しながらも、アダムスがこの事件を広く世に知らせようとあらゆることを試みたのは事実だ。
翌年には、より節度のあるティーパーティー(茶会)事件がノースカロライナ州のエデントンで起きた。ペネロープ・バーカー婦人は、イギリスの課税政策に対する植民地の抵抗を支援するために会議を主催し、これに51名の女性が参加した。この会議では茶箱が壊されることも、紅茶が供されることもなかったが、この日起きたのは、歴史的にはより大きな出来事だった。バーカー婦人が主催した会議は、英領北アメリカでの女性による初めての政治会議だった。・・・
この論文はSubscribers’ Onlyです。
フォーリン・アフェアーズリポート定期購読会員の方のみご覧いただけます。
会員の方は上記からログインしてください。 まだ会員でない方および購読期間が切れて3ヶ月以上経った方はこちらから購読をお申込みください。会員の方で購読期間が切れている方はこちらからご更新をお願いいたします。
なお、Subscribers' Onlyの論文は、クレジットカード決済後にご覧いただけます。リアルタイムでパスワードが発行されますので、論文データベースを直ちに閲覧いただけます。また、同一のアカウントで同時に複数の端末で閲覧することはできません。別の端末からログインがあった場合は、先にログインしていた端末では自動的にログアウトされます。
(C) Copyright 2011 by the Council on Foreign Relations, Inc., and Foreign Affairs, Japan