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地政学の中枢は軍事から経済へ ―― 経済の時代の新安全保障戦略を

レスリー・ゲルブ 米外交問題評議会名誉会長

GDP Now Matters More Than Force

Leslie Gelb 米外交問題評議会名誉会長。国防総省(国際安全保障担当ディレクター)、国務省(ヨーロッパ担当国務次官補)を経て、ニューヨーク・タイムズ紙のコラムニスト、エディター(1981~1993)、米外交問題評議会(1993~2005)の会長を経て、現職。

2011年1月号掲載論文

主要国は経済を成長させるために、これまでになくお互いを必要としており、伝統的な軍事的、戦略的ライバル関係が紛争へとエスカレートしていくのがもっとも厄介だと考えている。多くの指導者がもっとも気にかけているのは、貿易、投資、市場アクセス、為替であり、富裕層をさらに豊かにし、その他の社会層により良い生活を提供することだ。新興国の多くにとっても、経済成長は、国内の反体制派を抑え込むためのもっとも強力な手段だ。アメリカも「いまや地政学の中枢が(軍事ではなく)経済であること」を認識したアプローチへと移行する必要がある。この意味で、アメリカは、利益と価値を共有するヨーロッパや日本と21世紀型の連帯を組織し、この連帯に他の多くの諸国を参加させていく必要がある。現在のアメリカのパワーは「アメリカの助けがなければ自国の問題を解決できないと考え、共通の目的を達成するにはアメリカの利益にも配慮しなければならないと考える」諸国に依存している。

  • 軍事よりも経済が重視される世界
  • 現在の中国にかつての日独のような力はない
  • 国家間の大規模な軍事衝突はあり得ない
  • トルーマンとアイゼンハワーの知恵
  • 日欧との連帯強化を
  • 国家の脅威、テロの脅威
  • 経済の世紀の新しい外交アプローチ

<軍事よりも経済が重視される世界>

いまや多くの国は外交路線を経済の律動に合わせ、国益を経済の視点から定義し、経済パワーを行使することを重視しているが、アメリカは必ずしもそうではない。多くの諸国は国家安全保障戦略を、経済安全保障を重視したものへとすでに組み替えているが、この点でもアメリカは出遅れている。ワシントンは依然として安全保障を軍事的な側面からとらえ、脅威に対して軍事的に対応しようとしている。

つまり、経済テーマに即して外交政策を再構成し、脅威に対して創造的な新しい方法で対処していけるようにし、外交の目的を21世紀の現実に見合うように安全保障概念を再定義すること。これが、ワシントンにとっての大きな課題だろう。

幸い、経済を中心とする外交モデル、それにフィットする政策モデルは存在する。それは、かつてトルーマン大統領とアイゼンハワー大統領がとった路線にほかならない。二人の大統領は、力強い経済こそ、国内における躍動的な民主主義とアメリカの前方展開戦力の基盤であることを理解していた。いかにアメリカの経済と軍事力が力強くとも、共産主義の拡大を封じ込めていくには、他の諸国と数多くの領域で協調する必要があることも認識していた。

二人の大統領は、こうした認識から、西ヨーロッパと日本の経済復興を支援するとともに、世界銀行や北大西洋条約機構(NATO)を設立することで、アメリカパワーを強化し、その正統性を高めることに努めた。ソビエトの脅威、共産主義の脅威に対抗するために、二人は封じ込めと抑止策をとり、これを、軍事力と経済援助で支えた。その意図は、アメリカ経済を破綻させないように配慮しつつ、ソビエトの軍事力を牽制していくことにあった。

もちろん、現状でアメリカの新しいアプローチを考案していくには、複雑に連鎖するグローバル経済、そして、テロと大量破壊兵器が作り出す新しい脅威に十分に配慮しなければならない。だが、その検討プロセスが、思想的・政治的な混乱を伴うことはないだろう。むしろ、もっとも激しい論争が起きるのは、いかにアメリカ経済を再生させるか、その手段をめぐってだろう。「経済問題を解決していかない限り、アメリカはさらに衰退し、より大きな危険に直面する」。こうみなす点では人々の見方は一致しているが、それをどのように実現するかについての意見はバラバラだ。

新しいアプローチに最低限必要な改革リストだけでもかなりの数に達するが、これらを避けて通ることができないのはだれの目にも明らかだろう。

「民主主義を支え、世界での競争力を回復するために公立学校の教育の質を改善し、経済効率と米国土防衛にとって重要なインフラを刷新・強化し、公的債務を減らして今後の歳入を飲み込んでしまう債務利払いの規模を小さくしなければならない。雇用を創出するために経済を刺激し、雇用を増やし、債務を減らし、中東石油への依存度を低下させるために新エネルギー資源の開発を促し、自由貿易を促進しなければならない」

政治家や専門家はこれらの死活的に重要な国内の課題に果敢に取り組みつつも、一方で外交問題にも対処していかなければならない。当面は世界最大の経済パワーとしてのアメリカの地位は揺るがないと考えられているにもかかわらず、その経済力を外交的影響力へと転化できなくなりつつあるからだ。

アメリカのパワーとその対外的影響力の間に、なぜかくも大きなギャップが生じているのか。理由は数多くある。国内問題の多くが、外国での責務遂行にも影を落としている。アメリカのパワーが拡散し、その用い方が効率的ではない。さらに、アメリカの指導者は、世界で進行している奥深い変化を見落とし、国家安全保障戦略を近代化する努力をこれまで怠ってきた。戦略遂行に必要な資金に制約があるために、現在のアメリカの戦略が躍動感に欠けるのも事実だ。

アメリカの利益とパワーに関する新思考が必要だし、「経済的配慮の方が伝統的な軍事的必要性よりも重視される世界」にフィットする路線を外交の中枢に据える必要がある。

 

<現在の中国にかつての日独のような力はない>

近代世界は二度にわたってグローバル化を経験し、この二つの時期には貿易と投資がかつてなく拡大した。「各国が豊かさを求めるようになれば、伝統的な軍事ライバル関係もなりを潜め、平和が維持されるのではないか」。こうした期待が浮上した点でも、二つの時期は共通している。

だが、1880年から1914年まで続いた最初のグローバル化の時代は、第一次世界大戦、第二次世界大戦、そして冷戦とほぼ1世紀に及ぶ戦争によってあえなく引き裂かれてしまった。

だが、現在のグローバル化は先のグローバル化とは三つの重要な意味で違っている。かつてのドイツ帝国とは違って、中国が略奪者として振る舞い出す可能性は低いし、現在の主要国と新興国が相互に戦う可能性もほとんどない。つまり、世界各国は、これまでのような軍事的懸念にとらわれることなく、経済利益を模索できる環境にある。

第一次世界大戦前のドイツは世界でもっとも力強い経済を持っていた。ドイツの指導者たちは、国内で富を生産するだけでは満足せず、ヨーロッパ大陸全域、あるいはそれ以上を手中に収めたいと考えるようになった。アジアと太平洋の多くを手に入れようとした第二次世界大戦前の日本帝国にもほぼ同じことが言える。

多くの諸国が富を最大化することを目指すなか、ドイツと日本は世界・地域支配へと乗り出し、その目的のために軍事力を行使した。要するに、日独は、世界有数のダイナミックな経済を持つ、略奪者だった。

「中国も、戦略的野望に取りつかれたかつての二つの帝国のように振る舞い始めるのではないか」と懸念する声もあるが、これは拡大解釈というものだろう。

こうした懸念を共有する人々は次のように考えている。「現在の中国は、かつてのドイツや日本と同様に、可能であれば資金と貿易をつうじて、それが無理なら力尽くでも支配的優位の確立を試みるつもりではないか」。だが、現在の中国は、当時のドイツや日本とは違って、相手を征服・占領し、他国の資源を支配するような軍事力を持っていない。

かつてのドイツと日本の軍隊は世界の他の地域に踏みとどまって、数年にわたって戦い続ける力を持っていた。だが現在の中国が、外国に軍事力を展開し、現地に戦力を維持していく能力を整備するにはまだ数十年はかかる。さらに、中国の台頭を懸念するインドや日本、そしてアメリカは、今後、中国が攻撃的になっていくとしても、それに対抗していく能力を整備する十分な時間的余裕を持っている。

ドイツと日本は軍事的野望を実現するために、自国の工業経済の総力を投入した。日独にとって他国を軍事支配するのは、資源を確保し管理していく上での効率的なやり方だったし、この手法ゆえに国内体制が緊張したわけでもなかった。

だが、現在の中国にはこのような戦略をとる余裕はない。北京は何を犠牲にしてでも経済成長を維持しなければならない状態にある。中国の民衆の半分は依然として貧困ライン以下の生活を余儀なくされており、社会情勢は不安定で、革命が起きる危険もある。こうした不安定な環境にあるために、中国共産党は「権力を維持するには、経済成長を持続させるしかない」と考えている。

 

<国家間の大規模な軍事衝突はあり得ない>

現在、主要な大国の死活的利益がぶつかり合うような問題が存在しないことも、紛争が起きるリスクを低下させている。現状におけるもっとも厄介な脅威は、ならず者国家が核を保有し、テロ集団が大量破壊兵器を入手することで、これらの脅威は諸大国をむしろ連帯させる方向で作用している。

特に、グローバル化時代に足を踏み入れた当初は、主要国が戦争に訴えてまで解決しようとする問題は存在しなかった。当時、バルカン紛争が起きていたが、この地域には資源はなく、地政学的重要性もなければ、戦略的価値もなかった。今日でも、主要国が銃をとって立ち上がるような対立案件は存在しない。これは、戦略的重要性が高い中東においても同様だ(中東の混乱は、各国にとって失うものはあっても、得るところはない)。たしかに、中国やロシアのような大国は、自国の優位を確立しようとせめぎ合いをみせるかもしれないが、軍事対立のリスクがみえてきた段階で路線を後退させるはずだ。

主要国は経済を成長させるために、これまでになくお互いを必要としており、伝統的な軍事的、戦略的ライバル関係が紛争へとエスカレートしていくのがもっとも厄介だと考えている。

これまでなら、ソビエトのような敵対勢力は、アフガニスタンでアメリカが失敗するのを目の当たりにすれば、自分たちのプラスになると考え、喜んだはずだ。だが今では、アメリカもその敵対勢力も、タリバーンの過激主義を抑え込み、アフガンを拠点とする麻薬貿易の拡大が阻止されることを共通の利益とみなしている。中国でさえも、大規模な天然資源鉱床の開発を含む、アフガンへの投資を守るために、米軍を頼みにしている。

より広範にみても、ヨーロッパとアジアのパワーバランスを脅かそうとする大国は存在しない。各国は、必ずしも助け合っていないかもしれないが、それでも、危機的な状況で対決路線をとることはあり得ない。

このように大国間の戦争の脅威が大きく低下しているため、世界の指導者たちはこれまで以上に経済の優先課題を引き上げられる環境にある。

各国の指導者たちは、これまでも経済力を国のパワーの基盤とみなしてきたが、それでもパワーを軍事力とほぼ同一視してきた。だが今では、経済力は、軍事目的ではなく、あくまで、経済目的のために行使すべきだと考えられている。資金力が大きくものをいうために、多くの国は少しでも資金を蓄えようと、現役部隊のための予算を削減し、軍事介入を極力避けようとしている。多くの指導者がもっとも気にかけているのは、貿易、投資、市場アクセス、為替であり、富裕層をさらに豊かにし、その他の社会層により良い生活を提供できるようにすることだ。

このトレンドは、BRICs(ブラジル、ロシア、インド、中国)諸国、そしてインドネシア、南アフリカ、トルコなどの新興諸国にも顕著に認められる。インドがパキスタンの動きを警戒しているように、BRICsの指導者たちも安全保障上の大きな懸念を持っているが、もっとも重視しているのは、やはり、経済力を強化することだ。これらの新興国の多くにとって、経済成長は、国内の反体制派を抑え込むためのもっとも強力な手段でもある。

経済を重視しているという点では、中国の右にでる国はない。今後、この国が略奪者と化す危険はあるが、現在のところ、北京は既存の経済秩序のなかで活動し、武力行使をバックとする恫喝策には訴えていない。それどころか、北京はきわめて巧みに新経済ゲームを展開し、戦争と政治的対立を回避してビジネスに焦点を合わせている。

人々が今後の中国経済の成長に抱く期待をうまくパワーへと転化することに成功した北京は、いまや経済力を上回る、世界での大きな影響力を持つようになった。(アメリカとは違って)中国はグローバルな軍事力なしで、世界の経済的巨人としての地位を手に入れることに成功している。各国は、中国の軍事力よりも、むしろ北京が貿易や投資を戦術的に用いることを警戒している。

だが、新たな特質で彩られる世界にあっても、驚くほど変わらぬもの、時代に取り残されているものが一つある。それは、アメリカの国家安全保障戦略だ。他の諸国はすでに経済を基盤とする新秩序に対応した戦略へと移行しているが、ワシントンの動きは鈍い。

とはいえ、これは必ずしも驚きではない。この半世紀以上にわたって、アメリカの外交政策は実態のある深刻な脅威に対抗することを優先課題に据えてきたからだ。この責務を担えるのはアメリカをおいて他にはなかった。現在でも、アメリカ以外の他のいかなる国にも国家集団にも、テロや核拡散の脅威に対抗する連帯を主導する力はなく、それだけに、アメリカがこの責務を無視することはできない。

だがそれでも、「いまや地政学の中枢が(軍事ではなく)経済であること」を認識したアプローチへと移行する必要がある。この路線修正を怠っているために、アメリカ人の生命、財産、そして影響力が犠牲にされている。2010年代に入った今、新経済秩序が誕生しているにも関わらず、それに適合する国家安全保障戦略をまだ描けていないことをワシントンの指導者はまず認める必要がある。

 

<トルーマンとアイゼンハワーの知恵>

現在のアメリカにとっての最善の戦略は、冷戦初期におけるトルーマンとアイゼンハワーのアプローチを現代風にアップデートすることだ。トルーマンとアイゼンハワーは、それが軍事予算と軍事介入を枠にはめることになるとしても、アメリカの経済成長を最優先する路線をとった。さらに、主要な同盟国、特に、西ヨーロッパと日本が、ソビエトの圧力に翻弄されないように、両国の経済再建を重視し、同盟国としての価値を高めることに努めた。当時のアメリカは、封じ込めと抑止戦略をとる一方で、同盟国、パートナー国に軍事・経済援助を提供することで、ソビエトの脅威への対抗バランスを形成することに努めた。

二人の大統領は、外国の脅威を引き合いに出して、経済力強化のための国内経済プロジェクトも立ち上げた。(1957年に)ソビエトがスプートニク号の打ち上げに成功すると、アイゼンハワーは数学と科学の重点教育プログラムを導入するとともに、ソビエトの軍事的脅威に対抗していくために国を強化するには、(経済・国家インフラである)ハイウェイシステムを整備する必要があると議会を説得した。

同様に、オバマ大統領も、アメリカの貿易面での競争力を強化するために数学と科学の教育にもっと力を入れ、テロの脅威に備えて物的インフラの整備にもっと資金を投入すべきだろう。物的インフラの整備は、テロ攻撃が起きた場合の復元力だけでなく、全般的な経済効率も高めてくれる。

トルーマンとアイゼンハワーは軍事支出を抑えつつ、経済改革を進めた。ペンタゴンの予算は、最初にではなく、最後に決められた。二人の大統領は、歳入から必要な予算を確保した上で、残りを国防支出に充てるスタイルをとった。現在の政治状況からみて、オバマ大統領がこのやり方を踏襲することはできないが、少なくともペンタゴンの予算請求をもっと精査して、国防支出を抑えるべきだ。

債務国に転落することの弊害を十分に理解していたアイゼンハワーとトルーマンは、財政を均衡させることも心がけた。これは昔も今も正しい路線だし、特に連邦政府が使用する1ドルのうちの40セントが借金であるような現状からみれば、財政均衡路線をとることの価値は大きい。

両大統領の路線をいま復活させれば、基本的な優先課題が自律的に大きく見直される。

例えば、アフガンよりもメキシコの方が、国家的な優先課題として重視されるようになる。貿易や投資のポテンシャル、一方での不法移民、麻薬、組織犯罪の問題からみても、メキシコはアメリカに利益をもたらすことも、大きなダメージを与えることもできる。

対照的に、戦争の人的な犠牲と経済コストを別にすれば、その結末がいかなるものになろうと、アフガンでの戦争がアメリカにとって永続的な影響を持つことはほとんどない。テロリストが今後もパキスタンその他に拠点を見いだすのは、いずれにしても避けられないからだ。だが、ワシントンはアフガンに大きな関心を寄せるばかりで、メキシコを実質的に無視している。

 

 

<日欧との連帯強化を> 

アメリカのパワーを強化するだけでなく、同盟国を支え、強化するというもう一つの原則を重視することで、トルーマンとアイゼンハワーは共産主義の拡大に対する堅固な防波堤を築き、同盟国との貿易と投資の流れを育んだ。

この枠組みから大きな恩恵を引き出したのがヨーロッパと日本だった。1950年代末までには、アメリカ、西ヨーロッパ、日本という同盟ネットワークは、世界の経済、軍事、外交上の大きなシェアを占有していた。この同盟が力を合わせれば、後退することはあっても、相手に打ち負かされることはあり得なかった。

今日においても、アメリカ、日本、西ヨーロッパは、利益と価値を共有する、市民社会を形成しており、これを中核に21世紀型の連帯を組織すべきだし、この連帯に、他の多くの諸国を参加させていく必要がある。

もちろん、現在のアメリカ経済とトルーマン・アイゼンハワー期の経済との間に共通項はあまりない。今では貿易がアメリカのGDP(国内総生産)に占める比率は約25%に達しており、対GDP比でみた貿易のシェアは冷戦初期の比率の倍以上に達している。また、政府とは関係のない民間部門で、いまや連日数兆ドルの資金がトランスナショナルに取引されている。事実上トルーマンが創設したに等しい世界銀行と国際通貨基金が世界経済に果たす役割も、当時と比べて、はるかに小さくなっている。

アメリカは今も世界貿易の道標とみなされている。しかし、貿易取引量はともかく、アメリカの貿易上の影響力は、トルーマンが後にWTO(世界貿易機関)へと進化していくGATT(関税貿易に関する一般協定)を設立した直後から低下し始めた。アメリカの貿易上の影響力が低下したのは、基本的には、アメリカの経済力がかつてよりも弱くなったからだ。アメリカの貿易領域での影響力は、経済の規模とバイタリティによって支えられていた。貿易交渉において、自国が相手国から確保できる以上の市場アクセスを相手に認めるだけの経済的な懐の深さをかつては持っていた。相手に公正なレベル以上のアクセスを認めても、長期的には挽回できるという余裕があったからだ。

 

<国家の脅威、テロの脅威>

アメリカの戦略を経済に焦点を合わせたものへと変化させることにいかに説得力があるにしても、「経済に焦点を合わせても国家安全保障が損なわれることはなく、今日の脅威に対処していく新たな方法は常に持っている」という二点をワシントンが市民に明確に保証しない限り、この試みはうまくいかない。

まず、中国の脅威について、そして(中国ほどではないが)ロシアの脅威についても、アメリカ市民を安心させなければならない。中ロには、自国の国境を越えてアメリカの軍事力に挑戦し、われわれを脅かす力はない。モスクワの通常戦力は弱く、衰退基調にあるし、地上軍の展開能力はロシア周辺に限られている。一方、中国の軍事力は次第に強化されているが、アメリカの戦力とのパリティを実現するには数十年の時間を要するだろう。

さらに、中国とロシアが挑発なしで軍事行動を起こし、厄介な現実に直面するリスクを冒すとも考えにくい。もちろん、台湾海峡や資源豊かな南シナ海の領有権をめぐって中国が軍事的緊張を極限まで高めるリスクはあり、ワシントンは「冒険主義にでるのはリスクが高すぎる」と北京が判断するように、この地域・海域での海軍力、空軍力を堅持していかなければならない。

ソビエトの西ベルリン封鎖に対して、トルーマンが大空輸作戦を実施したように、ホワイトハウスは、中国のような潜在的侵略者が突きつけるリスクとエスカレーションに備え、対処していく重荷を引き受けなければならない。より広い枠組みでみれば、非常に大規模な中国の対米貿易と対米投資が、北京の行動を封じ込め、抑止すると考えることもできる。アメリカのタカ派は資金の力などほとんど気にかけないかもしれないが、中国人はそうではない。

核能力を保有するか、あるいは手に入れつつあるならず者国家、テロリストを育み、テロリストの拠点とされる恐れのある破綻国家および破綻途上国家、そして国際テロ集団。これらが、アメリカの安全保障に対するもっとも深刻な脅威だ。

ここでの戦略的問題はこうした危険にどのように対処していくかだ。それは大がかりな軍事介入なのか、それとも、抑止、封じ込め、あるいは援助なのか。

軍事介入策は、次の条件に合致する場合に限定しなければならない。

「相手が特有の脅威を醸成し、それが明らかにアメリカの国家安全保障を脅かしていること。地上軍の介入しか脅威を相殺する手段がなく、この任務が数年間でしかも大きなコストを伴わずに達成できること。そして、現地に、(われわれとともに戦い)われわれの試みを支持し、最初から米軍が自分たちを守ってくれる勢力であることを理解している勢力がいること」

これらの条件が満たされないのなら、脅威に対抗する手段は援助と外交にとどめるべきだ。

アフガン、イラクにおける戦争のコストは合計するとすでに約3兆ドルを超え、負担はさらに増え続けている。これらの戦争が有益だったかどうかは永遠に議論されることになるだろうが、少なくとも、それが米経済に強いているコストはすさまじいレベルに達している。

保守派は、「イランや北朝鮮などのならず者国家には、抑止や封じ込めは機能しない」と言う。「ならず者国家の指導者たちは常軌を逸しており、報復攻撃による人的、物的犠牲を恐れて、抑止されたり、行動を思いとどまったりすることはあり得ない」と。冷戦期にも同じような理屈が示された。保守派は「ソビエトと中国の指導者は核戦争に勝利を収めるためなら、人口の半分を犠牲にしてもかまわないと考えている」と主張したものだ。しかし、モスクワと北京が核兵器を使用する前に、冷戦は終結した。

たしかに、テヘランと平壌の指導者のレトリックはまるで幻覚症状に陥っているのではないかと疑わせるものだが、その行動はおおむね慎重で、軍事的対応を呼び込むような挑発行為は控えている。黙示録を思わせる彼らのレトリックは、おもに国内の聴衆を意識したものだ(これは、ときにワシントンの政治家も用いる戦術だ)。イランと北朝鮮の指導者は危険なトラブルメーカーだが、抑止できない相手ではない。

両国の指導者たちは、自分たちが完全に核武装すれば、アメリカの核ミサイルの標的とされ、いつでも攻撃の対象にされかねないリスクを伴うことを理解している。また、テヘランと平壌の政権は国を運営している政府であり、アメリカやその同盟国を攻撃すれば、壊滅的な報復攻撃の対象とされ、それによって失うものが非常に大きいことも分かっている。

かたや、自爆攻撃も厭わないテロリストの場合、前提からして違ってくる。テロリストに抑止力が作用する見込みはほとんどない。彼らは、通常の兵器で港湾施設や貿易センターを破壊する能力を持っており、もしダーティボムとして利用できる核分裂性物質を入手すれば、われわれに想像を絶するダメージを与えることができる。

テロリストを消し去る魔法が存在しない以上、対テロ戦略を最大限慎重で効果的なものにするには、さまざまな政策を組み合わせるしかない。内外での警察・情報活動の強化、ならず者国家に潜伏するテロリストをターゲットとする空爆やミサイル攻撃、特殊部隊による攻撃、一方でのアメリカの国土防衛体制の強化などだ。今後アメリカがテロ攻撃に遭うのはほぼ間違いなく、アメリカの反撃、復旧・再生能力を強化しておく必要がある。

トルーマンとアイゼンハワーは、こうしたテロの脅威に直面することはなく、それに対処する必要もなかった。当時は、今で言う、ならず者国家は、おもにモスクワと中国の勢力圏の一部として管理されていたからだ。

とはいえ、二人が陸上での大規模な戦争を回避して、封じ込め、抑止、援助という路線に徹したことは(当時の環境からみても)評価できる。実際、トルーマンは、自身が発表した新たな封じ込めドクトリン(トルーマンドクトリン)に則して、闇雲にギリシャやトルコに部隊を投入したわけではなかった。彼は両国に軍事・経済援助を提供し、力強いレトリックで支援を約束したが、無条件の全面的支援は与えなかった。

一方で、トルーマンは朝鮮戦争への軍事介入を決断した。そこにきわめてユニークで、介入を正当化できる根拠があると判断したからだ。北朝鮮は、国際的に受け入れられていた境界線(38度線)を超えて、公然と韓国を攻撃した。さらに、トルーマンは、この攻撃を前にアメリカが反撃しなければ、ソビエトと中国が他の地域で攻勢にでると状況を読んでいた。だが、トルーマンは戦争を半島内にとどめたし、大統領に就任したアイゼンハワーは直ちに停戦へと持ち込んだ。

トルーマンとアイゼンハワーなら、9・11にどう対処していただろうか。アフガンの近隣国との同盟関係をつうじてタリバーンを封じ込める一方で、「アルカイダに聖域を提供すれば懲罰策をとる」とタリバーンを威嚇することで行動を牽制し、外交イニシアティブをつうじたタリバーンの分断策をとったはずだ。さらに、カブールにおける新政府の樹立を促し、新政府と部族指導者に軍事・経済援助を与え、友好勢力に軍事訓練を与えることで支えようとしただろう。

いずれにせよ、アメリカは今も、世界のパワーバランスを左右する力を持っている。アジアでは中国に対抗する地域バランスを形成する力を持っているし、東ヨーロッパではロシアへの対抗バランスを、中東ではイランへの対抗バランスを形成する力を備えている。

アメリカ人は、この国が世界のパワーバランスを維持する役割を担っていると考えることはほとんどないし、外国の指導者も、国内政治上の理由からパワーバランスの必要性を否定しがちだが、実際には、アメリカ人も世界の他の諸国も、アメリカが世界のパワーバランスを維持していくことを願っている。

ロシアの指導者でさえ、中国の動きを牽制するアメリカの役割に期待している。そして中国の指導者も、アメリカの海空軍による世界の海洋シーレーン、貿易レーンの防衛に自国の経済が依存していることを理解している。実際、ワシントンは、各国の経済を左右する海洋貿易の安全保障を維持していくためのコストとリスクをアメリカが引き受けていることを、他の諸国に明確に伝えるべきだ。

アフガンやイラクについても、同じことが言える。米軍が安全保障の確保に努めているアフガンとイラクの政府は、天然資源をめぐって中国その他の諸国と開発契約を交わしている。アメリカの戦力が安定した世界秩序を支えていることが、中国の経済成長を間違いなく助けているが、これまでのところ、中国はこれにただ乗りをしている。

 

<経済の世紀の新しい外交アプローチ>

この環境からみても、アメリカの外交政策は経済を強化し、脅威に効果的にしかも最低限のコストで対抗することを最優先課題に据えなければならない。そして、常に論争の対象にされるとはいえ、第2層の課題には次のようなものが含まれる。世界のパワーバランスを維持するための軍事力を維持し、より自由な貿易を促進し、(サイバー戦争能力を含む)技術上の優位を維持すること。そして、さまざまな環境、公衆衛生上のリスクを低下させ、代替エネルギーの供給体制を整備し、民主主義や人権などのアメリカの価値を広く促進していくことだ。

こうした第2層の課題への取り組みが、最優先課題への対応を支えるように、可能な限り、配慮しなければならない。例えば、アメリカ経済を強化するために必要なら、自由貿易の促進についてはさじ加減を調整することも必要だろうし、中東への石油の依存を減らすためにより自立的なエネルギー路線を模索するのも合理的だろう。

「包括的なアプローチ」を事前に定めて、それぞれのアジェンダ、さまざまな環境にいかに対応するかを決めるべきではない。どのような路線をとるかは、相手国の文化と政治がどのようなものかに左右される。一方、「包括的ビジョン」があれば、指導者がそれぞれの目的を達成するためにパワーをどのように用いればよいかを検討する上での助けになる。これが政策に方向性、目的、勢いを与える。この要素が往々にして米外交には欠落している。

ワシントンは、諸外国と共有する問題の解決にアメリカのパワーを用いることを、外交政策を束ねる原則にしなければならない。

軍事的、経済的な圧力をつうじて他国の行動を制御できた古き良き時代はすでに終わっている。いまやもっとも弱体な国家でさえも、最強国の意向に抵抗できるし、それに従う場合でも、大国側のコストを引き上げることができる。

別の言い方をすれば、現状のアメリカのパワーは、「アメリカの助けがなければ自国の問題を解決できないと考え、共通の目的を達成するにはアメリカの利益にも配慮しなければならない」と考える諸国に依存している。命令に基づくパワーは、すでに手をさしのべることで得られるパワーに置き換わっている。

多くの諸国は、「そのパワーに陰りがみられるとしても、依然としてアメリカは主要な国際問題を解決していくために必要不可欠な国だ」と考えている。このアメリカの問題解決能力が、貿易交渉から軍事紛争、地球温暖化に関する国際合意にいたる案件をめぐって、ワシントンがリーダーシップを発揮する機会を作り出している。

南シナ海に接する諸国が、資源を共有していくための枠組みを形作るのを助けることができるのも、イスラエルとパレスチナを和平へと向かわせるための流れを作り出せるのもアメリカだけだ。過小評価された人民元の通貨価値ゆえに、中国と貿易をするすべての諸国が不利益を被っているにも関わらず、北京に人民元を切り上げるように交渉できるのもアメリカだけだ。

しかし、いまやワシントンも困難な問題を単独で解決できるパワーは持っていない。この点は、アメリカ人だけでなく、世界の人々も認識している。「世界にとって必要不可欠な国であるアメリカも、アメリカにとって必要不可欠なパートナーと協調せざるを得ない」

そして、われわれにとって必要不可欠な国をパートナーとするには、ワシントンは、まさにアメリカのリーダーをこれまで国内政治面で追い込んできた、「妥協して相手に立場を譲る」というやり方を取り入れていく必要がある。これは、自国のために他を巻き込んで多国間主義をまとめることを意味しないし、アメリカが国益を捨て去ることも意味しない。

オバマ政権は、中国とロシアの立場に配慮して、イランにソフト路線をとっていると批判されているが、アメリカが中国とロシアの立場に譲歩しなければ、両国は安保理で拒否権を行使し、イランに対する制裁措置そのものが成立しなかっただろう。

アメリカ大統領は多くの場合強い立場にあり、自国の重要な利益を守る力を持っている。だが、ワシントンは、何かを成立させるためには妥協も必要になることを、アメリカ市民に伝えることにもっと力を入れるべきだ。

加えて、アメリカの政策決定者は忍耐強くなければならない。いまやもっとも弱体な国家さえも、アメリカの意向に抵抗し、対応を先送りできる環境にある。短期間で相手に決定を迫るという、決して褒められたものではないアメリカの外交スタイルが失敗をもたらし、この国のパワーを傷つけてきた。

成功はパワーを、失敗は弱さを育む。さまざまな国内の政治集団が拙速に結論を出すように求めている時でも、アメリカのパワー、あるいは、アメリカが主導する連帯のパワーが効率的に機能するように、時を待って、タイミングを計ることをわれわれは学ぶべきだ。

軍事・外交領域と比べて、より多くのプレイヤーが関わってくる経済領域の課題については、特に忍耐が重要になる。すべてのプレイヤーをテーブルに着かせるだけでも時間がかかる。

軍事力は、嵐のように、即時的な力を持つが、経済パワーは、潮の満ち引きのようにゆっくりとした変化しかもたらさない。波が海岸線を変化させるには長い時間がかかるが、それでも、少しずつ、間違いなく海岸線を洗い、変化させていくことを忘れてはいけない。

大統領は、自国の国益の観点からも、「世界の軍事・外交のバランサーとしてのアメリカの中核的な役割」を維持していく必要がある。そうすることで、アメリカの経済利益も強化される。

各国がパワーを計る大きな目安として軍事力よりもGDPを重視している以上、現在の政策路線を決める主要な基軸を経済領域に据える必要がある。アメリカのGDPは、21世紀の国際関係におけるアメとムチを支える基盤になる。米経済を再生させないことには、外国におけるアメリカの利益を適切に守ることも、促進することもできない。

ワシントンの指導者たちは米経済の回復に向けて厳しい選択をすることも辞さないと主張するが、これまで約束が果たされたことはない。同様に、政府は経済の時代に応じた新しい外交の必要性を理解しているようにみえるが、これも実現していない。

オバマ大統領は重要なポイントを的確に指摘するが、結局は騒音のなかでかき消されていくことが多い。一方、政治的立場を問わず、すべてのアメリカ人は、 20世紀に世界を危機から救い出したこの国が、21世紀の歴史のなかに埋没することになるのかどうかを見極めようとしている。●

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