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多文化国家レバノンにおける 軍隊の複雑な歴史
―レバノン軍の南部掌握で国の一体性が生まれるか?

マイケル・モラン  エグゼクティブ・エディター (www.cfr.org)

Multiethnic Armies and National Unity

2010年9月号掲載論文

1943年の独立以降、レバノン軍・士官部隊の主流派はマロン派キリスト教徒だったが、各部隊は民族・宗派ラインに沿って組織され、シーア派、スンニ派、ドルーズ派、マロン派キリスト教徒がそれぞれの部隊を持っていた。こうした民族・宗派ラインに沿った部隊編成がレバノン内戦を誘発し、助長した。国家の軍隊としてレバノン軍を再編する試みが始められたのは、1989年のタイフ合意によって長い内戦にピリオドが打たれた後になってからだった。タイフ合意以降、レバノンがごく最近まで安定を維持してきたことを国軍の貢献として評価することもできる。しかし、レバノン軍の最大の失敗は、ヒズボラが幅を利かすレバノン南部を掌握できなかったことだ。

  • 軍隊と国家
  • 民族・宗派の多様性とレバノン軍の複雑な歴史
  • 南部掌握はレバノンという国と軍隊にとっての試金石

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