seewhatmitchsee/iStock.com

日本の歴史認識と東アジアの和解を考える
――反動を誘発する謝罪路線の危うさ

ジェニファー・リンド  ダートマス・カレッジ助教授

The Perils of Apology

Jennifer Lind ダートマス大学助教授。この論文は、2008年に出版されたSorry State: Apologies in International Politics『謝罪する国々、国際政治における謝罪』(コーネル大学プレス)からの抜粋。

2009年5月号掲載論文

いかなる国であっても、多くの人が家族や家を失い、都市そのものが消失してしまうような凄惨な戦争の余波のなかで、自国の過去の行動を謝罪すべきだという提案が出てくると、国内で反動が起き、国論は二分される。戦後の西ドイツで謝罪路線への反動が「例外的に」小さかったのは、ドイツの統一とソビエトからの防衛という二つの外交上の大目標を実現する必要があったからだ。日本、あるいは日本と同様の立場にあるその他の国は、「謝罪」と(過去の歴史を正当化し)「謝罪を否定する反動」の間の中道路線、つまり、アデナウアーがとったように、(謝罪ではなく)、過去の間違いを認め、一方で、未来志向のビジョンを示し、これらを自国の戦後の成果に対する誇りへと結びつける路線をとるべきだろう。この路線で東アジアの緊張が緩和されれば、自国だけでなく、世界が利益を得られるようなリーダーシップを日本は発揮できるようになる。

  • 謝罪と反動の間 <一部公開>
  • 変化する戦争の記憶
  • 歴史認識と対日不信
  • アデナウアー路線と謝罪路線
  • 謝罪することのリスク
  • 日本はアデナウアー・モデルを
  • 日韓、日中関係の行方

<謝罪と反動の間>

戦後の西ヨーロッパで(独仏間の)和解が進めんだのとは対照的に、第二次世界大戦の終結から60年以上を経過したいまも、東アジアの国家間関係は冷え切ったままだ。

ドイツは数十年という時間をかけてナチスという過去に対峙し、その過ちを謝罪してきた。いまやドイツはヨーロッパの貿易と外交を主導する国として頼りにされ、ドイツ部隊は他国の部隊ととともに国連や北大西洋条約機構(NATO)の活動に参加している。

2004年に旧連合国はノルマンディ上陸60周年記念式典にドイツのシュレーダー首相を招待した。かつての敵国の指導者たちと並んだシュレーダーは、これを「ドイツがファシズムから解放された日」として祝った。フランスとドイツの指導者が式典で抱き合う写真を載せたフランスの新聞は、この記事に「第二次世界大戦最後の日」と見出しを付けた。

アジアはこれとは対照的な状況にある。・・・

この論文はSubscribers’ Onlyです。


フォーリン・アフェアーズリポート定期購読会員の方のみご覧いただけます。
会員の方は上記からログインしてください。 まだ会員でない方および購読期間が切れて3ヶ月以上経った方はこちらから購読をお申込みください。会員の方で購読期間が切れている方はこちらからご更新をお願いいたします。

なお、Subscribers' Onlyの論文は、クレジットカード決済後にご覧いただけます。リアルタイムでパスワードが発行されますので、論文データベースを直ちに閲覧いただけます。また、同一のアカウントで同時に複数の端末で閲覧することはできません。別の端末からログインがあった場合は、先にログインしていた端末では自動的にログアウトされます。

(C) Copyright 2012 by the Council on Foreign Relations, Inc., and Foreign Affairs, Japan

Page Top