アフガニスタンを救うには
Saving Afghanistan
2007年2月掲載論文
パキスタンとペルシャ湾岸諸国の援助をバックにタリバーンが再びアフガニスタンで台頭しつつある。パキスタン国内の部族地域に聖域を持っていることに加えて、タリバーンの統治システムが極めて効果的であり、一方、アフガニスタン政府が腐敗にまみれ、まともな統治が行われていないために、民衆の立場も揺らぎだしている。アフガニスタン軍と国際支援部隊が戦闘を通じてタリバーンをいくら打倒しても、パキスタン内にタリバーンが聖域を持ち、アフガニスタン政府が弱体で再建活動がうまく進んでいないために、それを本当の勝利に結びつけられない状況にある。アフガニスタンの内務省と司法制度を改革し、アメリカのパキスタンに対する路線を見直さないことには、対テロ戦争の最初の戦場へと再度引きずり戻されることになる。
- タリバーンの復活
- タリバーンか、カルザイか
- アフガニスタン紛争の歴史
- 荒涼たるアフガニスタンの現実
- タリバーンとパキスタン
- パキスタンにタリバーン支援をやめさせるには
- アフガニスタンを再建するには
- 敵を知り、汝を知る
<タリバーンの復活>
アフガニスタン情勢は状況改善へと向けた転換点からますます遠ざかりつつある。2006年夏、北大西洋条約機構(NATO)部隊は、2001年に「不朽の自由作戦」が開始されて以降、最大の犠牲を敵・味方の双方に出した戦闘を通じて、南部国境地帯からのタリバーンの攻撃をなんとか食い止めた。
このとき、タリバーンはカンダハルの西方地域を占拠することを狙っていた。そこには、「この主要な都市を押さえれば、カブールをさらに深刻な危機に陥れることができる」という彼らの読みがあった。NATO部隊を前に一時的に後退をみせたとはいえ、タリバーンが主導する武装勢力は、依然として、アフガニスタン・パキスタン国境地帯で攻勢を続けている。この地域は、ブッシュ大統領がかつてアメリカへの主要な脅威と位置づけた「グローバルに活動するテロ集団の避難場所、聖域」へと逆戻りしている。
アフガニスタン、パキスタン双方で活動する武装勢力は、イラクのイスラム過激派が用いている爆発物の製造技術、グローバル・コミュニケーション戦略、そして自爆テロ路線を取り入れている。紛争が激化するアフガニスタン南部では、いまや学校の35%が閉鎖に追い込まれているありさまだ。非合法経済部門ではケシの生産が史上最高レベルに達しているが、一方の合法経済はといえば、成長の鈍化によっていまや民衆の最低限の必要性も満たせない状況にある。地方の指導者の多くは、「権力の乱用と治安悪化の責任は中央政府にある」とカブールへの批判を強めている。少なくとも、武装勢力がいない地域で成果を挙げられるような資源と政治的支援を与えないことには、いずれアフガニスタンにおける国際的プレゼンスも「外国による占領」とみなされるようになり、最終的には、民衆は外国部隊の駐留を拒絶するようになる。
2001年以降、いや、この数十年にわたって、アメリカの政策決定者はアフガニスタンが世界に与える影響を過小評価し続けてきたし、この姿勢はいまも見直されていない。たんに現在の路線を調整する程度では、この国が極度の混乱へと陥っていくのは避けられない。ワシントンと国際社会のパートナー国はこれまでの戦略を見直し、アフガニスタンへの援助を大幅に増やすとともに、援助が効果的に利用されるようにしなければならない。
現地の民衆および近隣諸国は、「アメリカはアフガニスタンのことを重視しておらず、その結果、タリバーンが勝利を収めつつある」とみている。こうした現地での認識を変化させるには、ワシントンが路線と行動を劇的に変化させる必要がある。実際、ワシントンはパキスタンに融和的な態度をとり、資源の多くをイラクに投入し、必要とされているアフガニスタンへの投資をないがしろにしている。こうして、「アメリカはアフガニスタンを重視していないのではないか」という現地での猜疑心はますます高まりをみせている。最近における紛争後の国家再建支援という枠組みだけでみても、アフガニスタンへの一人当たり援助額はもっとも低い。
9・11以降、特にアフガニスタン戦争を経たブッシュ政権は、イラク、そして中東の民主化構想に気を奪われだした。しかし、中東を重視するブッシュ政権の主張とは裏腹に、世界規模で活動するテロリストの集積地はパキスタンだ。アルカイダは、アフガニスタンとの国境沿いのパキスタン側、つまり、パシュトゥン人の部族地域にイスラマバードの統治がうまく及んでいないことに目をつけ、現地に拠点を確立している。アフガニスタンに駐留する連合軍のある司令官は、「われわれが部族地域を変貌させない限り、アメリカはテロの脅威にさらされ続ける」と語る。
2001年のアフガニスタン戦争の目的を達成するどころか、アメリカ主導の連合軍は、アルカイダとタリバーンの指導者たちをアフガニスタンからパキスタンに追い出しただけで、アフガニスタンにおける戦術的勝利を戦略的勝利へとつなげていこうとはしなかった。タリバーンはアルカイダを守りたいとは望んでいなかったが、ブッシュ政権は、タリバーンがアフガニスタンへと平和的に帰る道筋を用意しなかった。また、キューバのグアンタナモ米軍基地やアフガニスタンのバグラム空軍基地で捕虜を不当に扱ったために、パキスタンに逃れたアフガニスタン難民は、多くの場合、アルカイダとともに現地にとどまることを無難な選択とみなした。
タリバーンは、そうしたアフガニスタン難民だけでなく、訓練キャンプや過激派が運営するイスラム神学校(マドラサ)、さらには、民間人に犠牲が出たことや、政府や連合軍の抑圧策に反発していた部族メンバーたちを取り込んで、兵士のリクルートおよび資金調達源を確保するとともに、指揮統制を立て直し、パキスタンにおける後方支援基地を手にした。
2001年9月19日、パキスタンのムシャラフ大統領は、「アフガニスタンを救い、タリバーンが攻撃されるのを阻止するために、パキスタン政府はワシントンと協力せざるを得なかった」と国内向けに弁明した。当然、「タリバーン探索よりも、アルカイダの指導者の逮捕に努力してほしい」というブッシュ政権の意向は、ムシャラフにとっては好都合だった。2006年半ばに、欧米の部隊が作戦行動を展開した際の情報傍受からも、パキスタンの統合情報部(ISI)が、パキスタン西部のバルチスタンの州都クエッタに拠点を持つタリバーンの指導層を積極的に支援していたことがわかっている。いまやパキスタンからアフガニスタンへの越境攻撃によって、アフガニスタンの貧しい社会と脆弱な政府はかなり追い込まれている。
アフガニスタンの国家保安局のアムルラ・サレ長官は2006年5月に、こうした武装勢力の脅威分析を行っている。「不朽の自由作戦」の際に北部同盟の連絡責任者として米中央情報局(CIA)と接触した経験を持つサレは、「アフガニスタンにおける政治的進展を基盤に状況を先へ進めていく戦略が存在しない」と結論づけ、現状ではアフガニスタン政府は「敵が誰であるかも、自分の足場も見極められず、資源もうまく活用できずにおり」、このような状況を続けて「政府の政治的正統性を崩壊させることがあってはならない」と警告している。米軍の司令官と情報官は、サレの警告を、現地に展開する司令官、アフガニスタンにいるエージェント、そして、ワシントンにいる彼らの上司に伝えた。この5年間における成果を今後につなげていけるかどうかは、サレの警告がどの程度配慮されるかに左右される。
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