中東は宗派間抗争で引き裂かれるのか
――スンニ派とシーア派の対立
When the Shiites Rise
2006年7月号掲載論文
イラクにおけるシーア派の台頭というトレンドこそ、イラク、そして中東における宗派間のバランスを今後長期にわたって変化させていく大きな要因になる。ヨルダンのアブドラ国王は、スンニ派が支配する中東を、ベイルートからテヘランにいたるシーア派三日月地帯が分断することになるかもしれないと警告している。宗派間の政治的敵対を緩和するには、イラク、そして中東全域において、シーア派の要望を満たす一方で、スンニ派の怒りをなだめ、不安を取り除いてやる必要がある。そのためにも、世界最大のシーア派人口を持ち、地域的な影響力を高めつつあるイランにワシントンは関与しなければならない。イラクの状況がますます深刻になっていけば、中東全域がシーア派とスンニ派の宗派間抗争に巻き込まれていく危険がある。
- シーア派の台頭
- イラクのイラン・コネクション
- シーア派の台頭とスンニ派の危機感
- アメリカとイランの利益
- 交渉の土台をつくるには
<シーア派の台頭>
イラク戦争は中東を大きく変化させたが、それはワシントンが期待したような方向への変化ではなかった。サダム・フセイン政権が崩壊した2003年、ワシントンは体制変革によってイラクに民主主義がもたらされ、その他の中東地域にも民主体制が広がりをみせていくと考えていた。「政治は個人と国家の関係によって決まる」と考えていたブッシュ政権は、中東の民衆が「政治は共同体や集団間の勢力均衡によって決まる」とみなしていることを理解していなかった。
サダム政権の崩壊を前にしたイラクの民衆は、リベラルな民主主義を形づくる機会が生まれたと考えるよりも、むしろ、イラク国内の主要集団間の権力バランスの歪みを正す好機が訪れたととらえた。イラクのシーア派をサダムの弾圧から解放して力を与えたことで、ブッシュ政権はシーア派の再興に事実上手を貸したが、このシーア派の台頭というトレンドこそ、イラク、そして中東における宗派間のバランスを今後長期にわたって変化させていく大きな要因になるだろう。
汎シーア主義など存在しないし、シーア派コミュニティーを一手に束ねる指導者もいないが、各国のシーア派は一貫性のある宗教的立場を共有している。預言者ムハンマドの正統な後継者が誰なのかをめぐって7世紀に起きた対立によってスンニ派と袂を分かって以来、シーア派はイスラム法とその実践についてスンニ派とは異なる明確な概念を築き上げてきた。
その人口の多さからみても、シーア派は中東における一大勢力になる可能性がある。イランの人口の90%、ペルシャ湾岸地域の人口のほぼ70%、そしてレバノンからパキスタンにかけての弓状地帯の人口の約50%がシーア派で、すべてを合わせると中東のシーア派人口は約1億4千万人に達する。その多くが権力から遠ざけられてきた中東のシーア派は、いまや、より大きな権利と政治的影響力の獲得を模索している。
例えば、最近のイラクにおけるシーア派の台頭は、サウジアラビアの人口の10%を占めるシーア派の活動も刺激している。2005年にサウジで行われた地方選挙において、シーア派地域の投票率は他の地域よりも2倍高かった。これは、サウジのシーア派指導者であるハッサン・サファール師が、イラクのケースを引いて、「政治に参加することでサウジのシーア派も恩恵を引き出せるのだから、進んで投票に行くように」と呼びかけたことも関係している。イラクのシーア派を奮い立たせた「一人一票」の掛け声は、中東の他の地域でもこだましている。人口の75%を占め、2005年の秋に議会選挙が行われるバーレーンのシーア派も、人口の45%を占めるレバノンのシーア派も、選挙に力を入れている。
イラクの解放によって、中東全域のシーア派勢力をつなぐ新たな文化、経済、政治上の絆が生まれている。2003年以降、レバノンからパキスタンにいたる、さまざまなイスラム国家の数十万人のシーア派が、ナジャフなどイラクにあるシーア派の聖地を訪れたことで、法学院、モスク、宗教指導者間の国境を超えた新たな絆が生まれ、イラクと、イランを含む各国のシーア派コミュニティーのつながりは深まっている。
実際、バーレーンでは、イランの最高指導者ハメネイ師、レバノンの宗教指導者でヒズボラの精神的指導者とも言われるモハメド・フセイン・ファドララ師の肖像画をいたる所で目にするし、シーア派流の宗教的儀礼が人目をはばからずに行われるようになり、かつてはなりを潜めていたシーア派の宗教指導者も伝統的なローブとターバンをまとって町を闊歩している。イラク戦争という苦しい経験をした中東で民主化が進展するかどうかはわからないが、シーア派の影響力が今後高まっていくのは間違いない。
シーア派の台頭は、一方で社会の分裂も呼び込んでいる。例えば、イラクのシーア派の台頭は中東全域のシーア派に希望を抱かせる一方、この地域のスンニ派は懸念を募らせている。イラクでシーア派が権力を掌握するのを阻む大きな障害だったバース党が粉砕されたことが、スンニ派がゲリラ戦争に打って出た大きな理由だと考えられている。スンニ派の反動・反発はイラクを超えてシリアからパキスタンにいたる広い地域でみられ、地域的な安定を脅かしかねないシーア派対スンニ派の宗派間権力抗争が起きる危険もある。実際、ヨルダンのアブドラ国王は、スンニ派が支配する中東を、ベイルートからテヘランにいたるシーア派三日月地帯が分断することになるかもしれないと警告している。
宗派間の政治的敵対を緩和するには、イラク、そして中東全域において、シーア派の要望を満たす一方で、スンニ派の怒りをなだめ、不安を取り除いてやる必要がある。シーア派とスンニ派間のこの微妙なバランスを維持していけるかどうかが今後の中東政治を左右するだけでなく、中東とアメリカの今後の関係も左右することになる。
いずれにせよ、アメリカがイラクで蒔いたシーア派の台頭という種は、バーレーン、レバノン、サウジ、そして湾岸諸国でもいずれ花を咲かせることになるだろう。シーア派の台頭は、アメリカの中東における同盟諸国の一部にとってはやっかいな事態かもしれないが、アメリカがこれを必ずしも憂慮する必要はない。むしろ、シーア派の台頭は、アメリカがこの地域での利益を模索する新しい機会となる。
中東地域のシーア派とのチャンネルをつくれば、苦難に満ちたイラクでの経験を成果へと結びつけることができる。しかし、そのためには、世界最大のシーア派人口を持ち、地域的な影響力を高めつつあるイランに関与しなければならない。イランはイラクを含む中東全域のシーア派をつなぐ、遠大で複雑なネットワークを築き上げている。現在、アメリカとイランの関係は核開発問題を中心に展開しており、イランの指導層は過激な声明を繰り返し出している。しかし、イラク問題を別にしても、イランは、シーア派、そして中東の政治的未来に直接的な影響力を持っていることをワシントンは認識すべきだろう。
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