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対ロシア路線を見直し始めたブッシュ政権

アンドリュー・クーチンス/カーネギー国際平和財団・ロシア・ユーラシア研究ディレクター

U.S.-Russian Relations 'Rather Precarious' Now

2006年6月掲載論文

現在のクレムリンは、1970年代初頭にソビエトがアメリカとの核パリティーを達成して核の超大国となって以降、最も自信を深めている。「石油高騰がロシア経済に大きくプラスに作用しているのは間違いなく、これが米ロ関係のダイナミクスを変化させている」とみるアンドリュー・クーチンスは、ロシアの権威主義路線、対外干渉路線を前に、ブッシュ政権は対ロシア関係の見直しに入っており、最近「チェイニー副大統領が、ロシアは民主主義から後退しており、エネルギー供給を外交戦略の道具としていると批判したことは、ブッシュ政権の対ロシア路線見直しの一環とみてよい」と指摘した。聞き手はバーナード・ガーズマン(www.cfr.orgのコンサルティング・エディター)。

  • 原油高とロシアの自信
  • 米ロ関係は蜜月から対立へ
  • ブッシュ政権は対ロシア路線を見直している

<原油高とロシアの自信>

――ロシア研究者として、最近の米ロ関係をあなたはどうみているか。

アンドリュー・クーチンス 不安定な状態にあると思う。今後、米ロは関係悪化という下方スパイラルの渦に巻き込まれていく危険がある。
ロシアでは息をのむような変化が進行しており、経済成長、経済復興にはめざましいものがある。石油高騰がロシア経済に大きくプラスに作用しているのは間違いなく、これが米ロ関係のダイナミクスを変化させている。私は、現在のクレムリンは、(1970年代初頭に)ソビエトがアメリカとの核パリティーを達成して核の超大国となって以降、最も自信を深めているとみている。
ロシア・ソビエトにとっての大きな転換点は原油価格が暴落した1986年だった。1973年(の第一次石油ショック)から1980年代半ばまで、ソビエトは石油資源から膨大な利益を引き出していた。こうした富をバックに、ソビエトは(1979年にアフガニスタンに侵攻するなど)より果敢な対外政策をとるようになり、これによって米ソのデタントは崩壊する。だが、1986年の原油価格の暴落によって石油からの歳入が激減すると、ミハイル・ゴルバチョフはいわゆるペレストロイカ(改革)政策をとるようになり、冷戦終結への道が開かれた。

――原油価格の下落によってゴルバチョフの改革路線に道が開かれ、ソビエトの崩壊につながったというあなたの解釈は興味深い。

私は、基本的にソビエト帝国はエネルギー資源からの歳入で成立していたとみている。エネルギー資源からの歳入があったために、クレムリンは経済改革をためらい続け、その結果、経済は疲弊しきっていた。
だが、エネルギー資源からの歳入が増えれば、経済は勢いづき、これがクレムリンに自信を与えてきた。エネルギー資源からの歳入がある限り、クレムリンは経済改革には関心を示さなかった。実際、1986年に原油価格が1バレル75ドルだったら、ゴルバチョフもペレストロイカ路線は導入しなかったと思う。

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