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湾岸戦争とアラブの混沌
――米軍のアラビア半島駐留の意味あい

フォアド・アジャミー  ジョンズ・ホプキンス大学教授

The Summer of Discontent

Fouad Ajamiレバノン生まれ。ベイルート西部のイスラム教シーア派の家庭で育つ。プリンストン大学国際問題研究所研究員、CBS Evening Newsの政治コメンテーターなどを経て、ジョンズ・ホプキンス大学高等国際問題研究所(SAIS)の教授兼中東研究主任。

2001年11月号掲載論文

サウジアラビア人は、サダム・フセインの軍隊が自国に侵攻してくれば、どのような事態に陥るかを明確に理解していた。イラクは三日もあれば首都リヤドに到達していたかもしれないし、サウジアラビアでの社会契約のすべては履行不能になっていただろう。石油が埋蔵されている東部地方を切り離すことも、サウド家がイブン・サウドから受け継いだ地域を制圧できたかもしれない。このような災難に比べたら、外国軍の駐留が引き起こす政治・文化的摩擦などは取るに足らない問題だった。
湾岸での旧秩序はその幕を閉じた。現在「新しい政治秩序」が話題にのぼっているが、それがどのようなものになるかは誰にもわからない。しかし、大国(アメリカ)が湾岸の見張り番役を務めることになるのは間違いない。

  • 独裁者の策略
  • パレスチナとサダム・フセイン
  • ヨルダン 温厚な指導者の賭け
  • クウェート侵略とアラブ政治の構図
  • アラブ諸国の思惑
  • 砂漠の民と都市の民の争い
  • サウジアラビアの米軍
  • フセインの賭けは失敗する

<独裁者の策略>

結局、平穏な日常は長続きしなかった。それは、一つの野望に幕が降ろされ、新たな野望が混乱を生じさせるまでのわずかな時間、つまり、イラン・イラク戦争が終わり、今回のイラクによるクウェート侵攻が開始されるまでのほんのわずかな時間にしか存在しなかった。アラブ・イスラム世界がアヤトラ・ホメイニの西洋への憤りやその教条主義の呪縛から解放されるや否や、バクダッドにサダム・フセインという新しい指導者が誕生した。しかし、この新たな主張を持つ指導者は、頭にターバンを巻いたイスラム教学の中心地、コム出身のアラブ世界の救世主(ホメイニ)とは大きく異なっていた。サダム・フセインはイスラム的統治に関する論文の著者でもなければ、イスラム法学院で学識を積んだわけでもない。当然、彼の行動が、イスラムの教えへの真の忠誠をめぐるイデオロギー上の葛藤の中から生まれ出たわけでもない。サダムは、アラビアとペルシャが接する不毛の地、それも文化、主張、および壮大な思想などとはおよそ無縁の地の出身である。この新たな指導者は独裁者である。支配地の人々に服従を強要し、大規模な監獄にしてしまったこの独裁者は、冷酷で手馴れた看守人でもある。・・・

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