米軍の日本駐留は本当に必要か
Are U.S.Troops in Japan needed?
1998年8月号掲載論文
「冷戦期の共通の脅威が消滅していくにつれて、日本人が国内における米軍の軍事プレゼンスに懐疑的になるとしても無理はない」。しかも、日本の防衛の多くをこれまで実質的に担ってきたのは、駐留米軍というよりも、日本の自衛隊である、と細川元首相は示唆する。米軍による核抑止力(核の傘)は依然必要だとしても、「冷戦後」という新時代の進展とともに「アメリカの日本での軍事プレゼンスを今世紀の末までにしだいになくしていくべき」だし、何よりも「同盟関係と基地の存在」をめぐる日米間のパーセプション・ギャップ(認識の隔たり)が大切な二国関係を損なう前に、「二十一世紀にふさわしい同盟関係のあり方を議論」すべきであり、その任にあたるのは「官僚や将軍たちではなく、(日米の)政治家」でなければならない、と。
- 同盟支持、基地縮小を望む世論 <一部公開>
- アジア安全保障環境の現実
- 日本の防衛は米軍が担ってきたのか
- 核の傘の必要性
- 立ちこめる暗雲
<同盟支持、基地縮小を望む世論>
駐留米軍をめぐる日米間のパーセプション・ギャップが、この二つの重要な国家の同盟関係を危機にさらしかねない。
アメリカ人の多くは、日本における米軍のプレゼンスを日本の安全保障を支えるための親切な好意とみなしている。だが、日本人の多くは、米国との同盟関係には好意的なものの、国内の駐留米軍の規模が削減されることを望んでいる。朝日新聞による一九九六年五月の世論調査によれば、日本国民の七〇%がアメリカとの同盟関係を支持する一方、六七%の人々が米軍基地の数が削減されたほうが好ましいとみている。こうした明確な特徴をもつ大衆の意向も、今日のアジアの状況からみればそれなりに合理性を備えている。
日米安保条約は、朝鮮戦争のさなかの五一年、連合国による対日占領に公式にピリオドを打ったサンフランシスコ講和条約とともに締結された。安保条約によって、米軍の日本での駐留が可能になっただけでなく、アメリカは朝鮮半島での戦闘のための拠点、後方支援基地としての日本国内の基地施設の使用権を手にした。日本における米軍基地は当時、ソビエト、中国、北朝鮮が一枚岩の脅威とみなされていただけに、共産主義の拡大を封じ込めるには不可欠の存在とみなされていた。
だが、ヨーロッパと同様、今や東アジアの国際環境も劇的に変化した。もはやアメリカとその同盟諸国がソビエトと対峙しているわけではない。ソビエト連邦はすでに物理的に存在せず、その崩壊以後、極東ロシア軍の力も空洞化している。八九年と九七年の防衛白書を見比べると、アジア地域でのロシア軍の人員、軍艦、潜水艦、戦闘機の数はかつての半分にも満たないレベルへと削減されている。ロシアの戦艦の大多数は港に係留されたまま錆びついているし、使用できるのはわずかな数の潜水艦と艦船のみだ。
日本の軍事アナリストたちによれば、ロシア空軍のパイロットの年間訓練飛行時間は今や二十時間から三十時間で、基本中の基本の技術さえ維持できない状態にある。ちなみに、日本の(航空自衛隊の)戦闘機パイロットの年間訓練飛行時間は、最低でも百五十時間に達する。
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