ユーゴスラビア崩壊の記録
The Last Ambassador
1995年5月号掲載論文
民族的な融合を繰り返してきたユーゴ市民にとって、「民族を意識せずに生活するのはきわめて自然」なことだったし、彼らが民族的な敵意を抱いていたわけでもない。つまり、ユーゴを崩壊へと導いた主要なアクターはとは、「純粋な民族国家」の形成という自らの政治的野望のためにナショナリズムを演出したミロセビッチ、そして、ツジマン、カラジッチなど、一握りの極端なナショナリストたちなのである。彼らは、自らのプロパガンダを、単一民族による純粋な民族国家という粗野な概念と結びつけることで、意図的に上からのナショナリズムをあおり立て、止めどない抗争の温床を作り出したのである。「人間性の節度の象徴だったサラエボの町」がなぜ、かつての「ベルリンの壁」のような存在へと回帰しようとしているのか。時代錯誤というほかはない。「最後の」アメリカ大使が当時の日記をもとに振り返るユーゴ崩壊の全記録。
- ユーゴへの赴任に備えて
- ミロセビッチという人物
- 解き放たれたナショナリズム
- クロアチアとツジマン
- ユーゴスラビアの崩壊
- 分離・独立、そして戦争
- カラジッチとミロセビッチの共謀
- 最後の会談
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