IgorNP/shutterstock.com

CFRミーティング
通貨戦争、資本管理、
そして国際通貨システムの未来

スピーカー
アジャイ・シャー  インド国立財政政策研究所教授
ベン・ステイル   米外交問題評議会 国際経済担当シニア・フェロー
アラン・テイラー  モルガン・スタンレー シニアアドバイザー
プレサイダー
セバスチャン・マラビー  米外交問題評議会・地政経済学センター所長

Currency War, Capital Controls, and the Outlook
For the International Monetary System

Ajay Shah インディラ・ガンディ開発研究所(IGIDR)を経て、印国立財政政策研究所(NIPFP)教授、現在はIMFの客員研究員。
Benn Steil 米外交問題評議会、国際経済担当ディレクター。専門は国際金融。
Alan M. Taylor 全米経済研究所(NBER)、カリフォルニア大学経済学教授を経て、現在はモルガン・スタンレーのシニアアドバイザー。

2011年11月号掲載論文

ロバート・トリフィンが指摘したように、ドルが国際的な準備通貨とされる限り、ドルの世界への供給量が少なすぎても、多すぎても危機が作り出される。つまり、現在の通貨レジームそのものを変えない限り、二つの危機の間を揺れ動くことになる。残された選択肢は二つしかない。・・・・・(B・ステイル)

新興国が変動相場制を懸念し、大規模な外貨準備を積み増したのは、自国通貨建てで債券を発行する力がなかったからだ。・・・だが、いまや多くの新興国はそうした力を持つようになった。これは新興国が次第に途上国を卒業しつつあることを意味する。(A・テイラー)

新興国の外貨準備は危機に対処できるレベルを十分に超えている。特に2002年以降、外貨準備は(輸出に有利な為替を維持するための)重商主義路線の一部と化した。・・・現在われわれは、為替重商主義の時代にある。(A・シャー)

  • ブレトンウッズ再考
  • 経済危機の本当の原因は
  • なぜ新興国は外貨準備を積み上げるのか
  • 外貨準備は重商主義のツールか
  • 通貨制度
  • 資本管理
  • ドルか国際通貨か

ブレトンウッズ再考

セバスチャン・マラビー 今日は資本管理、通貨戦争その他について議論したい。世界は経済・金融領域で数多くの問題を抱えているが、大本では準備通貨としてのドルの持続性が問われている。あらゆる問題が密接に絡み合っている。

まず、ベン・ステイルから歴史的な分析を聞きたい。現在彼は、戦後通貨秩序の誕生、つまり、1944年のブレトンウッズ体制についての著作をまとめている。戦後通貨体制の設計者たちは、システムを設計するにあたってどのような目的を持っていたのか。彼らの考えで、現在にも共鳴するものがあるだろうか。

ベン・ステイル 「通貨戦争」という言葉を最近よく耳にするが、ブレトンウッズ体制の設計者たちは、1930年代のいわゆる通貨戦争(通貨切り下げ競争=近隣窮乏化政策)が引き起こした一連の問題に対抗できる制度を設計したいと考えていた。通貨戦争のリスクに対処し、為替を安定化させるメカニズムを導入しない限り、開放的な国際貿易システムを再確立するのは不可能だとみていたからだ。

アメリカとイギリスのプランは実際には大きく違っていた。アメリカは、ドルを準備通貨とするシステムを前提に考えていた。各国の通貨をすべてドルに固定的にペッグし、ドルを準備通貨として機能させる。現在、われわれが(中国に対して)ドルに通貨(人民元)をペッグするのを止めるように求めているのとは、非常に対照的な考えだった。

だが、どのような立場をとるかはそのときの状況に左右される。1940年代のアメリカは世界最大の債権国だった。為替を固定すれば、他国がドルに対して自国通貨を切り下げることもなくなるために、ワシントンは為替レートを固定したいと考えていた。これも、現在、世界最大の債務国であるアメリカの立場からみると、著しいコントラストをなしている。

一方、ケインズのプランはまったく違っていた。ケインズは金やドルではなく、まったく新しいタイプの国際通貨を導入すべきだと考えていた。彼は、これを「バンコール」と呼んだ。実際には、ブレトンウッズに集まった各国指導者の多くがケインズ案を支持したが、当時のアメリカに対抗できるような力はなかった。こうしてアメリカ案の「ホワイトプラン」がブレトンウッズ体制の基盤に据えられた。

現在では、ブレトンウッズ体制へのノスタルジアを多くの人が感じているようだ。しかし、ハリー・ホワイトが想定したような兌換通貨を持つシステムが実際に動きだしたのは1959年になってからだし、しかも、1960年代半ばまでにはすでにシステムは混乱し、ニクソン大統領が(1971年に)金とドルとの交換を停止したことで、システムは崩壊した。

何が問題だったのか。というのも、現在もわれわれは同じ問題に直面しているからだ。

1914年以前の古典的な金本位制のもとで、われわれが中国と貿易し、ドルを中国に送ると、中国はそのドルをアメリカが保有する金と交換する。アメリカの金準備は低下し、金利を引き上げる。クレジットは引き締められ、物価は下落する。こうしてアメリカ製品はより競争力を増し、不均衡は是正される。

1914年以前は、このシステムは非常にスムーズに機能した。この時期にも世界金融危機は起きたが、比較的短期間で終わり、その規模は、現在のものとは比べものにならないほど小さかった。

一方、ブレトンウッズ体制はどのように機能しただろうか。基本的には現在と変わらない。われわれは中国からの輸入品の代金をドルで中国に支払う。だが、中国がドルを何かに交換することはない。中国は、それを(米国債などの購入に充て)低金利の融資としてそのドルをわれわれのところに持ってきてくれる。このドルがアメリカの金融システムのなかでリサイクルされ、より多くのクレジットが作り出される。

だが、1920年代にさまざまな資産市場が加熱したように、1960年代には株式市場が加熱し、インフレになった。そして、最近の10年間で加熱したのは住宅市場だった。

ここに問題がある。この基本的な欠陥に対して示された一貫した答えは、私の知る限り二つしかない。

一つは1960年にフランスが示した反応で、これは、金本位制に復帰することだ。ボブ・ゼーリック(世銀総裁)は、少なくとも国際的議論のレベルでは、金本位制への復帰を支持しているが、あらゆる理由からみて、金本位制の復活はないと思う。

もう一つは、ケインズ案の類を受け入れ、新たに正統性のある国際通貨を導入することだ。実際、2009年に中国人民銀行の周小川総裁は、「われわれはブレトンウッズで間違いを犯したのかもしれない。ホワイト案にこだわるのではなく、ケインズ案を採用すべきだった」と発言している。

 

経済危機の本当の原因は

マラビー アラン、何か付け加えることは。

アラン・M・テイラー ブレトンウッズ会議において通貨制度の設計者たちは、為替の不安定化は甚大な経済的帰結を伴うと考えていた。当時は、そう考えられていたかもしれないが、その後、多くの人は、為替の不安定化と悪い経済的帰結の間には必ずしも因果関係はないと考えるようになった。こうして、1920~1930年代に何が起きたかについても、もう一つの解釈が出てきた。

為替の不安定化を引き起こしたのは経済の不安定化だったのか、それとも、金融の混乱だったのか。その後の危機についても、同じことが言える。1960~1970年代にブレトンウッズ体制が崩壊したのは、通貨の不安定化が経済問題を引き起こしたのか、それとも、その逆だったのか。

今日の状況にも同じことが言える。少なくとも、1930年以降、最悪の経済危機に直面するまでは、通貨戦争という言葉を口にする者はいなかった。経済史家とエコノミストは、その因果関係を見極めるのに非常に慎重な態度をとっている。

そこに確実なものはない。異なる通貨レジームであれば、成長、危機、その他の基準からみて経済パフォーマンスに大きな違いが出ていただろうか。この答えを知るのは非常に難しい。

「通貨戦争、為替の不安定化をめぐる議論をつうじて、いかなるコストをかけてでも問題を引き起こした精霊を見つけ出してビンのなかに戻すべきだ」。これが、ブレトンウッズで試みられたことだと思う。しかし、「通貨体制が原因となって危機が起きたのかどうか」の判断は慎重でなければならない。

一方、通貨戦争、あるいは、通貨のムーブメントが、経済システムにたまった圧力を緩和してくれるのであれば、それを最悪の事態とみなすべきではないだろう。それが、貿易戦争の代わりである場合もある。為替レートを安全弁として用いれば、もっと極端な保護主義を回避できる場合もあるはずだ。

 

なぜ新興国は外貨準備を積み上げるのか

マラビー 貿易戦争よりも通貨戦争の方がましかもしれない。だが、各国はどのような準備金を積み立てておくべきなのか。ベンは、先にフランスによる金本位制を指摘した。ケインズがバンコールと呼んだアイディアもある。だが、現在、各国の中央銀行の準備金(外貨準備)は国内総生産(GDP)の5%から14%にも達している。これは賢明な措置だろうか。1944年当時は、その前の15年間で起きたことを基準に対策が検討された。現在は巨大な外貨準備が積み上げられている。この流れは、正当化できるだろうか。

テイラー 外貨準備がなぜ積み増されているか。そこには、多くの条件がかかわっている。なぜ、新興市場は外貨準備を積み増すようになったのか。何をどのような理由で積み増し、いつ外貨準備を大きくするのを止めるのか。どれだけ用意すれば、十分なのか。

なぜ新興国が外貨準備を積み増し始めたか、その理由はだれもが知っている。1970年代の新興国の外貨準備のデータをみると、その額はほぼ横ばいを辿っていた。先進国も、途上国もGDPの一定比率を外貨準備として蓄積していたが、基本的に増えも減りもしていなかった。

その後、1990年代に金融グローバル化、貿易のグローバル化の時代に入ると、新興国は外貨準備を積み増すようになった。だが、新興国の外貨準備の規模が劇的に大きくなったのは、1997年のアジア通貨危機以降だ。

これには、非常に単純な、ある種の政治経済学が作用している。

危機の象徴として新興市場国の指導者の心に刻み込まれたのはIMFのカムドシュ専務理事が見守るなか、インドネシアのスハルト大統領が、インドネシアの経済生活と彼の政治生命を断念する書類に調印する光景だった。新興市場国の指導者のなかで、このような(屈辱的な)写真をとられたいと思う者はだれもいなかった。

この一連の流れから新興国の指導者たちが学んだ教訓は「危機に直面しても、自分で身を守るしかない」ということだった。

「市場アクセスを確保するだけでは十分ではなく、危機に陥ったときの資金を確保しておく必要がある。多国間機関に緊急融資を求めることもできるが、この場合、経済改革などの厳しい条件を付けられるし、十分な融資を十分な期間にわたって得られない可能性もある。まずわれわれの資産をプラスに持っていって、(危機に直面して)必要になったら、それを取り崩せばいい」

1990年代末に起きたことを、新興国の指導者が自国に対する警告と受け止めたとしても不思議はないし、(外貨準備を積み増して)危機に備えることが間違っているとも思わない。

この10~15年に外貨準備を新興国が大幅に積み増していったことを、どう解釈するか。パニックになって、「これではグローバル・インバランスは永遠になくならない」と嘆く人もいるかもしれない。実際に、そうなるのかもしれない。だが、新興国は1990年代の教訓を肝に銘じて外貨準備を増やしてきた。金融のグローバル化、国際金融システムへの統合に伴うリスクに備えてきたのだ。

だが、今後、この路線は次第に緩和され、アメリカなどの先進国への資金の環流もゆっくりとしたものになるかもしれない。これは、今後、インバランスの是正がゆっくりと進むとみなす楽観的な見方だ。外貨準備が少なくなれば、それを安全地帯においておく必要性も小さくなる。

もう一つ、どのような方法で資産を維持していくかを考えなければならない。

ここで「トリフィン・ジレンマ」に遭遇する。100年前の準備資産のツールは金だった。問題は、金の供給に限界があり、しかも金は価格の変化への柔軟性をほとんど持っていないことだ。経済成長のペースが金ストックのペースを上回るようになり、この場合、通貨を同じ比率の金で支え、金価格が同じだとすれば、デフレになる。

こうして、だれかが「変動相場制、あるいは、不換通貨の導入」を口にし始める。結局、その後、われわれはドルを準備通貨とするドル体制に行き着いた。ここでのグッドニュースは、ドルの供給は無限大だということだ(笑い)。だが、残念なことに、これは一方で問題を伴う。ドル建て外貨準備は他国の資産であり、これが最終的にアメリカにとっての問題になる。

(他国が米財務省証券などを購入することで)莫大な規模のドルを低金利で融資してくれるのは素晴らしいことだが、そのためには、われわれが賢明で効率的な金融市場を持っていなければならない。市場、家計、政府、ファンドがこれをうまく利用する必要がある。

 

外貨準備は重商主義のツールか

マラビー あなたは実質的に、新興市場がこの15年にわたって外貨準備を積み上げてきたのは、危機に備えるための自然で慎重な行動だったと発言した。自国通貨の為替レベルを管理するための介入資金としての側面には触れなかった。アジャイ、あなたはどうみているか。

アジャイ・シャー アジア危機直後に各国政府が外貨準備を積み増すようになったのは、たしかにスハルトの写真が影響していると思う。だが、その後、外貨準備を増やしていく動機は短期間で変化していった。このタイミングで、どの程度の外貨準備を持てばよいかをめぐって大きな論争が起きた。コンセンサスは得られず、結局、まず大規模な資金を準備した上で、適切な比率を考えようということになった。

その後、アジアでの議論は二つの陣営に分かれた。

一つは、いかに妥当な規模の外貨準備を築いても、大きな危機には対処できないという認識だった。もう一つは、通貨防衛のために必要な資金は思ったよりも小さくて済み、GDPの2~4%もあれば十分で、それ以上は必要ないとする考えだった。

別の言い方をすれば、危機に対処するには、無限大の外貨準備を持っていなければならないとみなす国もあれば、一方で、非常に少ない外貨準備でよいと考える国もあった。

危機に対する安全弁としての外貨準備という見方を支持するのは難しい。特に2002年以降はそうだ。それ以降は、むしろ、外貨準備は(輸出に有利な為替を維持するための)重商主義路線の一部と化した。また、中国が外貨準備を積み増しているのだから、自分たちもそうすべきだと考えた国は多い。そこには政治的な圧力も作用している。

マラビー 中国は輸出競争力を強化するような為替政策をとり、結果的に、輸出が拡大し、パワフルになり、政治的影響力も増大しているのかもしれない。ベン、コメントはあるだろうか。

ステイル 1994年以降、為替を事実上固定している中国は、興味深いケースだ。だが、その動機は完全に変化している。1998年のアジア通貨危機のさなか、中国は(輸出競争力を維持するために)ペッグを止めて、人民元を切り下げる大きな誘惑にさらされていた。米財務省は、この誘惑に屈しなかった中国の判断を高く評価した。つまり、当時の中国は、現在とはまったく違う理由でドルに人民元をペッグさせていた。

外貨準備の規模については、われわれが最近経験した危機に十分に対処できるレベルにあるのはあきらかだ。

マラビー アジャイ、あなたは現在IMFの客員研究員を務めている。IMFの立場を知り、なおかつ自由に発言できる立場にある。IMFがうまく改革されれば、スハルトの写真が象徴するような新興国のIMFに対する不信を取り除き、外貨準備を積み増して、保険をかけようとする流れを抑えられるだろうか。(アジアの新興国は)IMFを友人とみなすようになるだろうか。

シャー (改革を経たIMFが友人とみなされるようになる)可能性はあるが、それが現状でそれほど大きな問題だろうか。すでに、新興国の外貨準備は危機に対処できるレベルを十分に超えているからだ。したがって、改革を経たIMFが信頼を取り戻すことはできると思うが、そうなっても、現状に大きな変化は出ないだろう。現在われわれは、為替重商主義の時代にある。

マラビー アラン、コメントは。

テイラー 保険策をとる上で、外貨準備を積み増すよりも、もっとよいやり方があるはずだ。IMFが改革されてもっと優れた組織になることを願うこともできる。だが、現実はそうではないし、われわれは目の前にある現実に対処していくしかない。

成長の途上で、新興国は大きな脅威に直面した。たしかに、通貨危機に対する別の保険策があればよかった。

とはいえ、チリのアンドレアス・ベラスコ蔵相が外貨準備をめぐってどのような経験をしたかを、ここで話したい。(かつてハーバードの経済学教授だった)彼は私の友人だが、危機が起きる前は、(外貨準備を積み増すことを含めて、倹約と貯蓄に努めた)彼の財政路線は激しく批判された。政治家としてのベラスコへの支持率も地に落ちていた。

だが危機に直面した際に、彼はチェックブックを取り出して準備金を引き出し、社会保障プログラムと経済を支えるために投入した。一転して彼の人気はうなぎ登りとなった。だれもが、貯蓄して危機に備えることの重要性を理解したからだ。

要するに、外貨準備を増やしていくのは、新興国にとって政治的にも経済的にも非常にパワフルなストーリーなのだ。だが、必要以上に外貨を積み増している国があるのは事実だろう。

その意図については、偶然大規模な外貨準備を持つようになった国もあれば、意図的に巨大な外貨準備を築き上げた国もあるだろう。後者の場合、何かを操作しようとしている、あるいは、重商主義的だと批判されても仕方がない。

 

ステイル 一つ付け加えると、ケインズはIMFを有意義な組織にするのは難しいと考えていたし、ホワイトプランのことを非常に心配していた。彼は、IMFのような国際的クリアリングハウスは控えめな組織でなければならないと考えていた。

実際、ブレトンウッズで、イギリスの代表者はアメリカ側に、国の経済に介入しないような控えめな組織にすべきだと明確に伝えていた。

必要なのは、非常に弾力的な資金供給能力を持つ国際的な準備通貨を作り出すメカニズムだ。スハルトの写真に象徴されるような、何かの決定権を持つ、IMFのような「ファンドを持つテクノクラート集団」ではないだろう。

テイラー 理屈の上では、次善ではなく、最善の策が何であるかはわかっている。経常黒字国と経常赤字国が協調してインバランスの解消に努めれば、世界はもっと多くの人々にとって幸せな場所になる。だが、そんなことができるだろうか。政治的凝集力を持つ経常黒字国と経常赤字国が(均衡達成に向けた)実験をしてみる価値はある。議論を脇にそらすつもりはないが、黒字と赤字をめぐって対照的な状況にある2カ国がこの実験をしてみる価値はあると思う。

 

通貨制度

マラビー 次に、現在の通貨レジームについて。現レジームに対しては多くの批判がある。固定相場、変動相場、開放的、閉鎖的なシステムが入り乱れているために大きな緊張と圧力にさらされている。現在は大きな混乱のなかにあるが、ヨーロッパはまた別のシステムをとっている。だが、ヨーロッパの経験からみると、政治的な凝集力を持つブロックでさえも、共通通貨導入をつうじて通貨価値を固定するのは難しいようだ。

ステイル まず、ギリシャから考えよう。いまや、「ユーロゾーンに参加さえしていなければ、ギリシャは現在のような問題に遭遇することはなかったはずだ」という神話が一人歩きしている。だが、わずか数年前に、アイスランドが危機に直面した際には、だれもが、これとはまったく逆のこと、つまり、「ユーロ圏に参加していれば、アイスランドは危機に直面するのを回避できたはずだ」と言っていた。

考えるべきは、ユーロ圏に参加する直前の2000年の段階で、すでにギリシャの債務の約80%がユーロ建てだったことだ。ユーロ圏に参加しようがしまいが、ギリシャは債券を割安なユーロ建てで発行していたはずだ。つまり、これは、ギリシャがユーロ圏に参加していなければ、もっと早い段階で危機に遭遇していたことを意味する。

ユーロ圏に参加したから、ギリシャが危機に遭遇したとは私は思わない。

もちろん、レートが割安なときに、ユーロ建てで資金を調達する道を開いた以上、ユーロという国際通貨を作ったことそのものに今回の問題のルーツがあるともみなせるが、ユーロゾーンに参加したのが間違っていたと結論することはできない。

ユーロゾーンからの離脱を真剣に検討している国があるとは私は思わない。実際にはデフォルトを宣言せざるを得ない状態に追い込まれれば、圧力を緩和するためにユーロゾーンを離れるというロジックそのものが成り立たなくなる。そうする必要はなくなる。

 

資本管理

マラビー 次に資本管理へと話題を変えよう。膨大な外貨準備を持つ資金豊かな国から投資先へと大規模な資金が移動している。ブラジル、台湾、タイなどの国々はすでに資本管理策をとり、かつて流行した資本管理という手法に立ち返りつつある。そして、かつては資本管理策にきわめて敵対的だったIMFさえも、今では「資本管理策をとるのが適切な場合もある」という立場を示している。アジャイ、資本管理策は機能するのだろうか。

シャー 1970~1980年代のラテンアメリカの経験を引いて、資本管理策は機能しないと言われてきた。私は今でも資本管理が有意義な政策だとは思っていない。1970~1980年代から随分長い時間が経ったので、管理策に効果があると誤解されているのかもしれない。

資本管理策をとってもおかしくないケースは一つしかない。それは、まだ経済レベルが低開発の状態で、金融システムも金融監督体制もうまく整備できていないような場合だ。だが、現在グローバル経済システムに参加している国が資本管理策をとることには私は懐疑的だ。

ステイル 昔の話になるが、ブレトンウッズでは、アメリカもイギリスも、資本管理策を前提にしていた。この点については、アメリカはイギリス以上に強硬な姿勢をとっていた。ホワイトは、国は資本管理策をとる権利を持つと主張しただけでなく、他国の市場から資金が流入する国を助ける義務があるとさえ発言している。

マラビー しかし、それは1944年の話だ。いまや貿易の流れも、グローバルサプライチェーンも劇的に拡大している。多国籍企業は、複数の異なる国で資金を調達し、企業内で好きなレートで資金を移動させている。当時は資本管理が有効な政策だったかもしれないが、今は違う。アラン、あなたはどうみているか。

テイラー ブレトンウッズ会議当時の世界は現在とはまったく違っていた。いずれにしても、そこには基本的なトリレンマがある。固定相場制、資本の自由な移動、自立的な金融政策の三つをすべて満たすことはできない。

ブレトンウッズ当時、各国は金融政策上の主権を維持したいと考えていた。そして、当初は金を、後にはドルをバックとする通貨体制をとった。この枠組みでは、資本の自由な移動を断念するしかなかった。

つまり、「1945年のワシントン・コンセンサス」は資本の移動、つまり、金融のグローバル化を犠牲にしていた。

このシステムはなぜ解体したのか。世界貿易が活発になり、各国間の商業的絆が深まると、(固定相場制と資本の自由な移動のバランスをめぐって)逆転現象が起き始めた。資本管理体制の穴が大きくなりだした。各国は資本を不正に動かすために、輸出入のインボイス操作やその他の方法をとり始めた。要するに、水も漏らさぬ通貨管理策などあり得ない、ということだ。

だが、現実的にみて、われわれが(資本管理という)過去へと逆戻りすることはあり得ない。

おそらく、チリのケースを考えるのが適切だろう。チリは、流入する短期資金に課税している。IMFの研究によると、短期資金にのみ課税するというやり方での資本管理策では、資本流入の規模はほとんど変化しない。より多くの資金を長期的なFDI(外国直接投資)へと向かわせ、いわゆるホットマネー(短期資金)の比率が小さくなるだけだ。

最近では、IMFでさえも、この意味では資本管理は必ずしも悪くないと言い出した。この程度の資本管理なら、長期的な資金の流れが変わることはあり得ない。だが、各国は為替の変動を余儀なくされるだろう。

 

ドルか国際通貨か

マラビー 諸外国のドル建ての外貨準備は異常なペースで蓄積されてきた。アメリカ経済が世界経済に占める比率が24%なのに、そうした諸外国による外貨準備の60%がドル建てで行われている。アジャイ、インドの中央銀行が10年という時間枠でみて、外貨準備をドル以外の通貨、あるいは国際通貨に切り替える可能性はあるだろうか。

シャー 通貨ペッグの問題と、外貨準備のポートフォリオの問題を切り離して考えるべきだと思う。原則的には、インドに限らず、各国の中央銀行は「今後はユーロにペッグする」と言うこともできるし、一方で、すべての資金運用をヘッジファンドに委ねることもできる。この場合、準備金のポートフォリオがペッグしている通貨建てになるとは限らない。したがって、通貨ペッグの問題と、外貨準備のポートフォリオの問題は切り離して考えるべきだ。

原則的には、世界のすべての国が自国通貨をドルにペッグさせることができる。しかし、この場合でも諸外国が外貨準備をすべて米政府系債券で持つということにはならない。外貨準備のポートフォリオを多様化させることができる。その一部をドル建てで保有し、その他の多くを他の通貨その他で所有することができる。

第2に、米ドルか、バンコールのような国際通貨しか選択肢はないと考えるべきではないと思う。他にも優れた選択肢、組み合わせはある。

金以外の何か、つまり、CPI(消費者物価指数)バスケットをアンカーとする変動相場制がある。つまり、インフレターゲットが代替システムになる。そこではいかなる国も不換通貨を持つことができる。実際、これはうまく機能するはずだ。カリフォルニア大学バークレー校のアンディー・ローズは、多くの意味で、インフレターゲットと不換通貨の組み合わせが、もっともうまく機能すると述べている。長期的に運用できるし、ショックにも対応できる。不換通貨をつうじたメカニズムは、優れた枠組みだ。

 

マラビー アジャイは結局のところ、不換通貨がもっともうまく機能するという考えのようだ。ベン、あなたはアジャイの立場に同意するか。現在、通貨、資本管理、その他をめぐって問題が起きているが、5年もすれば状況は再び落ち着いているのだろうか、それとも、いまや、未来に向けて流れが一気に変化していく、ティッピングポイントにさしかかっているのだろうか。

ステイル ティッピングポイントにさしかかりつつあると思う。トリフィン・ジレンマについては、先ほどアランが指摘したが、1960年にロバート・トリフィンは議会で後に有名になる次のような証言をしている。「現在のシステムは本質的に不安定で、ドルが国際的な準備通貨とされる限り、ドルの世界への供給量が少なすぎても、多すぎても危機が作り出される」と。

つまり、このレジームは、システムそのものを変えない限り、二つの危機の間を揺れ動くことになる。

トリフィンは、国際的な不換通貨を持つというケインズの考えを受け入れるしかないと考えた。彼の意見に反対したのは、フランスのエコノミスト、ジャック・リュエフだった。バンコールは実体のない通貨に過ぎず、古典的な金本位制に戻るべきだとリュエフは考えた。

この二つの考えはともに過激だが、その中間に位置する選択肢を特定できたものはいない。準備通貨を発行するわれわれが危機のレベルを緩和できるようになるかもしれないが、システムというものは、現在われわれが経験しているように本質的に欠陥が存在するものだ。

マラビー われわれは一貫性に欠ける世界に生きている。だが、トリフィンがトリレンマを指摘してから、すでに半世紀が過ぎている。アラン、どうだろうか。このまま現状のシステムが続くのか、それとも変化の時を迎えているのか。

テイラー システムは存在するのか。また、存在すべきなのか。そして、存在できるのか。金本位制、ブレトンウッズ体制というシステムがあり、その不備を支える措置もあると学校では教える。

だが、国は基本的に自己利益の観点から判断を下す。一貫性のあるシステムを機能させるのが難しいのはヨーロッパのケースからも自明だろう。だが、われわれは長期的に運用できる安定した何かを求めている。危機を前にしても堅ろうで、為替の変動や自由な貿易を許容するような何かだ。

実際には、この30~40年にわたって、明確なシステムのない状態で通貨取引は機能してきた。ブレトンウッズ体制が崩壊したとき、多くの人は、「変動相場制なんてダメだ。1930年代に逆戻りだ。また大恐慌が起きる」と考えたものだ。だが、現実には、そのようなことは起きずに、貿易取引は拡大し、経済成長が復活し、工業経済が進展した。

たしかに、現在われわれは大きな危機に直面しているが、これを繰り返さないために絶対的に何かを変えなくてはならないのだろうか。

たしかに緊張は高まっている。新興市場国が今後も、無限大にドルを保有したいと望めばどうなるか。トリフィン・ジレンマもある。グローバル・インバランスが続けば、大きな問題に遭遇する。

しかし、潮流が逆転する可能性もある。われわれは、新興国がいかに現状を卒業して先進国に変貌していくか、そのプロセスを理解していない。

新興国が変動相場制を懸念し、大規模な外貨準備を持つもう一つの要因は、新興国には自国通貨建てで債券を発行する力がなかったからだ。

つまり、通貨と資産・負債に大きなミスマッチがある。通貨のミスマッチは、準備通貨を積み増すことである程度緩和できるが、これが、別の問題を作り出す。準備通貨による外貨準備は公的部門が保有しているのに対して、負債の多くは民間部門に存在する。

だが、いまや多くの新興国は自国通貨建ての債券を国際市場で発行できる力を持つようになった。これによって問題は緩和されている。

モルガン・スタンレーでの朝の会議で「ペルーが自国通貨建てで債券を発行し、その需要は高い」といった話をするのはいまや珍しくない。自国建ての債券の発行なら、これらの国もそれほど心配する必要はない。つい最近も、メキシコは100年満期国債を発行した。

これは進展とみなせる。ロールオーバーその他のリスクをなくせる。これは、これらの国々が次第に途上国を卒業しつつあることを意味する。自分の問題に自分で保険をかけることで責任をとりつつある。われわれ同様に、これらの諸国も過去の間違いから教訓を学びつつある。

したがって、われわれは現在の道を歩み続けていくと私は考える。インバランスは是正されていくだろうし、システムは、大規模な介入なしで、機能し続けると思う。人々は「通貨戦争」という言葉をヒステリックに用い、新聞も大げさにこの問題を取り上げているが、この現象は、われわれの広範な経済活動の一部にすぎない。●

 

邦訳文は英文からの抜粋・要約。

(C) COPYRIGHT 2006 FEDERAL NEWS SERVICE, INC., 1000 VERMONT AVE. NW; 5TH FLOOR; WASHINGTON, DC - 20005, USA. ALL RIGHTS RESERVED. ANY REPRODUCTION, REDISTRIBUTION OR RETRANSMISSION IS EXPRESSLY PROHIBITED.

Page Top