ジョナサン・シェル論文によせて
核兵器は平和のための道具である
2001年1月号
核兵器はグローバルな舞台のドラマにおけるアクターではなく、間違いを犯す人間が、うまく利用することも、あるいは間違った使い方をすることもできる道具にすぎない。潜在的な危険を秘めているとはいえ、これまでのところ核兵器は平和を維持する手段として機能してきている。
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2001年1月号
核兵器はグローバルな舞台のドラマにおけるアクターではなく、間違いを犯す人間が、うまく利用することも、あるいは間違った使い方をすることもできる道具にすぎない。潜在的な危険を秘めているとはいえ、これまでのところ核兵器は平和を維持する手段として機能してきている。
2001年1月号
冷戦期の核ドクトリンは、今となっては意図とは反対の結末しかもたらさない。すでに相互確証破壊に基づく抑止の時代は過ぎ去っており、むしろアメリカは「相互確証安全」という新概念を生みだす機会を手にしている。
「核廃絶か 止めどない核拡散か」(「フォーリン・アフェアーズ」、二〇〇〇年九/十月号、「論座」二〇〇〇年十月号)のなかで、ジョナサン・シェルは、いつもどおり歴史の流れを踏まえた知的な見解を示し、核保有国がともに核廃絶のための計画を立ち上げて、それを実行に移さない限り、国際社会の流れが核拡散へと向かいかねないと警鐘を鳴らした。ワシントンによる(核不拡散と抑止を抱き合わせた)戦略は、世界の核トレンドを拡散容認という方向へと向かわせかねない、と。さらに、シェルは、大統領が(核廃絶、あるいは核の削減についての)現状の政策の改革案を示さないかぎり、
核政策をめぐる世論を巻き込んだ広範な議論が実現したとしても、そうした機会が無為に費やされかねないと指摘した。ホワイトハウスが現行の戦略を見直し、官僚機構内の抵抗を克服するには、まず核の専門家たちが政府に、詳細を押さえた賢明な政策構想を示すべきだろう。
2000年9月号
アメリカが一方的にABM制限条約から離脱すれば、ロシアも戦略兵器の制限という義務に縛られることはあり得ず、現状でのアメリカの姿勢が覆されない限り、核軍縮プロセスそのものにピリオドが打たれることになる。NMDの配備は外部における脅威の変化への対応ではなく、軍事技術の進歩に歩調を合わせたものにすぎず、そこからうまみを得るのは、ルールなきゲームを裏で操る軍産複合体である。国際安全保障にとって戦略的安定の重要性は非常に大きく、当然、これを政治の手段、国内政治の道具、一方的な外交政策の対象としてはならない。
2000年5月号
国の利益と地方の利益のバランスを図り、対外コミットメントを果たすロシアの能力は、その土台からしだいに崩れつつある。ロシアにおける政治的・経済的不安定によって生じた真空状態を地方の指導者が埋めていくにつれて、彼らはロシアの外交・安全保障政策面で大きな影響力を行使するようになるだろう。モスクワの権威を温存しつつ、中央、地方、民間組織と実業界を長期的に結びつけるようなアプローチをわれわれがとることができれば、ロシアとの協調的安全保障は確実なものとなる。
2000年5月号
モスクワは、チェチェンの混迷は急進派イスラムと外国の教条主義者などの忌まわしい外部勢力の仕業だと主張するばかりで、ロシアが「反目しあうナショナリズム」という根深い問題を抱えていることに目を向けようとしない。優れた統治が行われ、魅力的な国家プロジェクトが示されない限り、ロシア連邦内の民族集団が分離独立という選択肢を考え直すとは思えない。イスラムのイデオロギーが、カフカスにおける非イスラム系集団の支配体制に対抗する重要なアイデンティティーとされ、抵抗運動をまとめる統合原理となりつつある。
2000年4月号
ロシア政財界の最強のプレーヤーであるオリガーキーたちは、民主主義と市場経済の確立に向けたロシアの改革路線を脅かしている。巨大なロシアの石油産業を支配する者が、世界の石油供給の大部分を支配する。そしてロシアの石油を完全に支配しているのは石油オリガーキーたちだ。オリガーキーたちの略奪行為によってロシアの富はことごとく吸い取られ、政府を含むロシア社会の広範な層が貧困化している。
1999年11月号
ソビエト崩壊期にすでに巨万の富を手にしていた旧ソビエトの特権階級は、国の崩壊こそ気にかけなかったが、その後、ロシアという新生国家そのものを買収してしまった。規制の悪用、特権的輸出、補助金と、新興成り金たちが国から大金をせしめ、個人の懐に収める機会はいくらでもあった。彼らは数多くの政治家や役人に賄賂をばらまいては富を増やしていくとともに、「自分たちの利益独占状態に終止符が打たれるのを恐れて」、経済成長を促し国民の生活向上につながるはずだったリベラルな経済改革路線を妨害する試みにでた。こうした窃盗行為と無分別な外貨の流入の結果が、一九九八年の金融危機だった。ロシアの問題を市場が自由化されすぎたことに求めるのは、お門違いである。問題は、自由化が進展せず、大きな政府がつくりだす過剰な規制がいまだに存在し、それが汚職の温床となっていることなのだ。経済・金融危機はこうした現実をどのように変えたのだろうか。そうした変化は、ロシア経済と社会を健全化へと導くのだろうか。
1999年4月号
ユーラシアニズムとは、「西欧とは異なるロシアのユニークなアイデンティティを確立させようとする試みのことで、ユーラシア中枢に位置するロシアを起点に南や東へと目を向け、この巨大大陸の東方正教会系の民族と、イスラム人口を地政学的観点から一つにまとめあげる」ことを構想している。具体的には、「国内の経済政策面では左派よりで、対外政策面でアラブ諸国を助け、東方世界に傾斜し、旧ソビエト地域の統合を強化する政策である」。すでにロシア共産党のジュガーノフ委員長や、プリマコフ首相は、ユーラシアニズムという理念を政治外交の世界で具体化させ、少なくとも、国内政治そして一部外交面でも勝利を収めつつある。伝統主義と集団主義をつうじて、ユーラシアにおける民族集団を一手に取りまとめ、反リベラル・反欧米のスタンスで大同団結させようとするこのロシアの試みは、「西欧(WEST)」、そして世界にとってなにを意味するのだろうか。
1999年3月号
冷戦が終わり、今や内戦がほぼ唯一の戦闘形態となった。国家間戦争ほど関心を引かないとはいえ、各国の内戦は紛争勢力の「本来の意図とは関係のないところ」で、国境を超えた破壊的衝撃を伴う。しかも、対外的にダメージを与えるという意図に導かれていないだけに、内戦の発生を抑止するのは難しい。例えばサウジアラビアだ。世界一の石油資源を持つこの国で内戦が起きれば、油田地帯が戦場と化し、紛争勢力にその意図がなくても、世界経済は瞬く間に窒息する。しかもサウジアラビアで国内紛争が起きる可能性は現実に高い。われわれは、一刻も早く「安全保障上の脅威のすべてが、一貫した信条を持つ敵対勢力によって周到に準備されているわけではなく、具体的目的に導かれているわけでもなければ」、適切な政策をとれば抑止できる性格のものでもないことを肝に銘じるべきだ。内戦への対応を考えない限り、われわれにとって軍事的選択肢は、自国防衛の強化か予防的先制攻撃の二つしかない。
1998年11月号
ロシアが市場改革を通じてゆっくりと市場経済へと近づいているとする認識は、まったくの間違いだ。この国の経済は「製造業部門が付加価値を生み出している」とする虚構を、政府、経済の各セクターのプレーヤー、家計がみな受け入れることでかろうじて成立する「バーチャル経済」にほかならない。現実には製造業は労働者や資源産業から受け取った価値以下のものしか生産できていないにもかかわらず、恣意的な価格設定によって価値を生み出しているように見せかけているにすぎない。その結果、原材料の仕入れ先にも、労働者にも支払いがなされず、税が現物で納められるようなキャッシュレス経済が誕生している。当然、膨大な財政赤字を抱え込んでしまった政府による家計への再分配機能も麻痺している。欧米や国際機関を通じた緊急支援は、彼らが現実を直視する時期を先送りするだけであり、今日の問題を明日の問題に置き換えるだけだ。「バーチャル経済」の存在を認識したうえでの痛みを伴う処方、つまり救済策の拒否こそ、われわれ、そして彼らにとっての明日を明るくするであろう。