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2026.1.6 Tue
<1月号プレビュー>
習近平の中国の強さ
―― なぜ改革開放路線を放棄したか
急速な成長は中国に豊かさとパワーをもたらしたが、一方で優柔不断、政治腐敗、外国への依存という問題も作りだした。後にどのように評価されるかはともかく、習は、こうした中国の弱点の多くを明らかにし、反改革開放路線をとることで、レジリエンスを高めようとしている。(ジン)
2002年に習仲勲は死去し、その10年後、息子は中国の最高指導者になった。習近平は父親の改革主義の足跡をたどり、法の支配を前提とするシステムを採用し、自由経済を歓迎するようになると多くの人々が考えていた。だが、そうはならなかった。(シェル)
中国経済にとっての本当の問題は、国内需要の弱さや過剰な補助金ではない。それは、異常かつ制御不能に思える過剰生産能力に他ならない。2024年半ば以降、北京も、太陽光発電、バッテリー、EVの「やみくもな拡大」路線について繰り返し警告するようになった。(リー)
習近平の中国の強さ
―― 反改革開放路線の目的とは
2026年1月号 ジョナサン・A・ジン ブルッキングス研究所 外交政策研究 チェアー
習近平は、中国のもっとも明白な弱点は、40年にわたる改革開放路線の副作用にあるとみている。急速な成長は中国に豊かさとパワーをもたらしたが、一方で優柔不断、政治腐敗、外国への依存という問題も作りだした。後にどのように評価されるかはともかく、習は、こうした中国の弱点の多くを明らかにし、反改革開放路線をとることで、レジリエンスを高めようとしている。政治・社会の管理というレーニン主義の中核まで党の贅肉を削ぎ落とし、革命のためでも改革のためでもなく、技術工業力と軍事力をつけて、中国の地政学的な地位を着実に高めるための規律ある前進を実現することが彼の目的だ。
習近平は父から何を学んだか
―― その経験と政治的教訓
2025年12月号 オービル・シェル アジア・ソサエティ 米中関係センター ディレクター
1962年、毛沢東政権の幹部だった父・習仲勲が政治的に粛清されたとき、習近平はまだ9歳だった。父が粛清されたことは習近平の心の傷となった。10代のときに、子供たちが憧れる共産主義青年団への入団を8回も拒絶されたことは大きな屈辱だったはずだ。毛沢東が死去した1976年、鄧小平が政権に復帰し、父・習仲勲はようやく北京に戻ることを許され、深圳で新しい経済特区を立ち上げることにも関わった。2002年に習仲勲は死去し、その10年後、息子は中国の最高指導者になった。習近平は父親の改革主義の足跡をたどり、法の支配を前提とするシステムを採用し、自由経済を歓迎するようになると多くの人々が考えていた。だが、そうはならなかった。
中国経済モデルの致命的欠陥
―― 過剰生産を促す重層的構造
2026年1月号 リジー・C・リー アジア・ソサエティ政策研究所 フェロー
中国経済にとっての本当の問題は、国内需要の弱さや過剰な補助金ではない。それは、異常かつ制御不能に思える過剰生産能力に他ならない。2024年半ば以降、北京も、太陽光発電、バッテリー、EVの「やみくもな拡大」路線について繰り返し警告するようになった。中国の過剰生産は、税制、共産党幹部の登用システム、ビジネスモデルの模倣、銀行の融資など、さまざま要因によって複合的に促されている。企業、金融機関、地方政府関係者がシステム内で合理的に行動し、その結果として過剰生産能力が生じているとすれば、方向転換するにはシステムを変えるしかない。


